ただいま(切原と宍戸)


 電車を降り改札を出ると、切原は辺りを見渡した。日は暮れたが、駅前はまだ人でいっぱいだ。
「さーてと。歩く? バス乗る?」
 宍戸が、顔だけ振り向く。宍戸の家へ向かう方法は、歩くかバスに乗るかのどちらかだ。迷わず、切原は頷いた。
「歩きましょう!」
 勢いよく答えた切原に、宍戸が笑う。
「おっけー」
 相変わらず手を繋いだままの二人に、周囲の視線が集まった。ちらりと横目で宍戸をうかがうと、少しだけ困った顔をしている。
「手、無理しなくていいっすよ?」
 切原が言うと、宍戸は一瞬目を見張り、繋いだ手に視線を落とした。
「あー。や、別に……」
「いいんすか?」
 今日はやけに優しいと、嬉しい反面不安になる。これだけしあわせ続きだと、なんだか大きなしっぺ返しがありそうだ。
「まあ、ジローと歩いてると思えば」
 一人頷いて、宍戸は歩き始めた。引っ張られるようにして歩きながら、切原は口の中で呟く。
「ジロー……」
 ジローというのは、宍戸の幼なじみで、切原が宍戸と知り合うきっかけを作ってくれた人だ。ジローと宍戸は、よく手を繋いで歩いているのだろうか。
 疑問が顔に出ていたのか、宍戸が口を開いた。
「ああ。あいつ、歩きながら寝るからさー。ほっとくとどこ行くかわかんねーんだよな」
「はあ。だから、」
「そ。だから」
 だから繋ぐのだと、他意はないのだと言外に告げられ、切原は納得する。いちいち嫉妬して、子供だと思われるのはごめんだ。


 少し歩くと、宍戸の通う氷帝学園の校舎が見えてきた。宍戸に会うために何度も訪れたそこは、切原にもなじみ深い場所だ。
「あ、そこ」
「え?」
 フェンスの途中で立ち止まり、宍戸が向かいの古ぼけたアパートを指さす。
「そこの二階に、忍足が住んでんだ」
「へ〜」
 忍足が学校近くのアパートで一人暮らしをしているという話は聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
「ずいぶんボロイっすね」
 氷帝に通っているぐらいだから、もっといいところに住んでいてもよさそうなのに。
「あー。なんか、あいつんち実家は金持ちなんだけど、仕送り少ねーみてーなんだよな」
「へえ。大変っすねえ」
 切原は特に忍足自身に関心はなかったが、宍戸が教えてくれることは何でも嬉しかったので、興味深く忍足のアパートを眺める。
「あれ、なにしとんのお二人さん」
 脇の道から、忍足が顔を出した。買い物にでも行っていたのか、食料の入った袋を下げている。
「あー。や、帰るとこ」
 気まずそうに、宍戸が言った。ふーんと、忍足の不躾な視線が二人に注がれる。にやりと、忍足が笑った。
「てえつないで、仲良しこよしやねえ」
 切原が口を開く前に、宍戸がうるさいと叫ぶ。真っ赤になって腕をふるわせながら、それでも宍戸は手を離そうとはしなかった。その気持ちが嬉しくて、切原は顔を綻ばせる。
「へへへー。忍足さん、うらやましいんすか?」
 見せつけるように繋いだ手に力をこめると、忍足が苦笑した。
「なんやの、見せつけんといて」
「誰が!」
 自分に言われたと思ったのか、宍戸が怒鳴る。むきになる姿がかわいいと、切原はこっそり笑った。
 切原といるときの宍戸は、なんとなく余裕がある感じでいかにも「年上」という風なのだが、こうしてみると自分とたいして変わらないような気がする。宍戸がいつもより身近に感じられて、心が弾んだ。
 繋いだ手を引いて、そろそろ行こうと意思表示する。宍戸が、じゃあなと忍足に背を向けた。


 外灯に照らされた道を歩きながら、宍戸が頭をかいた。
「まさか、忍足に会うとはなあ」
「嫌だったっすか?」
 切原の問いかけに、そう言う訳じゃねえけど、と宍戸は言葉を濁す。二、三歩歩いてから、宍戸が口を開いた。
「なんか、恥ずい」
 ぽつりと二人の間へ落ちた言葉の響きに、切原の胸が痛む。なんだか、急に足が重くなったような気がした。
「……俺と、いるのが?」
 知らず漏れた呟きに、宍戸が振り向く。
「は?」
 言ってはいけないと思いながらも、止まらなかった。
「俺といるの見られんのが、恥ずかしいんすか?」
 完全に足を止め、住宅街の中ふたりは手を繋いだまま向かい合う。俯いた切原の視界に、宍戸の靴が入った。
「俺さあ」
 苛立った口調で、宍戸が言う。
「お前のそーゆーとこ、ムカツクんだけど」
 宍戸が靴の先で地面を蹴った。何も言わず唇を噛む切原に、ため息をついて宍戸が握った手を揺らす。
「こないだも、あいつのほうがいいのか、とか訳わかんねえこと言うし。俺は、」
 言葉を切って、宍戸が絡んだ指先に力をこめた。
「お前と、つきあってんだ。なんでそこに他の奴が入ってくんだよ? 関係ねえじゃん、俺とお前以外。誰も」
 何がそこまで不安なのか、自分でもわからないまま、切原は顔を上げられずにいる。焦れったそうに、宍戸が手を引いた。
「いっつも、無駄に自信満々なくせに。なんで……そんな顔してんだよ?」
 一体自分は、どんな顔をしているのだろう。宍戸の声が弱くなって、切原は顔を上げた。
 宍戸が、困ったように目を揺らめかしている。いつも真っ直ぐに前を見ている瞳が、不安に濁っていることに、切原は暗い安堵を覚えた。この人にこんな目をさせられるのは、きっと自分だけだろう。
「好き、だから。不安なんす」
「そんなの、俺だって同じだ」
 重ねるように告げられた言葉に、切原は目を見張る。眉をひそめながら、宍戸が続けた。
「俺は、……俺が、そんな顔させてんのか? なあ」
 そっと、あいているほうの手で頬を撫でられる。
「亮くん……?」
 口から出た声音があんまり弱々しくて、自分で驚いた。宍戸が、ますます顔をゆがめる。
「俺は、ちゃんとお前が好きだから。つれえよ、うたがわれんのは。……つらい」
 初めて、宍戸の口から弱音を聞いたような気がした。
 どんなときでも、レギュラー落ちしたときでさえ強くあり続けたこの人が、自分のことで初めて弱みを見せたのだ。瞬間切原の身体に走った衝動は、一体なんだったのだろう。
 視線をそらし黙り込んだ宍戸に、考えるよりも先に身体が動く。きつく抱きしめて、宍戸の肩に顔を埋めた。


「ごめん、ごめんね。俺ちゃんと、わかってるよ。亮くんが、俺のこと好きでいてくれること」
 何度も繰り返し謝りながら、まるで逃がすまいとするかのように、抱きしめる腕に力をこめる。
「わかってるのに、不安になるんだ……」
 それ以上何を言えばよいのかわからず、切原は無言で宍戸を抱きしめ続けた。やがて、切原の背に宍戸の腕が回される。
「俺だって、不安だけど。そんなことばっか考えてたって、仕方ねえし」
 でも、と宍戸が切原のジャージを引っ張った。顔を上げると、宍戸の真剣なまなざしにぶつかる。
「俺といるときぐらい、んな顔すんなよ。なあ? やだぜ、俺。お前のそんな顔、思い出すのは」
 口の端をあげて、宍戸が言った。数回瞬いて、切原はもう一度宍戸を抱きしめる。
「亮くん、俺のこと、思い出してくれてんの? 会えないとき」
「ばっ」
 腕の中で、宍戸の身体が体温を上げた。
「……ったりまえだろ……」
「うれしい! 俺も!」
 ぎゅうぎゅうと痛いぐらいに抱いてから、切原は手を放す。右手を差し出すと、宍戸が苦笑しながら左手で掴んでくれた。


「そういえば亮くん、俺のこと名前で呼んでくれたっすよね」
 思い出して、笑顔になる。宍戸が、怪訝そうな顔を向けてきた。
「は?」
「いや、はじゃなくて!」
 確かにこの耳で聞いたと主張しても、宍戸は首をひねるばかり。
「あー、間違えたんじゃね?」
「ま、間違いってなんすか、間違いって!」
 あれ程感動したというのに、言うに事欠いて間違いだなんて、あんまりだ。半分泣きながら訴えても、宍戸はふーんと言うだけだった。
「ふーんってなんすか、ふーんって! そういえば、あいつのこと名前で呼んでたっすよね?」
「ジロー?」
「違います! こないだ一緒にいた、後輩の奴っす!」
 ダブルスまで組んで、生意気だとあのときの怒りが蘇ってくる。
「ああ、長太郎」
「それっす! あいつが名前呼びで、なんで俺が名字なんすか!」
 憤る切原に、宍戸が不思議そうな顔をした。
「……慣れ?」
「今から名前呼びに慣れてください!」
「はあ? やだよ、めんどい」
 ぷいっと、宍戸が顔をそむける。ああ、そんな顔もかわいい、だなんて条件反射のように思ってしまう自分が、少しだけ嫌になった。でもやっぱり、かわいいものはかわいい。
「でも俺、先輩とか友達とかからも名前呼びだし、名字だと落ち着かないってゆーか!」
 なおも食い下がると、宍戸が珍しいものを見たような顔をする。
「お前、なんでそんな必死なの」
「だって、だって、なんか恋人〜って感じじゃないっすか?」
「そーかあ?」
 歌うように、宍戸が言葉を紡いだ。
「先輩とか、友達とかからも呼ばれてんのに?」
「……うっ」
 鋭い突っ込みに、切原はうめいた。
「えーと、気分が違うっつーか、えーと……」
「はい却下ー」
「えーと……」
 ぐいぐいと手を引かれ、ついて歩く。そうこうしているうちに宍戸の家へ着き、ふたりは手を放した。顔を見合わせると、宍戸が開いている門から中へ入っていく。早く来いと、手招きされた。
「ただいまー」
 扉を開いて、宍戸が奥へ向かって叫ぶ。玄関へ入ると、切原は扉を閉めた。


【完】


2005 03/24 あとがき