19:身体計測(鳳と日吉)


「頼む!」
 目の前で頭を下げる同級生を一瞥し、日吉は顔をそむけた。
「断る」
「このとーり!」
「嫌だと言っている」
 すがりついてくる男の手を払いのけると、日吉は部室に急いだ。
 三年が引退した今、テニス部の部長は日吉だった。部長が遅刻をしたのでは示しがつかない。そんなことはわかっているはずなのに、しつこく引き留めようとする男にうんざりする。
 男の名は鳳長太郎といって、同じテニス部で正レギュラーを務めていた。
「なー、日吉ー」
「うるさい」
「日吉ってばー」
 廊下を歩く日吉の後ろを、鳳がついてくる。標準より背の高い鳳が、身体を丸めて追いかけてくる光景は余程おかしいらしく、通りすがりの女生徒に笑われた。それがまた腹立たしくて、日吉は歩く速度を上げる。
 そうだ、何を好きこのんでこんな大男にそんなことをされねばならないのか。
 怒りが頂点に達し、日吉は振り向きざま鳳のすねに蹴りを入れた。うめいてうずくまった鳳を置いて、日吉は踵を返す。そんな目に遭っても、まだ鳳は日吉の名を呼んでいた。


 部室にたどり着くと、日吉は急いで着替えをするべくロッカーを開けた。この分なら練習時間には間に合いそうだ。
「全く、なんだって俺がこんな苦労をしなきゃならないんだ」
 ぶつぶつと文句を言いながら、手早くユニフォームに着替える。ジャージを着ようとしたところで、鳳が入ってきた。
「日吉〜」
「うるさい」
 顔を見るなり、情けない表情になった鳳を一喝すると、ラケットを手に日吉は部室を出ようとする。
「日吉ってば!」
 痛いぐらいに強く腕を掴まれ、仕方なく鳳へ顔を向けた。鳳が、いつになく真剣な面もちをしている。
「知ってるだろう? 俺が、どれだけ真剣か」
「知りたくもない」
 日吉は、顔をしかめた。知りたくはなかったが、確かに日吉は知っている。鳳が、どれだけ長い間ただ一人だけを見てきたか。どれだけ、相手のことを想っているか。
 鳳は同級生の中では話しやすいほうだったし、精神的に脆い部分はあるが、テニスの腕も氷帝には必要なものだ。底抜けにお人好しな部分は多少苦々しく思うものの、日吉はけっして鳳自身を嫌っているわけではない。
 でも、だからといって。自分より10cm以上でかい男に、「一度でいいから抱きしめさせてくれ」と言われて、素直に頷ける筈がなかった。


「本人に直接頼めばいいだろう」
 ため息をつきながら提案する日吉に、即座に鳳が首を振る。
「そんなこと、頼めるわけないだろ!」
 心なしか顔が赤くなっているように見え、日吉はいますぐ死にたくなった。
「せめて他の奴に、」
「日吉しかいないんだって、宍戸さんと体重まで同じ奴!」
「畜生。お前なんかに、見せるんじゃなかった」
 日吉は、身体計測の結果をうっかり鳳に見せてしまったあの日の己を呪う。日吉が宍戸と同じ体格であることを知ってからというもの、鳳はこうして抱かせてくれと迫ってくるのだ。
 もうすぐ、練習の開始時間だ。しっかりと捕まえられた腕に、どうやって逃げ出そうか途方に暮れた。


「お前ら、なにやってんだ?」
 ひょこりと、扉の陰から宍戸が顔を覗かせる。
「しっ、宍戸さん!?」
 鳳が、顔を真っ赤にして日吉から手を離した。
「い、今の話きーてました……?」
「あ? なにが?」
 どうやら聞いてなかったらしい、宍戸が首を傾げる。
「いえ、なんでも! それより、今日はどうしたんですか? もしかして、練習見に来てくれたとか……」
「ああ、一応そのつもりだけど。忍足とかも来るってよ」
 宍戸以外はどうでもいいと思っているくせに、そんな素振りは一切見せず、鳳はそうなんですかーと嬉しそうに笑った。
 人を散々困らせておいて、本人がきたらどうでもいいのか。何か嫌味の一つも言ってやろうと立ち止まり、日吉はあることを思いつく。
「宍戸先輩」
「おう? なんだ日吉」
 いつになく「先輩」を強調する日吉に、戸惑ったような顔で宍戸が振り向いた。
「鳳が、一回でいいから抱かせろってしつこいんです。先輩からなんとか言ってやってください」
 眉をひそめた宍戸と、一気に青ざめた鳳を見比べ、日吉はそれじゃあと部室を出る。一瞬間があって、背後から鳳の焦った叫び声が聞こえてきた。


【完】


2005 03/13 あとがき