86:年賀状(跡部と宍戸)
 
 
 エンジン音に、宍戸は顔を上げた。年賀状が届いたのだろうか。こたつから出ると、急いで玄関へ向かう。
 年賀状にはしゃぐ年でもないとはいえ、携帯やパソコンが普及しメールでの挨拶が増えた中、わざわざ手書きの年賀状を貰うというのはけっこう嬉しいものだ。
 今年は、何枚届いているだろう。
 少しだけわくわくしながら、玄関を開ける。宍戸家のポストは、門の内側にあった。慌しくサンダルを突っかけ、門まで歩いていく。
 吐く息の白さに、改めて寒さを感じた。とっとと年賀状を取って、暖かな部屋に戻ろう。乱暴に手を突っ込んだが、指先に触れたのは冷えきったポストの内側だけだった。
「あれ?」
 中を覗くと、何も入っていない。おかしい、さっきのエンジン音は郵便配達のバイクではなかったのだろうか。頭をかいて、どうするか迷う。
 このまま戻って、また後で取りに来るというのも間抜けな話だ。かといって、このままここで待っているというのも、年賀状を心待ちにしているようで恥ずかしいし、何より寒くてかなわない。
 まだバイクはやってこないだろうか。普段学校に通っている宍戸は、郵便配達が一体何時ごろ来るものなのかわからない。辺りを見渡して、少し離れたところに黒塗りの車が止まっていることに気づいた。
 さきほどのエンジン音は、あれだったのだろうか。
 どこかで見たような車だと思って見ていると、誰かが車に近寄ったのがわかった。あれは。
「……跡部?」
 宍戸の言葉に、車に乗り込もうとしていた男が振り向く。それは、やはり幼なじみである跡部だった。
 
 
「お前、なんだそのかっこ」
 跡部の格好に、宍戸は噴出しそうになった。気配を察したのか、跡部が目つきを鋭くする。
「これから新年のパーティーに行かなきゃならねえんだよ」
 コートの下のタキシード姿は、そのためだったらしい。不満げに鼻を鳴らし、跡部は肩をすくめた。
 跡部の家柄は、宍戸もよく知っている。新年早々ご苦労なことだと、ねぎらいの言葉をかけてやった。
「ふーん。大変そうだな」
 跡部が意外そうな顔で宍戸を見てくる。
「で、何してんだ?」
 行かなくていいのかと、停まったままの車へ目をやると、跡部がああと頷いた。
「そろそろ行かねえと」
 そう言って、だが急ぐそぶりもなく跡部は宍戸を見つめたまま立っている。
「なんだよ、俺になんか用か」
 そういえば、先ほどは何をしていたのだろう。確か、ジローの家のほうからやってきたような気がしたが。二人の幼なじみであるジローの家は、宍戸の家から数軒離れたところにあった。
 ジローに、何か用でもあったのだろうか。
 黙り込む跡部の手に何か握られていることに気づき、宍戸は目を凝らす。
「あれ? それ、年賀状か?」
「あ? ……ああ、これか」
 宍戸の指摘に、跡部は手にしたものへ目をやった。やはり、年賀状のようだ。
「さてはお前、年内に出し忘れたんだな?」
「忘れていた訳じゃねえ。出しそびれただけだ」
 言い訳のように口を尖らした跡部に、思わず笑いがこぼれる。跡部が、ふんとそっぽを向いた。
「で、新年早々わざわざ届けに来たってわけか」
 全く律儀な奴だ。だが、派手な外見とは裏腹に、妙なところで真面目な面がある跡部の性格が、宍戸はけっして嫌いではなかった。
 笑いながら手を伸ばすと、跡部は反射的にか手を引っ込める。
「なんだよ」
 もしかして、自分宛ではないのだろうか。だが、ちらっと見えた宛名は確かに「宍戸亮様」となっている。
「まさか、ここまで来て気が変わったとか言う気じゃねえだろうな?」
「……」
 何も言わない跡部に、だんだん腹が立ってきた。
「なんだよ、俺には新年の挨拶はできねえとでも言うつもりか」
 怒りをこめてにらみつけると、跡部の表情が変わる。微かに、笑われたような気がした。
「てめえっ」
 馬鹿にされたのかと、宍戸は跡部に掴みかかる。それでも跡部は、口の端をあげる独特の笑いかたのまま宍戸を見てくるだけだ。
 相手にもされていないのか。ますます腹が立って、殴るつもりで右手を振り上げる。
「ほんとうに、いいのか」
「……あ?」
 ようやく口を開いた跡部の言葉は、全く意味のわからないものだった。聞き返した宍戸に、跡部は笑みを深くする。
「これを。てめえにくれてやるのは簡単だが、」
 手にした年賀状を一瞥し、跡部は挑むように目を輝かせた。燃えるような目に射抜かれ、宍戸は身体をこわばらせる。跡部が、馬鹿にしたように笑った。
「丸ごと受け止める覚悟が、てめえにはあんのか?」
 たかが年賀状。そのはずなのに、跡部の口ぶりではまるで、とてつもなく重要なもののようではないか。それがなくては先に進むことのできない、ゲームの中のアイテムのように。
 一体、この葉書には何が書かれているのだろう。もしかして、ただの挨拶ではないのだろうか。
 一抹の不安がよぎって、宍戸は一瞬目を逸らす。それを、跡部が見逃してくれるはずもなかった。
「怖ぇのか?」
「なっ」
 目を上げると、跡部の好戦的な表情が視界いっぱいに広がる。いつの間にか、近づきすぎていたらしい。
「どうなんだ宍戸。てめえの器じゃ、無理な話だったかよ?」
 これは、挑発だ。乗ってはいけないと、頭のどこかで危険信号が鳴り出した。いけないとわかっているのに、跡部の次の言葉に宍戸は我慢できなくなる。
「逃げんのか?」
「誰が! 逃げるわけねえだろ! それをよこせ!」
 かかったとでも言うように、跡部が目を細めた。満足そうに頷いて、跡部は掴みかかったままだった宍戸の手を振り払った。
 そして、そのまま車へ向かって歩き出す。その背を、宍戸は慌てて追いかけた。
「おい! 待てよ! 受け取るっつってんだろ!?」
 跡部は、コートのポケットに宍戸宛の年賀状を突っ込み、そのまま車へ乗り込もうとしている。運転手があけた扉の前に立ち、顔だけを宍戸へ振り向いた。
「慌てんじゃねえよ」
「な、」
「これから、一年かけてじっくりと教えてやるからよ」
 見る者がうっとりとするような顔で笑われ、宍戸は身動きができなくなる。
 しばらく宍戸を見つめた後、跡部は優雅な動作で車へ乗り込んだ。
 窓から顔を出し、いまだ固まったままの宍戸へ、ウィンクを一つ。
「今年も、よろしく頼むぜ?」


 跡部を乗せた車が走り出しても、宍戸は動くことができずにいた。
 跡部からの年賀状に、一体何が書かれていたのか。宍戸がそれを知るのは、もう少し先のことだった。
 
 
【完】

2006 01/01 あとがき