散歩(鳳と宍戸)
放課後、二人で出かけませんか。
宍戸がそのメールに気づいたのは、HRが終わってからだった。四時間目が体育で、携帯を置いたまま昼食をとりに食堂へ行ってしまったので気づくのが遅れたのだ。
もう、帰ってしまっただろうか。無視した形になってしまったのを気まずく思いながら、悪い、今気づいたと返信する。
驚くほど早く返信が届き、宍戸は目を見開いた。
今から、行きます。
行くって、どこに? 疑問は、後ろの扉から聞こえてきた足音で解けた。大柄な男が、人のよさそうな笑みを浮かべて立っている。
「宍戸さん!」
こちらを真っ直ぐに見て手を振る姿に、宍戸は知らず笑みを浮かべていた。
並んで歩く足取りが軽い。いつにも増してにこにこしている鳳を見上げ、問いかけた。
「なあ、どこ行くんだよ?」
「え?」
きょとんとした顔で、鳳が振り向く。
「え、って。お前が出かけようってメールしてきたんだろ」
呆れた口調で返すと、ああ、と思い出したように頷かれた。自分から言い出したことなのに、変な奴だ。
「えっと、別に目的とかはないんです」
「はあ?」
「ただ、一緒に歩けたらなあって」
「なんだそりゃ」
意味がわからない。この寒い中、目的もなく歩き回るだなんて。しかも、男二人で。
帰る。そう言ってやろうと口を開きかけ、宍戸はそのままの状態で固まった。
こちらを見つめる鳳の視線があんまり優しくて、何も言えなくなったのだ。
「ったく、仕方ねーな」
わざとぶっきらぼうに呟いて、さっさと歩き出した。
「あ、ちょっと待ってくださいよー」
慌ててついてくる気配に、笑いをかみ殺す。
道行くカップルの多さと甘ったるいにおいに、今日がバレンタインデーであったことを思い出した。
そういえば、クラスメイトから義理チョコやら友チョコやらを押し付けられたっけ。ジローが食べたいと騒いだので、全部あげてしまったが。
隣の長身を見上げ、ため息を吐く。
鳳は、もてる。宍戸に、鳳に彼女はいるのかと聞いてくる女生徒も少なくなかった。
よく見たら、鳳は恐らく中にチョコレートが詰まっているのであろう、大き目の紙袋を持っている。全部が全部、義理だとは思えなかった。
「お前、よかったのかよ?」
「え? 何がですか?」
鼻歌を歌いながら歩いていた鳳が、首をかしげてこちらを見てくる。
「いっぱい貰ったんだろ、その中の誰かと過ごさなくて」
一瞬なにを言われているかわからないという顔をして、ああ、と鳳は手にした紙袋へ視線を落とした。
「義理ですよ、義理。俺がテニスしか頭にないって、皆わかってるから」
「ほー」
「あ、信じてないって顔」
おざなりな宍戸の相槌に、鳳が頬を膨らませる。
「義理かどうかはともかく、お前の頭にテニスしかねえっつーのはどうかと思ってよ」
「え、そっちですか、突っ込むところは」
「そっちだろ、どー考えても」
ん?と顎で示した宍戸に、えー、とか、そんなことは……とか、何やら口の中で呟いて、半分ぐらいはほんとです、と目を泳がせながら鳳は言った。
「半分かよ」
「は、半分です……、」
困ったように、鳳が逸らした目をこちらへ向けてくる。その目が、何かを訴えていた。
宍戸が読み取れないうちに、何か食べましょうと鳳は歩き出してしまう。
向けられた背中に、なぜか淋しさを覚えた。
バレンタインだからか、駅前の店はどこもいっぱいだった。
「ここも一時間待ちだそうです」
ファミレスを覗いていた鳳が戻ってきて、どうしましょうかと腕を組む。
「こんなことなら、予約しておけばよかったですね」
「ばーか。バレンタインだぞ? 男同士で予約って、気味悪いだろ」
宍戸は顔をしかめた。
「あ、そうか。そーですね」
あはは、と照れたように笑って、鳳が辺りを見回す。
「うーん。困ったなあ」
ラーメン屋ならさすがに空いているかと思ったが、同じ考えの者がいるのかそこも満席だった。
「あー、寒ィ」
「あ、すみません」
寒い中歩き回って、すっかり身体が冷え切っている。ぶるぶると震えながら、宍戸は己の腕をさすった。
「どうしよう、寒いですよね」
すっと手を伸ばされ、両手で頬を包まれる。
「冷たい……」
見ているこちらの胸が痛くなるような顔で、鳳が眉根を寄せた。
「長太郎、」
じわりと、鳳の手からぬくもりが伝わってくる。体温が高いのか、この寒さだというのに鳳の手は温かかった。
どのくらいそうしていたのだろう、触れてきたときと同じさりげなさで鳳の手が離れていく。
「すみません」
何を謝っているのか、そのつらそうな声音と、失ったぬくもりに、なんだかひどく心細くなった。
結局、二人はファーストフードでテイクアウトし、近くの公園のベンチに腰掛けることにした。
まだ日が落ちる前であるせいか、はたまた寒さのおかげか、他にひと気はない。
あたたかなコーヒーに、ようやく人心地つく。
「あー、生き返る」
しみじみとした口調がおかしかったのか、鳳が隣で吹き出した。
「なんだよ」
「いえ。すみません」
じろりと睨んでみても、笑顔で返される。こいつ、さては俺のこと先輩だと思ってないな。
「お前も飲めよ。そんで食え」
勝手に鳳の分の袋をあけ、中身を取り出してやった。鳳は、文句を言うでもなく眺めている。
その表情は、やっぱり嬉しそうだ。
「お前、なににやけてんだよ?」
ハンバーガーを頬張りながら指摘すると、鳳は焦った様子で自分の頬へ手を当てた。
「にやけてましたか?」
「ああ。ずっとな」
「ずっと!?」
自覚がなかったらしい、素っ頓狂な叫び声を上げ、鳳は固まってしまう。うーん。そういう顔をしても様になるなんて、見かけのいい奴は得だ。
何だか腹が立ったので、鳳の手にしたハンバーガーを一口いただく。鳳が、びくりと大きく後退した。
「……そこまで逃げるこたねえだろ。別にとって食う訳じゃ、ああ、まあ食ったけどよ」
そんなに食べられたのが嫌だったのだろうか。鳳は、宍戸の歯形がついたハンバーガーをじっと見つめている。
「いーから、とっとと食えよ」
手を振ってせかすと、ようやく鳳も食べ始めた。もそもそと、一口ずつ味わうようにゆっくりと噛みしめている。
ハンバーガーが珍しいとでもいうのか。このブルジョワめ。心の中で悪態をつきながら、宍戸はハンバーガーを食べ終える。ポテトをつまみつつ、二つ目のハンバーガーの包みを開けた。
「あの、今日はありがとうございます」
「あ?」
目を向けると、予想外に真剣な顔がこちらを見ている。思わず、宍戸は姿勢を正した。
「なんだよ、あらたまって」
「いえ。俺今日、わがまま言って、すみませんでした。つきあってもらえて、すごく嬉しかったです」
「わがままって、別に。ただ、歩いてただけだろ」
そう、ただ学校から駅前まで、ぶらぶらと歩いていただけた。時折店を覗いたりはしたけれど、ただそれだけ。特別なことなんか、何一つしていない。
鳳が、何をそんなにありがたがっているのか不思議だった。
「宍戸さんが、引退して。俺達、あんまり一緒にいられなくなったじゃないですか」
「ああ、まあな」
引退した身でちょくちょく顔を出すわけにもいかず、自然とテニスコートから足が遠のいた。少し前までは、毎日一緒に汗を流していたというのに。淋しい――のだろうか、鳳は。
「もうすぐ、宍戸さんは卒業で。そうしたら、今以上に一緒にいられないんだなあって思ったら、淋しくて。だから、今日は一緒にいられたらいいなって思ったんです」
「……そうかよ」
何だか恥ずかしくて、まともに鳳の顔が見られない。
同じテニス部だったとはいえ、個人的に二人が親しくなったのは、それ程前のことではなかった。この短期間で、そこまで自分を慕ってくれていたのかと、感動すら覚える。
何を言ったらいいのだろう。俺も淋しいとか、お前がいてくれてよかったとか? 考えて、あまりの恥ずかしさに頭を抱える。
「俺、今日誕生日なんですよね」
ぽつりと、鳳が小さく呟いた。
一瞬間をおいて、宍戸は勢いよく顔を上げる。
「え!?」
まじまじと見つめた鳳の顔は、特に驚いた風でもなく、やはり穏やかだ。
「お前、……そーゆーことはもっと早く言えよな」
あまりのことに脱力した宍戸に、だって、と鳳は口を尖らす。
「バレンタインが誕生日だなんて、言ったら絶対笑うでしょう?」
その表情は、年相応に幼い。
「あー、まあなあ。忍足なんかに知られたら、絶対からかわれるだろーけどなあ」
忍足の人の悪い笑みを思い浮かべ、宍戸は頬をかいた。
「内緒ですよ」
「ああ、……そーだ、これやるよ。プレゼントっつうには貧相だけどよ」
幸い、まだ封を開けただけで口をつけてはいない、二つ目のハンバーガーを差し出す。鳳が、嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、遠慮なく」
「ああ」
百円もしないものだったが、鳳はとても美味しそうに食べている。見ているうちに、なんだかこちらまで嬉しくなってきた。
ふと思いついて、宍戸は口を開いた。
「来年はさあ、」
「はい」
「かわいい彼女と過ごせよ? 俺なんかじゃなくって」
もぐもぐと、咀嚼する音だけが響く。いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。
急に冷えてきた気がして、ぶるりと身体を震わせる。手にしたコーヒーは、既にぬるくなっていた。
最後の欠片を飲み込んで、鳳がちらりとこちらを振り返る。
「そう、ですね。来年は……」
言葉はそこで途切れたが、まだ続きがあるような気がしてならなかった。
見つめてくる視線が痛くて、振り切るように宍戸は立ち上がる。
「あー、寒い! 帰るか。残りは歩きながら食べようぜ」
「……はい、宍戸さん」
ほんのわずかな間、諦めたような顔を覗かせ、鳳も立ち上がった。
確認して、宍戸は歩き出す。
電車に乗る鳳と別れるまで、どうしても顔を見ることができなかった。
【完】