08:放課後(ジローと宍戸)
「おい」
「なんだよ」
放課後、部室へ行こうとしたところで、宍戸は跡部に呼び止められた。
振り返ると、跡部は眉間に皺を寄せてこちらを見ている。
しまった、と宍戸は思った。
こういう顔をしているときの跡部に関わると、ろくなことがない。
経験上そう悟っていた宍戸は、跡部が口を開く前にそっと後退した。
踵を返し、走りかけたそのとき。
跡部の口から出た名前に、宍戸は再び振り向いた。
「ジロー。寝てんのか?」
中庭の木の下で、宍戸はジローを見つけた。
葉っぱを頭に散らしながら、ぐっすりと眠り込んでいる。
赤ん坊のような無垢なジローの寝顔に、まるで天使のようだと思う。
ジローは、はっきり言っていい男だ。
多少騒がしいところはあるが、ジローがそこにいるだけで空気が変わる。
どれだけ張りつめた空気が漂っていたとしても、ジローの一言で一転、和やかなムードに変わるのだ。
それはきっと、ジローが持って生まれた才能。
宍戸は、ジローのそういうところが好きなのだと思う。
だけどそれは、宍戸だけではなくて。
そんなジローが好きで、周りに集まってくる人間は、男女を問わず多かった。
「それが、問題なんだよなー」
皆がジローを好きになるのは仕方のないことで、それに宍戸が口出しする権利はない。
決して、ジローに非があるわけではないのだ。
「なにが問題〜?」
「ジロー。起きたのか?」
足下で、ジローが寝ぼけ眼のまま宍戸を見上げていた。
傍らにしゃがみ込むと、宍戸は少しだけ困った顔でジローを見遣る。
「お前さ、別れたんだって?」
「あー。美代ちゃん?」
「その後」
「んーと、あきちゃん、じゃあなくて、あ、さくらちゃんだ」
宍戸が頷いてみせると、ジローはえへへ、と笑った。
それから、うーん、と大きく伸びをする。
「噂になってる、らしいぜ」
「うわさ?」
「ジローが、弄んだ……、とか」
「すっげー! ねっ、すごくねえ?」
無邪気に笑うジローに、宍戸は胸を痛めた。
顔立ちなのか性格なのか、とにかく見る者に幼い印象を与えるジローは、母性本能をくすぐられるらしく、とりわけ女の子から好かれる。
だから、別れてもすぐに彼女が出来るのだ。
ジローに、女の子を弄ぶような真似が出来るわけがない。
いつも相手から寄ってきて、相手から去っていく。
ジローはただ、拒まないだけなのだ。
「お前さあ、もう、気軽につきあったりとか、やめたら?」
「なんで〜? だってさ、好きですって言われたら、嬉しいじゃん? 俺も好きかも〜って思うじゃん? だから、おつきあいするの」
何がいけないの? と、ジローは首を傾げた。
一体何から言えばよいのだろう。宍戸は、逡巡しながら口を開く。
「俺は、やなんだよ。お前が、悪く言われんの」
「俺は気にしないよ〜?」
「俺が、やなんだって」
ジローに、非があるわけではない。
ただ、まだ恋人を持ったりするのには時期が早いだけなのだ。
それを知っていて、寄ってくるほうに非があると宍戸は思った。
ジローはしばらく黙って宍戸を見ていたが、やがて諦めたかのように芝生の上を転がった。
「だって俺、やなんだもん」
「あ?」
何を言っているのかと、宍戸はジローに視線を向ける。
ジローは、今にも泣きそうな顔をしていた。
「やなの、俺。宍戸の一番は、俺じゃなきゃ嫌なの」
「ジロー?」
ほんとうに、いきなり何を言い出すのだろう。
宍戸が怪訝な顔をすると、ジローは両手で顔を隠した。
「だって、宍戸、さくらちゃんが好きでしょう? 美代ちゃんのこと、かわいいなって言ってた。あきちゃんの足、きれいだなって言ってたじゃん」
「ジロー、なに、……」
「やなんだもん、俺、宍戸とられるのやなんだもん」
ジローの言葉に、宍戸は記憶を辿る。
確かに、話の流れで、クラスで誰がかわいいとか言ったような覚えはあった。
だけれど。
でも。
だから?
だからジローは、彼女たちとつきあったりしたと言うのだろうか。
自分が、彼女たちとつきあったりしないように?
「ジロー?」
なんだか胸が詰まって、宍戸はジローの名を呼ぶことしかできなかった。
ジローの名を呼びながら、背を向けてしまったジローを乱暴に揺さぶる。
「ジローってば」
何度目だろうか。宍戸の呼び声に、ジローが観念したかのように振り向いた。
見つめてくる両目には、うっすら涙が浮かんでいる。
「俺、俺、……宍戸が好きなんだもん。ずっと、ずっと宍戸のそばにいたかったんだもん、いたいんだもん。女の子にとられるの、やだったんだもん」
ぽろりと、ジローの頬を涙が伝った。
「ごめんなさい、宍戸。ごめん、ごめんね。だって俺、宍戸が好きなんだ。ごめんなさい、ごめん……」
謝罪の言葉を口にしながら、ジローは次々涙を溢れされる。
そんなジローを、どうして突き放すことができるだろうか。
その気もないのにつきあうだなんて、ジローが彼女たちにしたことは、悪いことだったのかも知れない。
それでも、そんなジローを、宍戸は愛しいと思った。
自分をとられまいと、誰に悪く言われようと構わずに、そこまでしてくれたことを、嬉しいと感じた。
「ジロー、泣くなよ」
「宍戸……?」
泣いているジローを抱き寄せると、戸惑ったような声を出される。
安心させるように、背中を優しく撫でてやった。
「謝らなくて、いい」
「宍戸、俺……」
「俺のほうこそ、気づけなくて、ごめん」
「宍戸……」
「……つらかったろ?」
返事の代わりに、ぎゅう、と強くしがみついてくる。
ジローの気持ちに応えられるかどうか、宍戸にはわからなかった。
けれど、どんなことになっても、この手を離すことは決してないだろうと。
そう、思った。
【完】