目撃者(立海大)
 
 
  宍戸という少年を目にしてからというもの、切原の頭は彼のことでいっぱいだった。
 この想いは勘違いなのでは、とか、男同士なのに、などという考えは初めからなく、ただただ、どうやったら彼を振り向かせることが出来るだろう、と一人思い悩んでいたのだ。
 元々理論的な思考の出来る切原ではないため、頭で考えるよりも行動に移したほうが良いという結論に達したのは、宍戸に出会ってから三日後のことだった。
 
 
 とにかく会いに行こうと決め、財布の中をのぞき込む。
 中に小銭が数枚しか入っていないことを確かめると、切原は肩を落とした。
 氷帝学園のある場所まで、片道だけでも千円近くかかるのだ。
 帰りは気にしないことにしても、これでは行くことすらできやしない。
「なに財布見てため息ついてんだよ? これだから貧乏人は」
 手にしたカップアイスを見せびらかしながら頬張る丸井を横目で見ると、切原はあることを思い出す。
 ぐいっと、力任せに丸井のジャージを掴んだ。
「な、なんだよ? アイスなら、仁王に買ってもらったんだからな! お前のとったんじゃねえぞ」
「奢ってもらったんなら、あんたこそ貧乏ってことじゃないっすか」
「んだと!」
 切原の突っ込みに、丸井が目を剥いた。
「丸井先輩? 確かこないだ、弁当忘れたっつって俺から金借りましたよねえ?」
「……あ?」
 切原からしてみたら、あれは貸してやったというより無理矢理とられたといったほうが正しい。
 形勢が不利なことに気づき、丸井はジャッカルを引っ張り出してきた。
「ジャッカルが返してくれるって!」
「は? 何で俺が……」
「お前俺に惚れてんだろ! 俺のためなら、そのぐらいしてみろい!」
「誰がいつお前に惚れたっていうんだ!」
 いつもならこの辺りで諦めるところだが、今の切原には、どうしてもお金が必要だった。
 丸井に貸した五百円さえあれば、氷帝まで行くことが出来る。
 そう思って丸井に詰め寄ろうとしたその時、背後から肩を叩く者があった。
「なんすか、仁王先輩。邪魔しないでください」
 仁王はポーカーフェイスで何を考えているかわからない上、比較的丸井を甘やかす傾向がある。
 丸井の味方をする気かと警戒すると、ポケットから財布をとりだしてきた。
「東京、行くがやろ」
「えっ」
 そっと千円札を差し出され、切原は反射的に受け取ってしまう。
 詐欺師の異名を持つ仁王のことだ、きっと何か裏があるに違いない。
 慌てて突き返そうとする切原に、仁王はいいからとっておけ、とどうしても受け取らなかった。
「そういうことなら、私も一枚噛ませてもらいましょうか」
「柳生先輩!?」
「五千円もか。リッチじゃのう」
 五千円札を財布から取り出すと、柳生は眼鏡を光らせて続ける。
「切原くん。君のテニスの腕前は確かですが、メンタル面がプレイに影響しやすいところがあります。早いところ落ち着いて、常に安定したプレイが出来るようになってください」
「……ええと……」
 もしかして、もしかしなくても。
 俺の気持ち、ばればれってことっすかー。
 ありがたく受け取りながら、切原はどこか釈然としない気分だった。
 自分は、そんなにわかりやすい人間なのだろうか。
 別に隠すつもりはなかったが、言う前から知れ渡っているというのもどうだろう。
 それなら俺も、とジャッカルもカンパに協力すると、見ているだけだった丸井が口を開いた。
「なになに、今日は皆で赤也を甘やかす日〜? んじゃあ俺も、これやる! 使いかけだけど、あと千円分くらい残ってるぜ」
 丸井がカバンから出してきたのは、言葉通り使いかけのパスネット。これがあれば、東京を走るほとんどの電車に乗ることが出来る。
 切原は皆から貰ったものを手にしながら、ありがとうございます、ありがとうございますと、選挙運動のように感謝の言葉をくり返した。そこへ、部室の扉が開き、真田が顔を覗かせる。
 真田は切原の周りに皆が集まっていることに驚いたのか、そのまま扉を閉めてどこかへ立ち去ってしまった。
「あれ? 今誰か来なかった?」
「……あのー、今、なんか、ひょっとして、ものすごい誤解されたんじゃ……」
「先輩達からお金を巻き上げる二年生エース、か」
「ぎゃー! やめてください! 殴られるのは勘弁っす〜!」
 お金を握りしめたまま、切原が顔を青ざめさせる。
 だが、予想に反して、その日真田が部活に姿を現すことはなかった。


「聞いてくれ幸村。今日、俺は大変なものを目撃してしまったんだ」
「へえ。何があったんだい?」
「いいか、落ち着いて聞いてくれ」
「ああ」
「昼休み、俺が部室に顔を出したところ、」
 余程言いづらいことなのか、真田はそこで言葉を切る。
 慣れている幸村は、のんびりと空を見上げながら次の言葉を待った。
「……赤也が、皆から金銭を貢がれていたんだ……」
「へえ! 赤也は、可愛いからなあ」
「う、うむ。だがな幸村、俺は、愛情をお金で買うような真似は、褒められたものではないと思うのだ」
「真面目だな、真田は」
「そうだろうか……」
「ああ。真田のそういうところ、好きだよ」
「そ、そうか……!」
 真田がその言葉にどれほど喜んでいるかなどこれっぽっちも気づかないまま、幸村は、相変わらずうちの部員は楽しそうでいいなあ、などと思っていた。
 
 
 
 
 【完】
 
 
 
 
 
2004 05/25 あとがき