不器用な告白(跡部と宍戸と忍足とジロー)


 人よりも長い足で大またに階段を上がると、跡部は突き当たりの教室へ目を向けた。廊下にいた女生徒のグループが、跡部に気づき悲鳴を上げる。
 鬱陶しい。いらだたしい気持ちのまま髪をかきあげると、あちこちから歓声が聞こえてきた。ひとつため息をついて、跡部は目的の場所へ向かう。
 突き当たりの教室には、あの男がいるはずだった。最近、跡部を苛々させている、あの男が。


「おい忍足。てめえの好物はなんだ」
 跡部としては大変友好的な態度で臨んだつもりだったが、相手からするとそうではなかったらしい。忍足は、横に立った跡部をこわばった顔で見上げてきた。
 その態度に、跡部の苛立ちが増す。
 さっさと済ませて、さっさと自分の教室へ戻りたい。
 わざわざこの俺様が、下の階からこんな奥まった教室までやってきてやったのだから、忍足にはさっさと回答を述べ、俺様をこの役目から解放する義務がある。
跡部は、そう思っていた。
 だが忍足は、困った顔で見上げてくるばかりで一向に口を開こうとはしない。大体、自分が立っているのに忍足が座ったままだということが気に食わない。
 ここは忍足の教室で、忍足の席の前なのだから当然といえば当然のことなのだが、いつだって自分が優先されるべきであると思い込んでいる跡部には関係のないことだった。
「おい。さっさと答えろ」
 催促する跡部に、訳がわからないという顔のまま忍足がぽつりと答える。
「……サゴシキズシ」
「なんだそりゃ。日本語で言え」
 聞き覚えのない単語に跡部が顔をしかめると、忍足は心外だという面持ちで声を荒げた。
「れっきとした日本語や!」
 ますます怪しい、と跡部は眉根を寄せる。そもそも、忍足が普段から操っている言語は、跡部の知っている日本語と異なっていた。忍足は、もしかすると日本人ではないのかも知れない。
 そう考えると、跡部の中でいろいろと腑に落ちる部分があった。
「そういうことかよ」
 急に一人で納得したように口の端をあげた跡部に、忍足が顔を引きつらせる。
「な、なにがや……」
「わかった。調べておく」
「は?」
 言うだけ言うと、跡部はきびすを返した。


「跡部!」
「……なんだ宍戸」
 忍足と同じクラスの宍戸が、教室を出た跡部に声をかけてきた。跡部が足を止めると、宍戸はあたりをぐるっと見回してから顔を寄せてくる。
 何を言われるのかと、跡部はこっそり胸を高鳴らせた。腕をとられ、耳元へ宍戸の口がくる。
「今のって、ジローに頼まれたやつか?」
 声を潜めて囁かれた言葉は、期待していたものではなかった。内心がっかりしながらも顔には出さず、そうだと短く答える。
 宍戸が、そうかと頷いた。
「忍足が言ってたのって、関西のほうの食いもんだかんな?」
「関西?」
「ああ。どっかほかの国のとかじゃねえからな、間違えるなよ」
 跡部の思考を読み取ったかのように、宍戸が釘を刺してくる。跡部は、当然知っていたという顔で首を縦に振った。
 残念なことに、宍戸はそれ以上ついてくるつもりはないらしい。
宍戸は、立ち去る跡部を不安げな顔で見つめていた。


 廊下を歩きながら、跡部は大きく息を吐いた。周囲から、物思いにふける跡部様もすてき、という声があがる。首を振ると、跡部は歩くスピードを増した。
このところ、胸の辺りがもやもやとしてよく眠れない。原因はわかっている。ジローのことだ。
 ジローは跡部の幼馴染で、宍戸とともに氷帝へ入学する前からのつきあいである。
 年相応に成長した跡部や宍戸とは異なり、ジローは今でも幼い外見のままだ。中身も似たようなもので、いつまで経っても子どもじみた言動で周囲を和ませている。
 跡部は、ジローの天真爛漫さを心地よく思っていた。ジローがいるだけで、心が明るくなる気がするのだ。
 幼いころから一緒であったために、跡部は今ではすっかりジローの保護者のようなつもりでいる。大事な大事な、とびきりかわいい子。
 その、ジローが。
 よりにもよって、あんな関西弁の丸眼鏡に惚れるとは。一体、誰が予想したであろう?
 あの男のどこがいいのかと訊ねても、内緒だと笑ってジローは教えようとしない。けれど、その赤く染まった頬が、しあわせそうな笑顔が、何よりも雄弁に語っていた。
 忍足のことが、好きで好きでたまらないのだと。
「あんな奴なんかより、俺様のほうがよっぽど……」
 そうだ。俺様のように完璧な人間が目の前にいるというのに、なぜあんな男に惚れたりするのだろう。何をとっても、あの男に劣った部分などありはしないはずなのに。
 ジローに本気で好かれたところで応えてやることなど出来ないということには気づかず、跡部はそんな風に思っていた。


「跡部〜!」
 ぱたぱたと足音をたてながら、ジローが部屋に飛び込んできた。ソファーに腰掛ける跡部に目標を定めると、ジローは勢いを殺さず飛び掛ってくる。避けることは簡単だったが、跡部はあえて受け止めてやった。
 ジローが、嬉しそうに跡部の胸へ顔をうずめる。
「痛えよ、ばか」
 軽い口調で跡部が咎めると、こちらも軽い口調でジローが謝罪した。
「ごめーん!」
 ぐりぐりっと名残惜しむように頭をすりつけ、ジローは顔をあげる。くりくりとした大きな目に、跡部の姿が映った。
「ねえ跡部、忍足に聞いてくれたっ!?」
 きらきらと輝いた顔に、跡部は自然と笑みを浮かべる。
「ああ。サゴシキズシ、だとよ」
「やっぱり〜? それ美味いのかな?」
「知るかよ」
 首をかしげたジローに、ふと跡部の頭に疑問がよぎった。
「お前、知ってたのか? 忍足の好物」
 確かジローは、忍足の誕生日を祝うために好物を用意してくれと跡部に頼んできたはずだ。ジローが知っていたのなら、わざわざ自分が聞きに行く必要はなかった。
 目を向けると、ジローはえへへ、と笑って頭をかく。
「前にきーたことあったけどー、難しくて覚えらんなかった!」
 悪びれないジローに、跡部は怒る気にもなれずソファーに背を預けた。
「そうかよ」
「うん!」
 ねえ跡部、と甘ったれた口調でジローが跡部に顔を寄せてくる。
「どお? 忍足の好きなもの、用意できそう〜?」
「当然だろ。俺様を誰だと思ってる」
 跡部が優雅に髪をかきあげると、ジローは嬉しそうに手をたたいた。
「さっすが! 跡部様〜!」
 きゃあきゃあとはしゃぐジローに、跡部は目を細める。
 ジローが、どうしてもあの男がいいというのなら、仕方がない。精一杯、もてなしてやろうじゃねえか。ジローの、幼なじみとして。


 忍足の誕生日当日。そうとは知らずに跡部の別邸へ案内された忍足は、上座に座った跡部を目にするなり顔をひきつらせた。
「なんだてめえ、その顔は」
「な、なんで跡部がおんねん……!?」
「ああ? 俺だって好きで来てるわけじゃねえよ!」
「いーから座れよ」
 隣の部屋で横になってた宍戸が顔を覗かせると、忍足は少しだけ安心した顔になる。
「宍戸もおったんか……」
「あ? いちゃ悪いかよ」
 むっとした顔になった宍戸に、慌てた様子で忍足が首を振った。
「そーゆー意味とちゃうって!」
 見つめあう――正確には、にらみ合っているのだが、跡部にはそうは見えなかった――二人に、跡部は目つきを鋭くする。気配を感じた忍足がフォローの言葉を口にする前に、後からやってきたジローが忍足に飛びついた。
「忍足〜!」
「じ、ジロちゃん……」
「びっくりした? びっくりした?」
「びっくりしたわ……」
 二人のやり取りに、ぼんやりした顔で宍戸が目を瞬かせる。
「なんだ忍足、ここが跡部の家って知らなかったのか?」
「知らんわ! ……跡部んちゆうたら、あのばかでかい洋館やろ?」
「あはは」
 忍足の言う洋館とは、普段跡部が生活している屋敷を指しているのだろう。思い当たって、跡部は馬鹿にしたように顔をゆがめた。
「あそこは、和食を食うには不向きだからな」
「はあ……?」
 意味がわからないという顔をする忍足に、飲み込みの悪い奴だと舌打ちしながら説明してやる。
「和食を食うなら、日本家屋が最適だろう」
 跡部の言葉通り、今日使用しているこの屋敷はどこまでも続く日本庭園を眺めながら食事をとることができる、料亭顔負けの趣のある立派な日本家屋だった。
 ふんぞり返った跡部に、もしかしてと忍足が肩を落とす。
「ここ、跡部が和食食べるためだけに使う家なん……?」
「そうだ」
 間髪入れずに答えてやると、忍足はその場にひざをつく。
「わからん。金持ちの考えることはわからん……」
「俺にもわかんねえよ」
 慰めるように、宍戸が忍足の肩を優しく叩いた。跡部の殺気を感じたのか、忍足が焦って立ち上がる。
 わざとらしく庭を眺めながら、こんなところで食事できるなんて最高やわー、などと言い出した。
「ほんと? ほんと? 忍足、嬉しい!?」
 発案者であるジローが、忍足にまとわりつく。忍足が頷くと、嬉しそうに飛び上がった。
 二人のやりとりを微笑ましく思うと同時に、じくりと胸が痛む。自分は、苛立っているのだ。大切なジローを、忍足などに持っていかれて。嘆息する跡部に、宍戸がなんとも言えない表情をした。


 サゴシキズシの季節は過ぎていたが、跡部に出来ないことはない。鮮度は落ちるものの、取り寄せた魚で立派なサゴシキズシを作らせた。食の細い忍足が美味い美味いとよく食べるので、ジローも嬉しそうに笑う。
 楽しそうなジローに、初めは何故自分が忍足をもてなさなければならないのかと不満に思っていた跡部の顔も綻んだ。
 跡部は独特の香りがあまり好みではなく、サゴシキズシには手をつけなかった。他の料理も用意してあったが、特に食べる気にはならない。暇なので隣に座った宍戸へ目をやった。行儀悪くあぐらをかいた宍戸は、最初は箸を使っていたものの、途中で面倒になったらしく手づかみで食べている。
 指についたご飯粒をぺろりと舐め、跡部の視線に気づいたのか目を向けてきた。
「食わねえのかよ」
「ああ」
 宍戸は肩をすくめると、そのまま畳に寝転がる。
「お前さあ」
 ぽつりと、宍戸が何かを呟いた気がしたが、跡部の耳には届かなかった。


 食事があらかた終わったところで、跡部の険しい表情にさすがに耐え切れなくなったのか、忍足が居心地悪そうに隣のジローを振り返った。
「えーと、ジロちゃん、今日ここ連れてきてくれたんは、俺の誕生日を祝うためなん?」
「そうだよ!」
 忍足にしがみつくように腕をまわし、ジローが目を輝かせる。跡部は、いっそう二人を見る目つきを鋭くした。
「せ、せやったら俺、ジロちゃんと二人のほうがよかったかな〜なんて……」
 跡部のほうをちらちらと見ながら、忍足が失礼なことを口にする。
「んだと忍足! そりゃあどういう意味だっ」
 跡部が立ち上がる前に、宍戸が身を乗り出した。
「あ、や、そーゆう意味とちゃう!」
 歯をむいた宍戸に恐れをなしたのか、忍足が青い顔で身を引く。
「その、なんちゅーか、宍戸はともかく、俺跡部とはあんまり仲良くあらへんし……」
「なんで俺様がてめえなんかと親しくしなけりゃならねえんだ」
 はき捨てるように言った跡部に、ジローがにこっと笑って言った。
「俺が、そのほうが嬉しいから!」
「……え?」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、忍足がまじまじと笑顔のジローを見つめる。
「俺の誕生日、部活あってみーんな一緒だったっしょ? 俺すげー嬉しかったから、忍足もみんな一緒が嬉しいともって!」
 心から嬉しそうなジローに、三人は何も言えなくなった。
 やがて、忍足の手がジローの頭に乗せられる。
「そっかあ。ジロちゃんが嬉しかったこと、俺にも味わわせようと思ってくれたんねや」
「うん!」
 ジローの頭をなでる指先が、ジローを見つめる眼鏡の奥の目が、とても優しいことに気づき、跡部ははっとした。
 ジローが忍足を選んだ理由が、少しだけ――ほんの少しだけ、わかったような気がする。
 それでも、納得することはできなかったが。
 跡部の心境の変化がわかったのか、宍戸もなんだか満足そうな顔をしている。
 心地よさそうに目を閉じているジローに、自然とその場の空気があたたまった。
「にしても、ジロちゃんはなんで俺によくしてくれんねや?」
 何気ない口調で言った忍足に、うっとりとした顔のままジローが答える。
「えー、だって俺忍足大好きだしー。俺たち、恋人どうしでしょ?」
 当然だという口調で言うと、ジローは眠くなってきたのかあくびをした。ぴたりと、忍足の手が止まる。
「……忍足?」
 目を見張ったまま微動だにしない忍足を不審に思ったのだろう、宍戸が首をかしげた。忍足が、ぎこちない動きで口を開く。
「……俺たち、恋人なん?」
 その言葉に部屋の空気が固まった。誰一人動こうとはせず、時間だけが過ぎていく。
 初めに動いたのは、跡部だった。
「てめー忍足、どういうつもりだ!」
 確かに跡部は、ジローに言われたのだ。忍足とつきあうことになったのだと、とびきりの笑顔で。それこそ、跡部がこれまで見てきた中で一番きれいな顔で。
 忍足とつきあうようになってからのジローは、今まで以上に楽しそうで、とてもしあわせそうだった。毎日のように惚気られるのには辟易したし、よりによって相手がこの男であることに納得はいかなかったものの、それでもジローがしあわせならいいかと思った矢先に、この台詞はないだろう。
「まさかてめえ、……ジローを弄んだのか?」
 跡部ほどではないにせよ、忍足もそれなりに女生徒から人気があった。女癖が悪いかどうかまでは興味がなかったので知らなかったが、もしかすると純粋なジローをからかったのかも知れない。
 怒りのまま立ち上がった跡部に、ひいと小さく悲鳴をあげて忍足が壁に張り付いた。
 じわじわと詰め寄る跡部を前に忍足は宍戸へ救いを求めたが、自業自得だという顔で肩をすくめたまま宍戸は動かない。もしかすると、宍戸も怒っているのかも知れない。ジローが大切なのは、宍戸も同じはずだった。


 跡部を止めたのは、ジローの小さな呟きだった。
「だって俺、言ったじゃん。忍足が好きだよって」
「ジロちゃん……」
 うつむいたままのジローに目をやり、忍足はどうしたらよいかわからないという表情をする。
「忍足だって、俺のこと好きって言ったじゃん」
「なんだと!?」
 ふたたび怒りだした跡部を目の前に、忍足は懸命にジローに訴えた。
「せやけど、つきあおうとは言われてへんもん!」
「はあ!?」
 忍足の言い分に、さすがに宍戸も腰をあげる。
「んだそりゃあ! てめえ、ジローのことなんだと思ってんだ!」
 柄の悪い二人に挟まれ、忍足はすでに泣きそうになっていた。
「ジロー、こいつの処分は俺に任せろ」
「処分って、なにする気や跡部……」
「なにされたって、文句言えねえだろ」
 普段は跡部を止める役回りの宍戸にも見捨てられ、忍足はうなだれる。
「しゃあないやん、だって……」
「もういい!」
「ジロー!」
 ジローは立ち上がると、そのまま庭に下りて駆けていってしまった。
 追いかけようとした宍戸を、忍足が止める。
「待って。俺に行かせてくれへん?」
「お前……」
 これ以上ジローを傷つける気なのかと振り向いた宍戸の前で、忍足は情けない顔で息を吐いた。
「せやけど、つきあってくださいゆわれんかったら、つきおうたことにはならへんねんもん……」
「てめえ、まだそんなこと言ってんのか!」
 言い訳にしか聞こえず、跡部は忍足の髪を掴んだ。
「俺まだ中学生やもん! おつきあいに夢見たってええやん! 『つきあってください』『はい』ってやりとりがなかったら、つきおうてることにはなれへんねん!」
 更に言い募る忍足に、あきれたように宍戸がため息を吐く。
「あのなあ。言われなくても、ジローの態度見てたらわかるだろ?」
「わかっとる! せやから、俺待っとたんや。ジロちゃんいつゆうてくれんねやろって、ずうっと」
「……」
 夢見るような顔つきで訴える忍足に鳥肌をたてながら、跡部はなんとなくその気持ちはわかるような気がした。ロマンチストだという部分で、二人には共通するものがあるのだろう。あまり考えたくはないが。


 ジローは、庭園の真ん中に座り込んでいた。そろそろ眠くなってきたのかも知れない。近づく忍足の後姿を見ながら、跡部と宍戸は近くの植え込みの影に隠れていた。
「なんで俺様がこそこそしなくちゃなんねーんだ」
「仕方ねえだろ」
 口では文句を言いながらも、跡部は宍戸と狭い場所で密着している状態に少しだけ浮かれていた。手放しで喜べないのは、やはりジローが気がかりだからだ。
 覗き見ると、ようやく忍足はジローの脇に立ったところだった。
「ジロちゃん」
 忍足の声に、ジローが顔を上げる。その顔には、なんの表情も浮かんでいなかった。
 ジローのあんな顔を見たのは、いつ以来だろう。忍足があんな顔をさせているのだと思うと、忘れていた怒りが蘇ってきた。
「ジロちゃん、あんなあ。俺、ジロちゃんが好きや。サゴシキズシより、ジロちゃんのほうが好きやで」
 その台詞に、跡部は思わずその場で転倒しそうになる。なんとか持ちこたえると、顔をひきつらせながら宍戸に問いかけた。
「なんだあれは。あいつは、あれで告白のつもりなのか?」
「そうなんじゃねえの。ま、ジローが嬉しそうだからいんじゃね」
 見ると、ジローは宍戸の言葉通り嬉しそうな顔で立ち上がる。
「忍足! 俺も! 俺も、羊よりも、ムースポッキーよりも、忍足が好きだよ!」
 叫んで、ジローが忍足に抱きついた。忍足の手がジローの背に回され、なんだかよくわからないが、どうやら二人はうまくいったらしいと跡部にもわかった。
「よかったな、ジロー」
 目を細めた跡部を振り向き、宍戸が慰めるように頭をかきまぜてくる。子ども扱いされているようで、不愉快になって跡部は手を振り払った。
「なんのつもりだ」
「だってお前、寂しそうだから」
「は?」
 寂しいとは、一体なんのことだ。訝しげな顔の跡部を置いて、宍戸は歩き出す。後を追って、二人はのんびりと来た道を戻った。
「寂しいんだろ? ジローをとられて。お前、この頃ずっとおかしかったもんなあ。食欲もねえみたいだし」
 静かな口調で言われ、反発よりも納得する部分が大きかった。
 そうか。
 そうか、俺は寂しかったのか。ジローを持っていかれて、苛立っていたのではなく、寂しさを感じていたのか。
 立ち止まると、跡部は空を見上げた。
 胸のもやもやは消えなかったが、それでいいのだとも思う。
 この気持ちは、そのままジローを想う気持ちにつながるのだから。
 それから、目の前を歩く宍戸の背に目をやり、跡部は不思議に思った。
 なぜ、宍戸は気づいたのだろう。自分でも気づけなかった、跡部の感情に。
 少しの間、ぼんやりと跡部は小さくなる宍戸の姿を眺めていた。
 急に閃いて、跡部は足早に宍戸を追う。
「なあ宍戸。お前、俺様に惚れてんのか?」
「はあ?」
 また突然妙なことを言い出したぞこいつは、という多少あきれた顔で宍戸が振り向いた。
「なんで俺が寂しがってるって気づいたんだよ? お前が俺に惚れてるからだろ。そうならそうと、早く言えよな。考えてやらないこともないぜ」
 勝ち誇ったように決め付けた跡部に、一瞬きょとんとした顔をして、宍戸が笑う。
「なんだそれ? 遠まわしに告白してるつもりかよ」
 笑ったまま耳元で囁かれ、跡部はどう返答するべきか迷った。


【完】


2005 11/09 あとがき