61:日曜日(ジローと忍足)


「あのねー跡部、俺これから行くとこあるんだ」
 ジローが少しだけ申し訳なさそうにそう言ったので、跡部は一瞬ムッとしてから、仕方ないなと息を吐いた。
 今日、ジローと宍戸は跡部の家へ遊びに来ていた。
 午前中は跡部の家のコートで軽く打ち合い、午後は試合をする予定だった。
 だが、昼食にしようと跡部が声をかけると、ジローが冒頭の言葉を発したのだ。
 ジローがラケットをバッグにしまうのを、宍戸が手伝ってやる。
「ジロー、昼はどうするんだ。包ませるか?」
 跡部の申し出に、ジローはにっこり笑ってこう言った。
「じゃあ、二人ぶんお願い〜」


 跡部に貰った折り詰めを抱え、ジローは走っていた。
 きっとあの人は、ご飯も食べずに寝ているだろう。
 一人暮らしであまり余裕がないからと、休みの日は昼食を抜いていることを、ジローだけが知っていた。
 跡部の家の豪華な食事に、きっとあの人は目を輝かせるだろう。
 その姿を想像し、ジローは自然微笑んだ。
「と、と、と……っ」
 勢いで目的地を通り過ぎそうになり、ジローは慌てて踏みとどまった。
 目の前の古びたアパートを見上げ、カーテンの閉まったままの窓に目を止める。
 出かけては、いないはず。まだ、寝ているかな。起こしたら、かわいそう? でも、あったかいうちに食べたほうが美味しいよね。
 ぐるぐるとそんなことを考えながら、階段を上る。
 さびた鉄が、きしんで音を立てた。
 玄関脇の窓から様子を窺うが、中で誰かが動いている気配はなかった。
 少しだけ迷って、ジローは財布に入れたままだった鍵を取り出す。
 これは、いつだったか、留守と知らずに遊びに来たジローが部屋の前で寝ていたことがあり、驚いた主が用意してくれたものだ。
 なるべく音を立てないよう気を遣いながら、ジローはそっと鍵を開けた。
 ドアノブをまわすと、思ったよりも大きく音が響いたので、起こしてしまったかと慌てる。
 だが、部屋の中は相変わらず静かだった。
 もしかして、留守なのだろうか? そんな心配をしながら、ジローは扉の中へ入った。
 程なく布団の中で丸まっている主を見つけ、ジローは傍らに座り込んだ。
 普段かけている眼鏡がないぶん、距離が近づいたような気がして嬉しい。
 しばし寝顔に見とれた後、思い出して折り畳みの机を広げた。
 その上に折り詰めを二つ乗せると、ジローは布団に潜り込んだ。
 大好きなお布団と、大好きな人と。
 ここには、ジローの大好きなものが揃っているのだ。
 せっかくの機会を逃すだなんて、勿体ない。
 隣の寝息に耳を澄ませながら、ジローは目を閉じた。


「で、これはなんの魔法なんやろ?」
 忍足は一見すると普段と何ら変わりないようだが、その実とても困惑していた。
 確かに今朝、トイレに起きたときは自分一人で寝ていたはずだ。
 それが今は、隣にはふわふわの金髪が寝息を立て、部屋の机には身に覚えのない華美な包装の折り詰めが二つ並んでいる。
「俺があんまりひもじいゆうとったから、見かねた神様がプレゼントしてくれたんかな?」
 そう口にしながら、忍足は段々状況が飲み込めてきた。
 どうやら、自分が寝ている間にジローが遊びに来たらしい。
 この折り詰めは、多分ジローが持ってきたものだろう。派手な包装は、きっと跡部の趣味に違いない。
「魔法をかけてくれたんは、ジロちゃんっちゅーことやな」
 忍足は、とても嬉しかった。
 豪華な料理が食べられることはもちろん、
 これから大好きなジローと過ごせるのだ。


 これ以上の幸せを、忍足は知らなかった。
「ジロちゃん、早く目えさましてな?」
 寝ているジローも充分かわいいが、起きているジローはもっとかわいい。
 忍足は、優しい眼差しでジローの寝顔を見つめた。



 【完】



2004 01/10 あとがき