95:卒業式(長太郎と宍戸)
頭で考えるよりも先に、言葉が口をついて出た。
こんな経験、生まれて初めてのことだったかも知れない。
(といっても、まだそれ程長く生きている訳ではないのだけれど)
口にしてみて、初めてわかることってあると思うんだ。
例えそれが、よく知っているはずの自分のことだったとしても。
まあとにかくその時の俺は、自分のその言葉を耳にして、ああそうか、って思った。
ああそうか、俺は、この人が好きなんだって。
そう思ったら、なんだかとても晴れやかな気持ちになれたんだ。
相手がどう思ったかなんて、知らないけれど。
重い足を引きずって、宍戸は歩いていた。
まだ興奮冷めやらぬ校内は、写真を撮ったり連絡先を交換したりする生徒で溢れかえっている。
宍戸はそのどれにも加わらず、ある場所を目指して足を進めた。
行きたいのか、行きたくないのか。
どちらかと聞かれたら、行きたくはないと答えただろう。
心のどこかで、誰かが引き止めてはくれないだろうかと考えていた。
写真を撮ろうとか、この後の集まりのことだとか、どんな話でも良かった。
とにかく、そこへたどり着くまでの時間を引き延ばすことさえ出来たなら。
だが、こんな時に限って、いつもまとわりついてくるジローや、なんだかんだと世話を焼いてくる忍足、何かと絡んでくる跡部の姿は、女生徒から避難でもしているのだろう、どこにも見あたらなかった。
これは、行けということなのだろうか。
そして、潔くあいつの答えを聞けということ。
宍戸は手にしていた卒業証書の入った筒を持ち直すと、顔を上げて歩き出した。
「お疲れさまです」
室内には、いつもと変わらぬ笑みを浮かべる長太郎の姿があった。
その笑顔に、宍戸は少しだけ安心する。
それから、
「お疲れさまっつーのは、何か違わねえか?」
「そうですか?」
長太郎はきょとんとした顔になると、だって、ボタンとられたりとか、帽子とられたりとか、大変そうだったじゃないですか、と言った。
「だから、お疲れさま、です」
「そっか」
それだけ返すと、宍戸はぐるっと室内を見回した。
引退してから、殆ど立ち入ることのなくなった部室。
たまに顔を出すこともあったが、なんだかもう自分の居場所ではないような気がして、あまり居心地は良くなかった。
「あと一年、がんばれよ。レギュラー落ちなんて、無様なことになるんじゃねえぞ」
「はい、宍戸さん」
嬉しそうに笑う長太郎に、宍戸も笑みを浮かべる。
それから、自分がここに来た目的を思い出し、宍戸は顔を強ばらせた。
「長太郎」
「はい」
「……あのときの、返事、聞かせてくれねえか?」
「……はい」
長太郎は、宍戸の真っ直ぐな視線をどう思ったのか、一瞬視線を逸らす。
あちらこちらを彷徨って、再び戻ってきたそれを、宍戸は怯むことなく見返した。
にっこりと、心から嬉しそうな顔をして、長太郎は口を開く。
「俺、やっぱり、宍戸さんが好きです」
「……マジ、かよ?」
宍戸は、今にも泣きそうな顔で声を震わせた。
長太郎が嬉しそうな顔のまま、
「あれからいっぱい頭使ったんすけど、やっぱ、好きだなあって」
「そっか……」
宍戸は、それだけ返すのが精一杯だった。
きっかけは何だったのか、未だに思い出すことが出来ない。
いや、きっかけなど、なかったのかも知れない。
ただ何となく二人きりになって、ただ何となく帰る気にならず、だらだらと会話を続けて。
そうしたら、長太郎が言ったのだ。
「俺、宍戸さんのそういうところ、好きです」
「……はあ?」
唐突な言葉に、だが悪い気はしなかった。
気のいい後輩に慕われて、喜ばない者はいないだろう。
宍戸も、例外ではなかった。
「何言ってんだよ、お前」
呆れたようにそう返しながも、宍戸はゆるむ頬をおさえられずにいた。
それを知ってか知らずか、長太郎が言葉を続ける。
「あ、違った」
今更撤回はねえだろう! と宍戸が突っ込もうとしたその時、長太郎が笑ったのだ。
まるで、子供のように無邪気な笑顔。
「俺、宍戸さんが好きです」
その言葉に、宍戸は目を丸くした。
開いた口が、ふさがらなかった。
呆然とする宍戸の前で、長太郎は自分の言葉に頷いた。
「そっか。俺、宍戸さんが好きなんだ。そういうとこだけじゃなくって、宍戸さんが、丸ごと全部。好きなんだ、そっか」
一人で納得し、また嬉しそうに笑う。
「俺、宍戸さんが好きです」
「それは、先輩として、憧れてるという意味だよな?」
なんとか絞り出した宍戸の言葉は、次の瞬間否定された。
「いや、多分そーゆうんじゃないっす」
今にも歌い出しそうなぐらい、晴れやかな表情を見せる長太郎。
このままでは、長太郎の思惑通りにコトが進んでしまいそうだ。
そう危惧した宍戸は、ある提案を投げかけた。
『一時の気の迷いって可能性も捨て切れねえし、俺の卒業式までよーく考えて、んで、卒業式終わったら、俺ここに来るから。そんとき、改めてお前の気持ちを聞かせてくれ』
それが、宍戸の提案だった。
自分が引退して、あまり会うこともなくなれば他の者に目がいくだろうと。
自分と一緒にいる時間が長かったせいで、そう錯覚しているだけなのだろうと。
だがその提案は、どうやら問題を先送りにしただけだったようだ。
「俺、なんかやっぱり、宍戸さんが好きみたいで」
「はあ」
「考えれば考える程、好きだなあって想いが募っていくっていうか」
「へー」
宍戸の投げやりな返答も気にならない様子で、長太郎は次々愛の言葉を囁いていく。
果たして自分は、この男から逃げ出すことが出来るのだろうか。
一年離ればなれになるとはいえ、どうやら時間や距離はこの男には関係ないらしい。
さりげなく手を握ってくる長太郎に辟易しながら、宍戸は大きくため息を吐いた。
【完】