99:さよなら(ジロー)


 数え切れないぐらい、キスをした。
 朝、顔を見たら飛びついて、お早うって言って、大好きって告げて。
 廊下ですれ違う度、抱きついて引き止めて、授業に遅れるだろって怒られて。


 大きくなったら、結婚しようね。
 幼い頃、交わした約束。


 あの頃は、信じてたんだよ。
 それがほんとうになるって。
 あの頃は、知らなかったんだ。
 自分たち以外の、存在を。


 一ヶ月前の、金曜日。
 その日は朝から雨が降っていて、憂鬱で。
 いつもなら陽当たりのいい場所でお昼寝する時間なのに、室内は蒸し暑くてそんな気にもなれなくて。
 亮ちゃんはどこにいるんだろうって、校内を彷徨っていた。
 廊下の突き当たりまでいったら、屋上へ続く階段の上から亮ちゃんの声が聞こえてきて、いきなり出ていって驚かせてやろうって、足音を消してそっと近づいたんだ。


 でも、そこにいたのは、亮ちゃんだけじゃなくって。
 俺の位置から見えたのは、亮ちゃんの後ろ姿と、それから。
 顔を真っ赤にして立っている、銀色の髪をした一つ年下の大男。
 亮ちゃんは最近あいつと仲が良くて、俺はそれがちょっと不満で。
 でも、あいつを悪く言うと亮ちゃんが困った顔をするから、あんまり言わないようにしていた。
 何をしているんだろう。
 黙って見上げている俺に気づかずに、あいつは口を開いた。
「俺、宍戸さんが好きです」
 何、言ってるんだろう。
 意味がわからなくて、俺は一人首を傾げた。


 だって、だって。
 亮ちゃんが好きなのは、俺なんだよ。
 あいつが幾ら亮ちゃんを好きでいても、どれだけ言葉を尽くしても、無駄なのに。
 なんの、意味もないのに。


 なんで、そんなことを言うんだろう。
 なんで、そんなこともわからないんだろう。


 ばかだなあって、思った。
 かわいそうだなあって、思った。
 あんまりかわいそうだから、見てられなくて、俺はその場を立ち去った。


 だって、だってさあ。
 亮ちゃんが断るのなんて、見なくてもわかることだし。


 亮ちゃんが断って、あいつが亮ちゃんに構うことはなくなって。
 俺達は相変わらず仲良しで。
 何も変わらないって、思っていたんだ。


 でも、あれから。
 亮ちゃんは、俺が飛びつくと、身体を固くするようになった。
 大好きって言うと、目を逸らすようになった。
 抱きつこうとしても、手を払われるようになった。


 キスを、拒まれるように、なった。


 どうしてなんだろう、なにがいけないんだろう。
 意味がわかんないよ、亮ちゃん。


 隣にいても、亮ちゃんは亮ちゃんじゃないみたいで。
 何を考えているのか、ぼおっとしていることが多くなった。


 どうしてなんだろう、なにがいけないんだろう。
 俺はこんなに大好きなのに、変わらないのに。
 大きくなった結婚したいって、まだ思っているんだよ。


 亮ちゃんはもう、俺を好きじゃなくなったのかな。
 俺は、もう必要ないのかな。


 好きなのに、大好きなのに、もっともっと、いつまでもそばにいたいのに。
 でもきっと、亮ちゃんがそうしたいって思う人は、俺じゃないんだね。


 もう、俺じゃなくなっちゃったんだ。


 亮ちゃんは優しいから、すごくすごく優しいから、自分からは言い出せないのかな。
 ほんとはもう、俺のこと、今までみたいに好きじゃないんだよね。
 だってほら、今だって俺の顔を見ようとしないんだもん。


 ねえ亮ちゃん、俺の顔、もう何日見てないと思ってる?
 最後に俺と口きいたの、いつだったか覚えてる?


 俺を好きじゃない亮ちゃんなんて、いらない。
 俺を好きじゃない亮ちゃんといたって、ちっとも楽しくなんかないよ。
 ちっともしあわせなんかじゃない。


 だから、だからね。
 亮ちゃんのこと、もういらないって、ちゃんと言うから。
 亮ちゃんから言い出せないなら、俺から言ってあげるから。


 だからもう、無理してつきあってくれなくっていいんだよ。


 さよなら、亮ちゃん。
 ほんとうにほんとうに、大好きだったんだ。
 いつまでだって、この手でぎゅってしていたかった。


 さよなら、亮ちゃん。
 きっとずっといつまでも。
 大好きだから、俺からさよならしてあげる。




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