油断大敵(切原と宍戸)


 制服のポケットから携帯を取り出すと、アドレス帳を開いた。リダイヤルボタンを押せば一発で出てくるというのに、なんとなく手間を惜しむ気になれず、毎回わざわざアドレス帳から探してしまうのだ。我ながらキモい行動だと微かに笑って、目当ての名前をディスプレイに映し出す。
 通話ボタンを押して、携帯を耳に当てた。
 さて、今日は何コール目で出てくれるだろうか。


 校門は、帰宅しようとする生徒達でごった返していた。もっと人気のないところでかけるべきだったと思いながら、切原は賑やかな場所からなるべく遠ざかる。
 植え込みの陰に隠れるようにして、しゃがみ込んだ。
 それでも聞こえてくる他人の会話は、もはや切原にとって雑音でしかなかった。切原の耳は、ひたすら携帯から流れるコール音だけを拾う。
 相手はあまり電話というものが好きではないらしく、カバンの中に突っ込んだまま携帯の存在を忘れてしまうことも多々あった。もしかして、鳴っていることにも気づいていないのだろうか。
 どうしても今日でなければならない訳ではない。けれど、会話を期待してかけてしまったのだから、せめて一言でも交わさなければ気が済みそうになかった。
 声だけで我慢できる自信はなかったが、なにもコンタクトがとれないまま一日が終わるよりは遙かにましだ。
 そろそろ留守電に繋がってしまうのではないかと思われた頃、ようやくコール音が途絶え、電話が繋がった。
『もしもし?』
 少しだけ不機嫌そうな声に、切原は一気に顔を綻ばせる。不機嫌な態度をとるのは、不器用な彼の照れ隠しなのだ。
「亮くん!?」
『ああ。……お前、声でけーよ』
 微かに笑う気配がして、無意識ににやけてしまう。立ち上がると、そわそわと落ち着きなく歩き回った。いま、彼はどんな顔をしているのだろう。会いたい。会いたい。いますぐ、顔が見たい。
 無理だとわかっていても、ついそう思ってしまう。
 そんな気持ちを吹っ切るように、切原はあえて明るい声を出した。
「っへへ、すみません。亮くんなかなか出てくんないから」
『あー、悪イ。ジロー起こすのに手間取っててよ』
『亮ちゃん、お電話ちゅう〜?』
 まだ学校にいるのか、宍戸の幼なじみであるジローらしき声が混じった。
 宍戸には、宍戸の生活があるのだ。違う場所で、違う日常を送っている。そんな当たり前のことを思い知らされたようで、切原は胸が締め付けられるような思いがした。
『切原?』
「あ、あの、24日のことなんですけど〜」
 宍戸の訝しげな声に、切原は慌てて本題に入る。宍戸に心配をかけるのは、本意ではない。
『24日?』
「はいっ」
 勢い込んで答えてから、まさか忘れられているのではと不安になった。確かに、先日電話した際に約束したはずだ。
 24日、夜から泊まりに来てくれると。まさか、忘れられているなんてことはないと思いたい。
 なんといっても、翌日、9月25日は切原の誕生日なのだ。せっかく休みなのだから二人きりで過ごしたいという切原の願いを、いくらなんでも宍戸だって覚えているはずだ。
「亮くん、あのー」
『……』
 沈黙が、心臓に悪い。まさか、まさか本当に──……。
『ああ、お前の誕生日な』
 あっさりと口にされ、切原はその場にへたり込んだ。
「りょ、くん。覚えて……」
『忘れるわけねーだろ。お前、先月からうるさかったもんなあ』
「……」
 先月あたりから、宍戸の誕生日に何をしようと考えていて、ふとその数日前が自分の誕生日であることに気づき、誕生日が近いなんて運命っすね!と騒いだ記憶は確かにある。 切原としてはそんなにしつこく言ったつもりはなかったのだが、宍戸の口振りからすると相当うるさかったようだ。
「えっと、それで、大丈夫なんすよね?」
『あ? ああ、ちゃんと空けてある。つーかお前、俺が忘れてるとでも思ったのかよ?』
「そんなわけないじゃないっすか! 違いますよ! 確認っす、確認」
『確認ねえ……』
 まだ疑っているらしい声音には気づかない振りをして、さっさと待ち合わせ場所を決めてしまうことにする。切原は何度か宍戸の家を訪れたことがあるが、宍戸が切原の家へ来たことはなかった。
「やっぱ駅前が一番わかりやすいっすかね。俺迎え行きますよ。なんなら立海も案内しましょうか? ……や、それはだめだ」
『なんだそれ』
「だって暇人の先輩とかに見つかったらやだし。絶対邪魔されますもん!」
 誕生日に恋人である宍戸と会うだなんて知られたら、引退して暇になった先輩達の格好の餌食になることは間違いなかった。
「てことで、駅から俺んち直行に決まり!」
『はいはい。前に待ち合わせたとこでいいか?』
「はいっ! 同じとこで待ってます」
 七夕のことを思い出し、切原の顔に自然と笑みが浮かぶ。宍戸も、同じことを思い出してくれていたらいい。


 通話を終え、なんてしあわせなのだろうと余韻に浸りながらディスプレイを眺めていると、後ろからひょいと携帯を取り上げられた。
「わっ、なにすんだよ!?」
 慌てて振り返ると、仁王が立っていた。
 その口元に浮かんでいる笑みに、切原は嫌な予感がした。もう肌寒い季節だというのに、背中を汗が伝う。
「だって暇人の先輩とかに見つかったらやだし。絶対邪魔されますもん、ねえ」
 一言一句間違いなく、仁王は切原が口にした言葉をなぞった。
「……! き、きーてたんっすか……!?」
 どうやら、さきほどの宍戸との会話を聞かれていたらしい。焦る切原をよそに、仁王はのんびりと切原の携帯を開いたり閉じたりしている。わざと先延ばしにして、いたぶるつもりだろうか。せかすこともできず、切原は黙って仁王の行動を見つめた。
 やがて飽きたのか、折り畳んだ携帯を手渡される。
 もしかして何事もなく解放されるのだろうかと安堵しかけた瞬間。仁王が発した言葉は、切原を青ざめさせるのに充分だった。


「その『先輩達』って、俺も入っとるんかのう?」


【完】


2005 09/22 あとがき