83:今年(ジローと忍足)
 
 
 今日で今年が終わる。
 忍足は、実家へ帰省するための準備をようやく終えたところだった。いつもならもっと早くから支度をしておくのだが、今年はなんだかんだと用事があって当日まで時間が取れなかったのだ。もう少し遅ければ、新幹線の時間に間に合わないところだった。
「さて、と」
 荷物をつめたカバンを玄関に置き、机の上の封筒を手に取る。中には、実家から送られてきた新幹線の切符が入っていた。
 中身を確かめ、靴を履くためにしゃがみこむ。靴紐を結びなおし、忘れ物はないかと室内を眺め回した。
「……元栓しめたっけ?」
 確かにしめたはずだったが、一度気になると放って置けない。気になって、せっかく履いた靴を脱いでキッチンスペースへ向かう。ガス台の下を開け、元栓がしまっていることを確認した。
「ふう」
 小さく息を吐いて、今度こそ出かけようと再び玄関へ向かう。扉に手をかけたところで、表の階段を駆け上がってくる足音に気づいた。
 物凄い音をたてながら、さび付いた階段を上がってくる。もしやと、忍足は扉から手を離した。
「忍足! まだいる〜!?」
 瞬間、切羽詰った声とともに外から強く扉を引かれる。手を離しておいてよかった。掴んだままだったら、扉と一緒に引っ張られるところだったろう。
「忍足! まだいた! よかった〜!!」
 忍足の顔を見て、心から安堵したというようにへたり込んだのは、予想通り同級生であるジローだった。
「ジロちゃん、どないしたん? なんか用か?」
 何か大切な用事でもあったのだろうか。ジローの様子から、忍足はそう思う。
 息を切らすジローに、忍足は室内へ戻ってコップに水をくんできた。差し出すと、ジローは美味そうにごくごくと飲み干す。
「ごめんな、冷蔵庫からっぽやねん」
 数日とはいえ家をあけるため、冷蔵庫の中身は全て片付けてしまったのだ。
「うーうん! 美味しかった!」
「そっか」
 にっこりと笑ったジローにつられ、忍足も笑顔になる。ジローは、とても素直な人間だ。お世辞を言ったり嘘をついたりしないから、疑り深い忍足も、ジローの言葉だけは信じることができた。
 そして、ジローの笑顔には人の心を動かす力があると思う。ジローに微笑みかけられると、見ているこちらまで嬉しくなってしまうのだ。ジローが、皆から好かれている理由がわかる。
「ほんで、どないしたん?」
 玄関先に座り込んでいるジローに、忍足もしゃがみこんだ。目線を合わせて問いかけると、ジローがはっとしたように顔を上げた。
「忍足!」
「う、うん?」
 強く肩を掴まれ、忍足は目を丸くする。ジローが、いつになく真剣な顔をしていた。真剣すぎて、怖いぐらいの迫力がある。普段は幼い子どものようにしか見えないのだが、こうして見るとジローも一人前の男なのだと思えた。
「俺ね、忍足が好きだよ」
 痛いぐらいに真剣な瞳とは裏腹に、ジローの口調はどこまでも穏やかだ。そのせいか、忍足はしばらく意味を理解することが出来なかった。
「え?」
「忍足のことが、すごくすごくすっごく大好きなんだ」
 続けられた言葉に、息を呑む。
「わかった? 忍足わかった? 俺の言ってること、わかった?」
 繰り返し問われ、忍足はこくこくと何度も首を縦に振った。ジローが、安心したように肩の力を抜く。
「よかった!」
 ばんざーいと大きく両手をあげて立ち上がると、ジローはそれじゃー俺帰るね、といつもの間延びした口調で言った。
「え?」
 しゃがみ込んだまま、顔だけをあげて忍足はジローを見る。ジローが、その場でくるりと一回転した。
「俺さー、今気づいて! 忍足が好きって! 前から好きだったけど、今わかって! だから今言いたかったの! それだけ!」
 そのまま出て行こうとするジローに、慌てて忍足は立ち上がるとジローの腕を捕まえる。ジローが、目をぱちくりしながら振り返った。
「何ー?」
「何ってジロちゃん、これで帰るつもりなん?」
「え〜? だって忍足、田舎帰るんでしょ?」
 きょとんとした顔のジローに、裏があるとは思えなかった。ジローは、本気でこのまま家に帰るつもりなのだ。
 忍足の心を、盛大に乱したまま。
「せやけど! せやけどなあ、ジロちゃん」
「ん〜? なあに?」
 首をかしげ、ジローは言うだけ言ってすっきりしたのか、だんだん眠そうな表情になってきた。
「あ! 言い忘れた!」
「ん? なんや」
 ぱっちりと目を開けたジローに安心して、忍足は先をうながす。
「よいお年をー!」
「……ジロちゃん、ぼけとるつもりか?」
 真面目な顔で挨拶をしたジローに、忍足は肩を落とした。
「忍足〜? まだ電車の時間いーの? あ、途中まで一緒行く? それとも見送りする〜? あ、それか跡部の車で送ってもらう?」
「……それだけは勘弁してほしいわ……」
 ため息をついて、忍足は決心する。
「あんなあ、ジロちゃん。とりあえず部屋あがろうか」
「え? 忍足、帰るんじゃねーの?」
「せや。せやけどな」
 新幹線の切符を無駄にするのは、心底もったいなかった。冷蔵庫の中身は空っぽにしてしまったし、お年玉を当てにして今月の生活費は全部使ってしまった。
 それでも、ここでジローを帰すわけにはいかないのだ。
「俺が、ジロちゃんと一緒におりたいねん」
 観念して呟くと、ジローが笑う。
「そっかあ。それじゃあ、仕方がないね?」
「せや、仕方ないんや」


 ほんとうなら、もっと早く、それこそ終業式の次の日にでも帰るつもりだった。親に切符を手配すると言われたとき、年末にしてくれと頼んだのは忍足のほうだ。無理に用事を作って、ぎりぎりまで粘って。
 その結果がこれなら、待った甲斐があったというものだろう。
 たとえ、忍足の帰りを楽しみにしていた親にこれからどれだけ叱られることになったとしても。


 【完】

2005 12/31 あとがき