まるで、おとぎ話のように(ジローと宍戸)
「うっしゃ!」
「もー、亮ちゃんずるーい!」
「何がずるいってんだ!」
豪快なリターンを決めた宍戸に、ジローはぶうぶうと文句をたれた。
身振り手振りで、不満を訴える。
「だってさだってさ、どっこ打っても絶対返してくんだもん! ありえなーい!」
「っせ! お前がトロいんだろー!」
高等部へ進学した二人は、まだ正レギュラー入りを果たしていなかった。
だから、こんな風に打ち合うのは、ほんとうに久しぶりのことで。
本来なら、もっとはしゃいでいてもいいはずだった。
もっと浮かれて、楽しんで、勝ち負けなんてこだわらず、ラリーを続けて。
でも今は、それが出来ずにいた。
お互い言葉には出さないが、思っていることは、心に抱く感情は、きっと同じ筈。
それだけが、二人の心を占めていた。
会話が途切れたのを機会に、二人は打ち合いをやめる。
どのぐらい時間が経ったのだろう、生憎このコートには時計が見あたらなかった。
どちらともなくベンチへ歩み寄ると、力無く座り込んだ。
宍戸は、タオルを頭にかけている。
顔を、見られたくないのかも知れない。
そう考えて、ジローは痛む胸を押さえた。
こんなこと、絶対言えない。
言っちゃ、いけないんだ。
そんなこと、ぜったいに。
胸に手を当てたまま、ジローはベンチの上に足を乗せる。
空いている手で膝を抱え、頭を落とした。
言葉にはしなくとも、そこかしこに、溢れている感情。
宍戸と、テニスコートと。
ジローにとって、大好きで、大切なもの。
ちゃんと揃っているのに、哀しくて仕方なかった。
「ジロー、寝てんのか」
「……ん?」
宍戸の言葉に、ジローは顔を上げる。
宍戸はもう、タオルをかぶってはいなかった。
「飯、食い行くか?」
「ん」
微かに笑う宍戸に、ジローは大きくのびをして答える。
とんっと音を立てて、地面に飛び降りた。
「なんでも、奢ってやるぜ? 誕生日だかんな」
「あはは、気前い〜い! 亮ちゃん、なんかまるで、跡部みたいなことゆう」
笑いながら振り返ったジローの目に飛び込んできたのは、何かを堪えるような顔をした、宍戸の姿。
しまった、と思った。
跡部景吾。
それは、二人の幼なじみ。
誕生日には、毎年三人で過ごしていたというのに。
今ここに、跡部の姿はなかった。
「あ、りょ、ちゃん……」
「あの野郎、なにしてんだかな。ジローの誕生日だってのに、帰ってきもしねえで」
「亮ちゃん……」
跡部は、高等部へ進んですぐ、海外へ留学してしまった。
誕生日には帰ってくると、そう約束したのに。
跡部からの連絡は、なかった。
目の前でつらそうに俯く宍戸に、ジローはどうすればよいかわからなかった。
俺がいるからと、抱き寄せればいい?
ううん、だめだよ。俺は俺だから。跡部のかわりになんて、なれっこないんだ。それに、俺だって。
俺だって、
つられるように俯いたジローに、宍戸は慌てた様子で声をかけてくる。
「っと。せっかくの誕生日に、んな暗い顔すんなって! 薄情者のことなんか忘れて、ぱーっと騒ごうぜ? カラオケでも行くか?」
「亮ちゃん……」
自分もつらいはずなのに、必死に慰めてくる宍戸に、ジローはせつなくなった。
俺、やっぱり、亮ちゃんが好きだ。好きだよ、すごく。
でも、だからこそ、ジローは宍戸の手をとることができなかった。
「……ジロー?」
「亮ちゃん、俺、俺っ」
絶対絶対、言ってはいけないこと。言っちゃだめ、我慢しなくちゃ。
ジローは、懸命に手で口を押さえた。
「ジロー」
宍戸が、怒ったような口調で言った。
恐る恐る顔を見ると、その表情はやわらかかったので、少し安心する。
「ジロー、言ってもいいんだぞ? がまんしなくて、いいんだ」
「で、でも」
「でもはなし」
「だって!」
「だっても、なし」
そっと腕を掴まれて、下に降ろされた。
ジローの口を閉ざすものは、もうなにもない。
宍戸の両目が、ジローを見つめていた。促されるように、ジローは言葉をつむぐ。
「俺、俺、さみしい、よ。跡部が、いなくって」
「うん」
「跡部がいなくちゃ、やだよう。さみしくて、ここがきゅーってなる」
「うん」
「でも、でも、俺には亮ちゃんがいるんだから、我慢しなきゃって思った。亮ちゃんがいるのに、跡部がいないからやだなんて、言っちゃいけないって思ったんだ」
ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちる。
視界が歪んで、宍戸の姿が見えなかった。
宍戸は今、どんな顔をしているのだろう。
怒っている、だろうか。
哀しんでいる、だろうか。
そんな宍戸を思い浮かべて、ジローは更に涙をあふれさせた。
ふわりと、空気の動く気配がして、耳元に吐息がかかる。
くすぐったくて、少し身じろいだ。
「ばかだな、ジローは」
「……え?」
言葉とは裏腹な、どこまでも優しい声音に、ジローは目を見開く。
「ジローは、ばかだ。誰が、さみしいって言っちゃ駄目ってゆった? 誰が、それを言ったから怒るってんだ」
「だって、だって亮ちゃん」
亮ちゃんがいてくれるのに、それじゃ足りないだなんて。
そんなの、酷すぎるじゃんか。
こつんと、額がぶつかった。
「俺も、同じなんだから」
「亮ちゃん……?」
ようやく涙の止まった目で宍戸を見ると、宍戸は、少しだけ淋しそうに笑っていた。
「俺だって、跡部がいなくてさみしい。ジローが、側にいてくれても。でもそれは、俺が、俺達が、あいつを好きってことだ。それは、悪いことじゃねえだろ?」
「……わるいことじゃ、ないよね?」
「ああ」
今度こそ、ジローは宍戸に両手でしがみついた。
宍戸だけじゃ足りないなんて思っている自分には、抱きつく資格なんてないと思っていたけれど。
どうやらそれは、間違いだったらしい。
「亮ちゃん、好き、大好き!」
「俺も、ジローが好きだよ」
「亮ちゃんとおんなじぐらい、跡部が好きだよ。いないと、さみしいよう」
「……ああ。俺も、」
ざりっと、砂を踏む音が背後から聞こえてきた。
それとともに、艶のある低音が二人の耳に届く。
「ほう。お前らが、そんなに俺様を好いていたとはな。今の今まで、知らなかったぜ」
ジローを抱いたまま、宍戸が振り返った。
宍戸に抱きついたまま、ジローは目を丸くする。
跡部が、気怠そうに立っていた。
「おま、なんでっ!」
「ふん。本当は昨日着くはずだったんだが、空港で爆弾騒ぎがあってな。まあ未遂にすんだようだが、それで飛行機が遅れた」
「えー! だ、大丈夫だった!?」
「当たり前だろ。ったく、いつもみてえにうちのコートにいるかと思ったら、まさかこんな侘びしいストリートテニス場にいるとはな。余計な手間かけやがって。ありがたく思いな」
帰国してすぐ散々捜し回ったのだろう、跡部の表情からは疲れがにじんでいた。
嬉しさの余り、ジローは宍戸に左手をかけたまま、右手で跡部に飛びつく。
「わっ、ちょ、苦しいってジロー!」
「お前なあ、帰国早々……。ちょっとは手加減しやがれってんだ」
「だあって! 亮ちゃんがいて、跡部が帰ってきて! 俺今、ちょ〜しあわせ! すっげー嬉しい!」
にこにこと笑いながらくっつくジローに、二人は仕方ないと苦笑した。
「まあ、お前がいいならそれでいいさ」
「ったく、ほんとガキだなジローは」
「はっ。てめえこそ、俺様がいなくて淋しかったんだろ?」
「なっ! て、てめえ、どこから聞いてやがった!」
そのまま口げんかに突入するかと思われたそのとき、跡部が不意に口を閉ざす。
宍戸が目で訴えると、跡部がにやりと笑った。
「先に、言うことがあった」
「あー。そっか、まだだったなそういやあ」
なんのことかと、首を傾げるジローに、
「「誕生日、おめでとう」」
とびきり甘い声で、二人が囁いた。
それはまるで、おとぎ話のように幸せな結末。
【完】
ジローに、ありったけの愛を込めて。