闇に、思う。(切原と宍戸)
 
 
 閉じられた瞼に涙の跡を見つけ、切原は指先でそっとなぞる。
 くすぐったいはずなのに、宍戸はぴくりとも動かなかった。
 また、やってしまった。宍戸とセックスをするときは、いつもこうだ。
 会う機会が極端に少ないうえ、会うたびにするという訳でもなかったから、行為に慣れるということがない。
 最初の内は、今度こそ優しくしようとか、気持ちよくさせてあげたい、とか思っているのだが、いざ事が始まると、切原の意識は自分の快楽を追い求めることばかりに集中してしまって、宍戸への配慮というものがなおざりになってしまう。
 宍戸にとって、痛く苦しいだけでしかない筈の行為を、それでも受け入れてくれるのは。
 ……自分を、想ってくれているから故なのだと、うぬぼれてもいいものだろうか。
「亮くん、ごめんね……?」
 既に意識を手放している宍戸からは、何の返答もなかった。
 どうして、こうなのだろう。
 宍戸の隣に力無く横たわりながら、切原は考える。
 自分は、いつもこうだ。何かに夢中になると、それ以外のことは全く目に入らず、全て頭から抜け落ちてしまう。
 試合に夢中になるあまり、対戦相手を傷つけることさえあった。
 級友から、キレると手がつけられないと評されたことも、一度や二度ではない。
 好きだから、大切にしたい。
 好きだから、傷つけたくない。
 好きだから、いつだって笑っていてもらいたいのに。
 行為の最中、微かに覚えている宍戸の顔は、いつもつらそうに歪んでいた。
 どうすれば、いいのだろう。
 どうすれば、大切にできるのだろう。
 いくら考えても、答えは見つからなかった。
 それどころか、本当に自分はそう思っているのだろうかという疑問さえ浮かんでくる。
 本当に、大切にしたいと思っているのなら、幾らでも出来るものじゃないだろうか。
 自分がそれをしないのは、心からそう思っている訳ではないからではないだろうか。
 わざと乱暴にして、傷つけて泣かせて、この人にこんなことを出来るのは自分だけだと、優越感に浸っているのではないだろうか。
 ここまでしてもこの人は離れていかないのだと、確かめているのではないだろうか。
 切原は、自分が人よりも執着心が強いことを知っていた。
 切原にとっては、100か0のどちらかしかあり得ないのだ。
 全てが手に入らないなら、いっそ壊してしまいたい。
 そんな考えが、切原にはいつもつきまとっていた。
 宍戸の口から、自分以外の名前が出ることが許せない。
 宍戸の目が、自分以外を映すことが許せない。
 宍戸の耳が、自分以外の声を聴くことが許せない。
 どこかへ閉じこめて、自分以外と接することを出来なくしてしまいたい。
 宍戸が自分だけを見て、自分だけに笑いかけてくれたなら。
 いくらだって、優しくできるような気がする。
 いくらだって、大切にしてやれる気がする。
 こんな想いは、間違っている。
 こんな自分は、どこかおかしいに違いない。
 こんな自分を知ったら、宍戸は離れていってしまうだろう。
 だから、絶対ばれないようにしなくてはならない。
 こんな歪んだ想いは、心の奥底に閉じこめて。
 日が昇ったら、ちゃんと「可愛い年下の恋人」に戻るから。
 だから今だけ、あなたを独占する悦びに、浸らせてください。
 祈るように口づけると、宍戸がゆっくりと目を開けた。
「……あ」
 宍戸は、意外と大きな目で、じっと切原を見つめている。
 自分の気持ちを見透かされたようで、切原は戸惑った。
「俺、また気ぃ失った?」
「あ、う、うん」
「だっせー! あーもう、ほんっとダセえんだけど」
「そんなこと、ないよ」
 顔を顰める宍戸に、切原は身体を起こして言った。
 乱暴に扱ってしまったのは、自分のほうなのだ。
 ごめんと謝ると、宍戸が顔を上げた。
「なにが?」
「あの、俺、途中から訳わかんなくなって……」
「あー。いいよ別に。いつものことっつーか、今更?」
「うっ」
 ちくりとやられて、切原は眉根を寄せる。
 怒っている訳ではないようだが、やはり痛みが酷いようで、宍戸はつらそうに息を吐いた。
 切原は、何も出来ずにただ見つめている。
 宍戸が、ぽつりと何かを呟いた。
「え?」
「こうなるってわかってんのに、なんでやっちゃうのかねえ」
 自嘲するように言う宍戸に、切原は何も答えられなかった。
 お前は、と聞かれ、無意識に俯いていた顔を上げる。
「お前は、気持ちいい? 俺と、やっててさ」
「……んっ。うん、うん、最高っす!」
 切原が勢いよく頷くと、宍戸が笑った。
「あっそ。んなら、まあいーか」
「え?」
「お前がいいなら、俺もいい。だってやっぱさ、……好き、だもんな?」
「亮くん……っ」
 はにかんだように笑う宍戸に、切原は胸が苦しくなる。
 なんだか、受け入れてもらえたような気がしたのだ。
 自分のことしか考えられないこんな自分を、そのままでいいからと、そう言われたような気が、した。
「亮くん、亮くん……」
「ばーか。お前、何泣いてんだよ?」
 すすり泣く切原の頭を、宍戸の手が抱き寄せてきた。
 慈しむように撫でられ、更に涙があふれる。
「好き、大好きっ。ほんとに、好きなんだ……」
「ああ。わかってるって」
 その優しい声音に、暗く、淀んだ想いを抱えた自分ですら、甘受されているような錯覚に陥る。
 いつかまた、闇に沈みそうになることがあったとしても、きっと。
 この人がいれば、大丈夫だと、そう信じて。
 
 
 
 
 【完】
 
 
 
2004 05/30 あとがき