告白(切原と宍戸)


 悪夢のような誕生会が終わり、先輩達は去っていった。残されたのは、未だにショックから抜け出せない切原と、切原のかわりに玄関まで見送りに行った宍戸だけ。
「信じらんねえ……、アルバムに使うのかよ〜」
 ソファーに倒れ込み、クッションに顔を埋めてうなり出す。卒業アルバム、先輩達のか自分のかはわからないが、いずれにせよ学校中の笑いものになることだけは間違いないだろう。
 しかも、卒業アルバムは図書室にも置かれ、誰でも自由に閲覧することができるはずだった。
「死ぬ……」
 せっかくのお祝いなのに、何故こんな目にあわなければならないのだろう。確かに仁王を怒らせたのは他でもない自分で、自業自得だと言われればそれまでなのだが。
 しかし、たかがあんな一言で、ここまで酷い目にあわされるとは。
 よりによって、最愛の恋人の前で。何よりつらかったのは、宍戸に笑われたことだった。
 かっこわるいと思われただろうか。愛想を尽かされてもおかしくはない。
「亮くん……」
「なんだよ?」
 独り言のつもりだった呟きに返事があり、切原は慌てて顔を上げた。
 いつの間に戻ってきたのか、宍戸が誕生会の後かたづけをしている。というか、あの人達片づけもしないで帰っていったのか? なんて非常識。特に柳生先輩なんて、いつもゴミを散らかすな、ちゃんと片づけろと口うるさいくせに。
「すんません、手伝います」
「いいよ。一応主役だろお前」
 気を遣ってくれているのだろうが、素っ気なく断られ切原はますます落ち込んだ。
「主役……」
 こんな、最低最悪の主役がいるだろうか。
 惨めな気持ちのまま、切原はソファーに沈み込む。
 慣れているのか、宍戸が手早く片づけている音だけが室内に響いた。ざーっと水を流す音がして、あらかた終わったのか宍戸が近づいてくる。
「冗談だって」
「え?」
 目を上げると、宍戸が傍らにしゃがみ込んでいた。自分を見下ろす表情があんまり優しくて、なんだか泣きたくなる。
「仁王が、アルバムに載せるっていうのは冗談だって言ってた」
「えっ! マジっすか!?」
 反射的に飛び起きると、宍戸がああと頷いた。
「ちょっと脅かしただけだってさ」
「……なあんだ」
 まんまと騙されてしまったことは癪に障るが、それよりも安堵のほうが勝った。さきほどまでとは異なる脱力感で、切原はソファーに背を預ける。
「お前、そこまでへこむことかあ?」
 おかしそうに、宍戸が肩を揺らした。急に恥ずかしくなって、切原は肩をすくめる。
「だって……、卒業アルバムなんて一生もんっすよ?」
「そーだけどよ」
 隣に腰掛けると、よほど切原の落ち込みっぷりがおかしかったのか、宍戸は更に笑い続けた。
「そんな笑わなくてもいーじゃないっすか!」
「無理」
「無理とか言わないでください!」
 押さえつけるようにしがみつくと、ふと宍戸の真剣な目にぶつかった。もの言いたげな視線に、切原は咄嗟に口をつぐむ。
「俺は、」
「……?」
 何かを言いかけ、宍戸ははっとしたように口を閉じた。
「亮くん?」
「なんでもねえ」
 立ち上がると、宍戸はまとめたゴミ袋を勝手口の外に出す。
「もうこんな時間か。どうする?」
 一体何を言いかけたのか気になったが、宍戸が言いたくないなら無理に聞き出すことはしたくなかった。
 振り返った宍戸に、何も気づかない振りをして時計を見る。時刻は、既に19時をまわっていた。
「うわ、もー夜じゃないっすか!」
「だな」
 あっと言う間だったような気がしたが、意外と長居されたらしい。そういえば、まだ宍戸を自分の部屋へ案内していなかった。
「とりあえず、部屋行きます?」
「ああ」
 宍戸は、小さな袋を持っていた。恐らく、着替えなどが入っているのだろう。もしかして、自分へのプレゼントもあの中に入っているのだろうか。
 そう考えて、切原は一気に気持ちが浮上するのを感じた。そうだ、0時を過ぎれば自分の誕生日なのだ。
 宍戸は、一体自分に何をプレゼントしてくれるのだろう? つきあいだして初めての誕生日というものは、結構思い出になるものだと聞いたことがあった。
 早く、明日になるといいのに。
 そう思いながら、切原は自分の部屋へ宍戸を通した。


 ぐるりと室内を見渡し、宍戸が微かに笑った。部屋の中にはベッドと本棚、あまり使用されることのない学習机とコンポがある。一体、何を笑われたのだろう。
「な、なんすか?」
「あ? や、なんか『慌てて片づけました』って感じだと思って」
「そ、そんなことは……ありますけど」
 正直に答えると、爆笑される。
「てきとーに座ってください。なんか飲みます?」
「ああ」
 宍戸が床に座ったのを見て、切原は飲み物を取りに降りていった。
 なんにもやばいものは置いてないよな。なんだか不安になって、急いでキッチンへ向かう。
 この間先輩に貰ったエロ本は、確かベッドの下に隠したはずだ。まさかわざわざ覗いたりはしないだろうと思うのだが。
 見られて困る訳ではないが、こういうのが趣味なのかと思われると恥ずかしい。
 かちゃかちゃとグラスを鳴らしながら、切原は階段を駆け上る。勢いよく部屋の扉を開けると、宍戸が驚いた顔で振り返った。
 その手には、なにやら雑誌が握られている。
「亮くん、そ、それっ」
「お前びっくりさせんなよなー。あ、勝手に読んでる」
「勝手にって……」
 お盆を床に置き、切原は隅に座っていた宍戸に駆け寄った。
「な、なんだよ?」
 宍戸が雑誌を持ち上げ、表紙が目に入る。先週発売したばかりのテニス雑誌だった。
「なんだ……」
「はあ?」
 ぺたりと膝をついて、切原は安堵の溜息を漏らす。訳がわからないという顔をしていた宍戸が、なにかを思いついたという風ににやりと笑った。
「お前、隠してたエロ本見られたと思ったんだろ?」
「なっ」
 否定しようと上げた顔が、意志とは無関係に赤く染まる。宍戸が、やっぱりと頷いた。
「どこに隠してんだよ?」
「ぎゃっ! やめてください〜!」
 探す素振りを見せた宍戸に、背後からしがみつく。
「違うんす! 先輩に無理矢理押しつけられて〜! 俺は亮くん一筋っす!」
「……どんな言い訳だよ」
 呆れた声を出して、宍戸が身体の力を抜いた。久しぶりに感じる体温が心地よい。
「亮くん……」
 まわした腕に力をこめると、宍戸の指が切原の手を撫でてきた。くすぐったいような、気持ちいいような。
 じれったい感触に、鼓動が跳ね上がる。
 あー、どうしよう。いますぐキスしたい。押し倒したい。がっついてると思われるかな? いや、がっついてるんだけど。どうしようどうしよう。
 ぐるぐると考えながら、切原は宍戸の肩に軽く噛みついた。びくりと宍戸の身体が反応して、切原は我慢できなくなった。
 そのまま引き倒そうとしたとき、置きっぱなしだった携帯が派手な音を鳴らした。
「……」
「鳴ってるぞ」
「……はあ」
 間抜けな声を発して、切原は宍戸から手を離す。なんてタイミングだろうと苛立ちながら、携帯に手を伸ばした。
「もしもし?」
『赤也』
 聞こえてきたのは、少し掠れた特徴のある声。
「……仁王先輩!?」
 驚いて、思わず立ち上がってしまう。
『余裕のない男は嫌われるぜよ』
「は!?」
 なんでわかったのだろう、どこからか見ているのか? きょろきょろとあたりを見渡したが、窓にはカーテンがかかっているし、扉もきちっと閉められている。
『せめて日付がかわるまで我慢しんしゃい』
 笑い声が混じって、電話は切られた。
「な、な、な……っ」
「切原?」
「よけーなお世話だっ!」
 思いきり叫ぶと、切原はベッドに携帯を投げつける。全く、あの人はどこまで自分をからかったら気が済むのだろう。
「なに言われたんだよ?」
 宥めるように背を撫でられ、足下にやってきた宍戸を見下ろした。
「またからかわれたのか?」
「……」
 心配そうな顔の宍戸が目に入り、切原は胸が苦しくなる。
「なんでもないっす」
 座っている宍戸に目線を合わせると、今度は正面から抱きついた。宍戸の手が、ぽんぽんと叩くように頭を撫でてくれた。


 仁王の言うことに従った訳ではないが、その後は結局テレビを見たり話をしたりして過ごした。だらだらと過ごすのも、宍戸とふたりなら悪くない。
「そろそろ風呂はいるか?」
 時計を見て、宍戸が言った。床に転がっていた切原は、宍戸の膝に両手を乗せて顔を見上げた。
「俺、亮くんと一緒に入りたいっす」
 可愛らしく小首を傾げて主張してみたが、宍戸は嫌そうに顔をしかめる。
「なんすかその顔!」
「やだ」
「やだって! いーじゃないっすか、誕生日ですよ!?」
 しつこくお願いしても、宍戸が首を縦に振ることはなかった。ふてくされた切原を置いて、宍戸は風呂場に行ってしまう。
 あんなこともこんなこともした仲だというのに、なぜ一緒に風呂に入るのだけは嫌がるのだろう。風呂ぐらい落ち着いて入りたいと言うが、ほんとうにそれだけなのだろうか。
 そんな奥ゆかしいところも好きなのだが、お預けを喰らわされたようで哀しい。
 いっそのこと、乱入してやろうか。そんな考えが頭をよぎったが、せっかくの誕生日なのに喧嘩に発展してしまったらと思うと躊躇してしまう。
 ごろごろ転がっているうちに、うとうとしていたらしい。扉の開く音で目を覚ました。
「寝るなら風呂入ってからにしろよ」
「寝てませんって!」
 慌てて飛び起きると、Tシャツにハーフパンツ姿の宍戸が立っていた。まだ濡れた髪とか、うっすら染まった顔や手足だとか、見ているだけでどきどきしてしまう。
 食い入るように見つめていると、早くしろとせかされた。
「俺が戻るまで寝ないでくださいね!」
「わかったわかった」
 着替えを持って風呂場に急行すると、手早く服を脱いだ。いままで宍戸がいたのだと思うと、見慣れた浴室も神聖な場所に思えてくる。
「あー、やっぱ一緒に入りたかったなあ」
 そうだ、今度お金ためて温泉にでも誘ってみようか。温泉なら、嫌でも一緒に入るしかないだろう。
 それだ、とひとり頷いて切原は湯船に浸かった。


 体が温まったおかげか、さきほどまで拗ねていたのが嘘のように心が軽かった。浮かれた気分のまま、階段を上がる。
 扉を開けると、宍戸はベッドにもたれる形で座り込んでいた。片膝を抱えたポーズに、なんだか拒絶されているような気がした。
 急に温度が下がったようで、切原は自然と両腕をさする。宍戸は、何も言わずに視線を床に落とした。
 どうしたんだろう。自分が風呂に入っている間に、なにかあったのだろうか。どくどくと、心臓が落ち着かない。
 なんだか、この雰囲気はまるで──、
「閉めろよ。寒い」
「は、はいっ」
 言われるがまま、部屋の扉を閉める。振り返るのが、怖かった。
 だが、いつまでも背を向けている訳にもいかず、切原はぎこちない動作で宍戸を見る。
 宍戸は、硬い表情のままだ。
「幸村と」
「えっ?」
 不意に宍戸の口から飛び出した名前に、切原は目を見張った。
「さっき見送ったとき、ちょっと喋ったんだけど」
「は、はい……」
 もしかして、幸村が余計なことを言ったのだろうか? 幸村は、テニスの腕前だけは確かだったが、それ以外のことは人並み以下だった。よく突拍子もない提案をしては皆を困らせている。幸村が大好きな丸井は素直に従うし、柳などはそれを楽しんでいる節があったが、切原にとってはあまり関わりたくないことだった。
「ぶ、部長はなんて……?」
「いや、別に。たいしたことは話してねーけど」
 おろおろする切原に気づき、宍戸は伏せていた目を上げる。ふと、何かを思い出すように目元を和ませた。
「お前って、ずいぶんあいつらに可愛がられてんだなあと思って」
「へっ?」
 予想外の言葉に、切原は目を丸くすることしかできなかった。
 時計に目をやって、宍戸が呟く。
「そろそろだな」
 切原が見ると、もうすぐ日付がかわるところだった。宍戸は、一体何を考えているのだろう?
「座れよ」
 宍戸に促され、切原は正面に座り込む。ハーフパンツの裾から覗く宍戸の足が、心臓に悪かった。


 しばらく沈黙が続き、0時になったところで宍戸が口を開いた。
「誕生日だな。おめでとう」
「ありがとうございます」
 優しい視線を向けられ、少しだけ安堵する。だが、張りつめた空気はそのままだった。
「亮くん、」
「ごめん」
 唐突な謝罪に、切原は呆然とする。宍戸は、なにを謝っているのだろう?
 無意識に、膝の上で強く拳を握っていた。
「悪い。俺、今日プレゼント用意してねえんだ」
「え?」
 申し訳なさそうな顔で俯いた宍戸に、切原は瞬きを繰り返した。
 プレゼントを、用意していない。
 もしかして、だから宍戸はこんな顔をしているのだろうか。だから、こんなに空気が重いのだろうか。
 我に返ると、切原は慌てて首を振った。
「いいっす! そんなの、いいっす! 亮くんがお祝いに来てくれただけで、俺嬉しいっすから……」
 忙しくて買う暇がなかったのか、それとも何を買えばよいのかわからなかったのか。理由はわからなかったが、そんなことはどうでもよいことだった。
「切原……」
 宍戸が、何かを決意した目でこちらを見た。
「いろいろ見てまわったんだけど、何買えばいいかわからなくて」
 困ったように頭をかきながら、宍戸が語り始める。
「いや、お前が喜ぶだろうなってもんはわかるんだけど。お揃いのモンとか、……指輪とか、そういうのやれば、きっとお前は喜んでくれんだろうなとは思ったんだ」
「え……?」
 宍戸の言葉に、切原は顔を上げた。まさか、宍戸がそこまで考えていてくれたとは思わなかった。
 宍戸の誕生日に何をあげようと考え、思いついたのはお揃いのアクセサリーだった。同じものを身につけていれば、離れていても一緒にいるような気分になれる気がしたのだ。宍戸の嫌がる顔が目に浮かんで、その案は却下されたのだが。
 同じことを考えてくれていたのかと、切原はそれだけで嬉しくなった。
「そういう店に見に行ったりもしたんだけど、やっぱなんか違うなって気がして」
「違う?」
「ああ。そういう、形にして示せば、お前は安心するんだろうなって思ったけど。でも、そういうのは違うって思ったんだ」
 違うとは、一体どういうことだろう。宍戸は、何を言いたいのだろう? 見当もつかず、切原は黙って次の言葉を待つ。
「形にするよりも、まず言葉で示すのが先じゃねえかって思って」
 言葉で、示す。ぎゅうっと目を瞑って、宍戸は決心するかのように立てた膝を叩いた。宍戸の真っ直ぐな目が、切原を捉える。
「俺は、お前が好きだ。最初は、まとわりついてきてうぜえなって思ったりもしたけど、初めてお前に好きだって言われたとき、ああ、そうだったんだって思った。俺は、こいつのこと好きだったんだって」
 宍戸が、そんな風に思っていたなんて、初めて聞いた。勝手に一目惚れして、勝手に学校まで押し掛けて、勝手に後ついてまわって、告白して、押して押して押しまくって。半ば無理矢理振り向かせたようなものだったから、恋人になった今でも片想いしているようなつもりでいた。好きだと、何度も言われたのに。不器用で、あまりそういったことを口にしたがらない宍戸が、幾度も気持ちを伝えてくれていたのに、ちっとも実感などわかなかった。
「……ずっと一緒にいるとか、一生好きでいるとか、そんな約束は悪いけどできねえ」
 溜息のように、宍戸が吐き出す。つらそうに眉根を寄せ、一瞬伏せた目を上げた。
「でも、俺はお前のこと、ずっと好きでいたいって思う。お前と、一緒にいたいって気持ちが、ずっと続けばいいと思ってる。きっと、俺は一生テニスから離れることはできねえと思う。……そんな風に、お前のこともずっと好きでいたいって、思うんだ」
 言い終わって気が抜けたのか、宍戸は照れたように笑った。


 希望としてではなく、好きでいたいという宍戸の意志として言ってくれたのが、嬉しかった。
「亮くん……」
 胸がいっぱいで、言葉が出ない。何か言わなくてはと思うのに、震えてうまく喋れない。
 言葉のかわりに、涙があふれ出た。
「ばか。泣くなよ」
 優しい声音で言われ、背中に腕を回される。あたたかい身体にすがりついて、切原は泣き続けた。
「すげー、嬉しい。やばいぐらい。どうしよう、俺、どうしたらいいっすか?」
「なんだそれ」
 微かに笑う気配がして、お前はそのままでいいよと囁かれた。
「ありがとう、亮くん。亮くんの気持ち、俺、ちゃんと受け取りました。絶対返さないっす」
「ああ」
「俺も、ずっとずっとずーっと亮くんのこと、好きでいたいっす。誰よりも、きっと」
 回された腕に、力がこめられた。


 何より、テニスと自分を同じように考えてくれているのが嬉しかった。
 宍戸の中にはまずテニスがあって、自分はその次なのだとばかり思っていた。
 そして、宍戸にとってテニスと跡部は同義語なのだとも思っていた。
 一生テニスに、跡部に勝つことはできないのだと、どこかで諦めていたのだ。
 それなのに、宍戸はテニスを、跡部を追い続けるように、切原のことを好きでいたいと言ってくれた。
 指輪なんかより、もっと大切で、もっと尊いものをもらったような気がした。
 この世にたったひとつしかない、宍戸の気持ち。自分を想ってくれる、心。
 これ以上、何を望むことがあるだろう。
 もしもこの先、不安に思うことがあったとしても。今日貰ったものを思い出せば、絶対に大丈夫だという、そんな気がした。


【完】


2005 09/26 あとがき