時間とか距離とか(切原と宍戸)
 
 
「お邪魔しまーす」
 そう言って部屋へ入る切原に、宍戸が吹き出した。
 切原は顔だけ振り返ると、何を笑っているのかと首を傾げる。
 宍戸が、目に涙を浮かべながら口を開いた。
「だってお前。さっき家入るとき言わなかったくせに、何で部屋入る時になって言うんだよ?」
 言われて思い返すと、そういえば、玄関を入るときは言わなかったような気がする。
 宍戸が笑っているところからすると、別に礼儀知らずだと怒っているわけではないようだ。
 それに安心しながら、切原は照れ隠しに笑って見せた。
「や。だってやっぱ、こっちのが緊張するっつーか。ほんとにお邪魔します、って気がするっす」
「何だそりゃ」
 宍戸の家に入るときよりも、部屋に入るときの方が緊張する、というのは嘘ではなかった。
 部屋のそこかしこに宍戸の気配が感じられて、なんだかとてもどきどきするのだ。
 宍戸にはそれがわからないらしい、不思議そうな顔をされた。
 中へ入ると、まず目に付いたのは、先日発売したばかりのゲームソフトのケース。
 今はこれに熱中しているらしい、ゲーム機がテレビに接続されたままになっている。
 前回、半月ほど前に訪れたときにはなかったそれが、自分と宍戸との距離を示しているようで、切原は胸が締め付けられるような思いがした。
 自分が会えない間も、宍戸には宍戸の時間が流れている。
 そんな当然のことが、切原はとても哀しかった。
 ケースを見つめたまま黙り込む切原に勘違いしたのか、宍戸に遊びたいのかと聞かれた。
 まだ途中だけど、クリアしたら貸してやるよ。そう言われて、切原は微笑んだ。
「ありがとーございます」
「おお。……なに、甘えてんだよ?」
 お礼ついでに正面から抱きつくと、軽く頭を叩かれる。
 本気で嫌がっていないことがわかり、切原は嬉しくなって更にきつく抱きついた。
 まだ乾ききっていない髪に口づけると、恥ずかしい真似すんじゃねえ、と背中を叩かれる。
「いーじゃないっすか。だって、好きなんすもん」
「お前、ほんっとばかだよなー」
 時間とか距離とか、そういうことは考えないようにしよう。
 考えたからどうなるってもんじゃないし、今、目の前に愛しい人がいるのだ。
 そんなことに気をとられるなんて、時間の無駄遣いってやつだろう。
「成績はたいして変わらないでしょー」
「お前よりはいいっつの」
 機嫌良さそうに笑う口元に唇を押しつけると、照れたのか目元が赤く染まった。
 宍戸は照れると、怒ったような困ったような微妙な顔つきになる。
 なんてかわいいんだろう。口に出したら怒られるだろうから、そう心の中で呟いて。
 切原は、そっと宍戸の身体を床へ横たえた。
 宍戸はきれい好きという訳でもないが、元からあまり物がない部屋なので、床の上にこれといった障害物はない。
 だが、もしかしたら背中や腰が痛いかも知れない、そう思って切原はちらりとベッドに目を遣った。
 その時、室内に何かの曲が鳴り響いた。宍戸の携帯が、鳴っている。
 宍戸は切原を押しのけて電話をとると、メールだと呟いた。
 メールを読み終えると、宍戸はそのまま誰かへ電話をかける。
 俺がいるのに、電話するなんて! 切原は、少しショックを受けた。
 自分だったら、宍戸がいるときに電話なんて絶対かけたりしない。
 かかってきたとしても、絶対とったりしないだろう。例え、部長からでも。
 自分と宍戸の時間を邪魔する奴は、一体どこのどいつだ。
 切原が恨みがましい目で見つめると、宍戸は窓のほうを向いて話し出した。
「もしもし、忍足?」
 忍足というのは、宍戸のクラスメートで、部活仲間で、先程氷帝へ立ち寄った自分へ、宍戸は早退したと教えてくれた親切な人だ。あの人はいい人だから、少しぐらいは大目に見てやってもいい。
 そういえば、あの人は自分と宍戸の仲を知っていたっけ。
 宍戸が嫌がるだろうからと、切原は以前氷帝を訪れた際も、誰にもその話はしなかった。ただ、宍戸に用があるのだとしか言わなかったはずだ。
 と、言うことは。
 宍戸が、忍足に告げたのだろうか。
 切原は、宍戸の恋人であると。
 一体どんな顔をして、口にしたのだろう。
 どんな表情で、どんな言葉で。
 困ったようにだろうか、それとも、嬉しそうに?
 是非その場に居合わせたかったと、切原は悔しさに床を叩いた。
 その衝撃に、驚いた顔で宍戸が振り向いたので、切原は何でもないと手を振る。
 まだ、話は終わらないらしい。
 切原は少し退屈で、そして少し嬉しかった。
 電話が終わったら、聞いてみよう。
 どんな風に自分とのことを話したのか、その時どんな顔をしてみせたのか。
 待ちきれなくて、そっと背後から手を伸ばした。
 静かに抱きつくと、宍戸の身体が強ばったのがわかる。
 電話の最中に何かされるのかと、怯えているのかも知れない。
 そんなつもりはなかった。安心させるように、優しく手を回す。
 相手に何か言われたのだろう、宍戸は困ったように切原を一瞥すると、
「や。犬が。……ああ、ちょっと家入れてて」
 犬。……猫のようだと言われたことはあるが、犬だと言われたのは生まれて初めてだ。
 宍戸の家では、割と大きめの犬を庭で飼っている。用があると部活をさぼった手前、切原ではなく、その犬と一緒にいることにしたのだろう。
 なんだかおかしくなって、でも笑い声が聞こえてはまずいと、切原は笑いをかみ殺した。
 後ろで震えている気配が伝わったのか、宍戸が笑うなという風に口を動かす。
 
 
 少し乱暴に電話を切ると、宍戸が身体ごと振り向いた。
「お前、電話してる時にくっついてくんなっつの!」
「ちょーっと、淋しかったんす」
「……電話、だろ」
「電話、でも」
 悪いことをしたと思ったのか、宍戸が目を伏せる。
 その目元に口づけると、切原は微笑んだ。
「ねえ。俺のこと、何て言ったんすか?」
「え?」
「忍足さん。俺達のこと、知ってたみたいっすけど?」
「あ……。や、べ、別に?」
 何を思いだしたのか、宍戸が顔を赤くした。
 そんな、赤い顔をするぐらい恥ずかしいことなのだろうか。
 これはもう、時間をかけてゆっくり聞き出すっきゃないでしょう。
 
 
 
 
 切原は、頬を染めたままの宍戸を、満面の笑みで押し倒した。
 
 
 
 
 【完】
 
 
 
 
 
2004 05/22 あとがき