続・ジャッカルの災難(立海オール)


 普段ならわいわいと賑やかな昼休憩。今日は、皆の弁当を咀嚼する音だけが響いていた。
 静まりかえったベンチに、時折誰かの鼻をすする音が聞こえる。ハンバーグを口に入れたまま、切原はちらりと横目で音のするほうを見た。
 丸井が、目に涙を浮かべたままもぐもぐと口を動かしている。隣に座った柳生は、こぼれ落ちる前に涙を拭ってやった。
「丸井くん。いいかげん、泣きやんでください」
「だって、だって……」
「口にものを入れたまま喋らない」
 柳生が軽く音を立てて丸井の手を叩く。柳生はああやって丸井の世話を焼いては、世間一般の常識というものをたたき込もうと頑張っているようだが、相手が相手なため一向に効果はなかった。
「そうっすよ。いちいち鼻すすられたんじゃ、食欲なくなっちまうっす」
 これ幸いとばかりに切原は便乗したが、当の丸井は弁当に目を落としたまま聞いてないようだった。
「意外と繊細なんやね」
 逆隣に座った仁王がからかうように笑ったので、切原はムキになって反論する。
「意外ってなんすか、意外って! 俺は生まれつきデリケートなんです!」
 だが、仁王はおもしろそうに切原を眺めてくるだけだ。
「赤也は、もんじゃ食うとるときゲロの話したら食えなくなるタイプじゃな」
「げっ!」
「あと、カレー食うとるとき下」
「もういいっす!!」
 いかにも楽しんでますという表情の仁王に、からかわれているのだと気づいて切原は怒鳴る。切原の反応に、仁王が声をあげて笑った。
 自分がむきになればなるほど仁王を楽しませてしまうのだ。そう思って、切原はぐっと堪える。
 とりあえず弁当を片づけようと目を落として、おかずが殆どなくなっていることに目を見張った。
 おかしい。自分は、そんなに食べた覚えはない。丸井の出す音が気になって、なかなか食べられずにいたのだから。
 仁王と話しているときに落としたのだろうかと地面を見ても、そんな形跡はなかった。
 一体全体、どこに消えてしまったのだろう。切原が呆然としていると、隣で柳生が丸井を叱りつけた。
「丸井くん、そんなにお肉ばかり食べてどうするんです。ちゃんと野菜もとって。それから、前から思っていたんですけど、君はちょっと過剰に栄養を摂取しすぎです」
「うー……」
 柳生に叱られても、丸井は獣じみたうなり声をあげるだけだ。目尻には、まだ涙がたまっていた。
 ため息を吐いた柳生がタオルでまたそれを拭うのを見るともなしに見ていて、切原はふと丸井の食べているものに目を止めた。
 小さくて丸い形の、お弁当用ハンバーグ。それは、どう見ても先ほどまで切原が食べていたはずのものだった。
「……あー! あんた、なに人のおかずとってんすか!」
 慌てる切原に、丸井が首をかしげる。
「だって赤也、食欲無いっつってたじゃん」
 丸井は、人の話を聞いてないようで聞いていたらしい。しかも、自分に都合良く解釈してしまっている。
「だからっ! それはあんたのたてる音が気になって、ってゆってんじゃないすか! なに図々しく人のもん食ってんすか!」
「いるの?」
「当たり前でしょう」
「んー」
 当然だと切原が頷くと、丸井は口の中のものをはき出そうとした。
「ぎゃー!! 気持ち悪いことすんな!」
「いるんだろい?」
「あんたねえ……」
 少しも悪びれない様子で言う丸井に、切原は一気に脱力する。
 これ以上、何を言っても無駄だろう。諦めると、切原はこれ以上丸井を視界に入れたくないと身体を逆に向けた。
 と、逆隣に座っていた仁王が、腹を抱えている。そこで切原は、とある可能性に気づいた。
「……あんた、知ってて黙ってたんすか?」
 自分と話していた仁王なら、丸井が弁当のおかずを盗むところを見ていたはずだ。
 まだ笑ったままの仁王が、ようやく気づいたのかという風にウインクしてくる。
「丸井、泣いとうから」
「信じらんねえ……」
 もしかして仁王は、丸井が盗みやすくするため、わざと自分の気を引こうとあんな話を振ってきたのだろうか。
 きっとそうなのだろう。丸井には甘い仁王のこと、あり得ない話ではない。
 はっきりと言葉にすれば、言い負かされるのは目に見えている。切原は口の中でぶちぶちと文句を言いながら、残った白飯に手をつけた。
 さすがに悪いと思ったのか、仁王が自分の食べていたサンドイッチの残りをくれた。
 仁王のくれたサンドイッチは、チーズとサーモンがはさまれていてとても美味しかった。切原がしばしその味を堪能していると、背後から丸井の呟きが聞こえてきた。
 まだ口にものが入っているようで、何を言っているのかよくわからなかったが、どうやら買い出しに行ったきり戻らないジャッカルの身を案じているらしい。
 一度病人の介抱をしているので遅くなると連絡が入ったものの、それきり音沙汰がないので心配になったらしく、丸井は昼休憩に入ってからずっと泣きやまずにいる。
 それでも食べることだけは忘れないところが、さすが丸井と言うべきか。
「大丈夫です、すぐ戻ってきますよ」
 丸井の声が聞こえたのだろう、柳生がそう慰める。切原が振り向くと、丸井が相変わらず涙を溜めた目で柳生を見つめているところだった。
「ほんとに?」
「本当です」
 だからもう泣きやんでくださいと言う柳生に、丸井はようやく笑顔を見せる。つられるように、柳生も笑みを浮かべた。
 ふと気づくと、周囲にいた他の者も穏やかな顔をしている。丸井の笑顔には、見るものを幸せな気分にさせる力があるのかも知れない。
 だから、あれだけやりたい放題にしても皆から見放されないのだろうか。全く得な人間だと、切原は少し羨ましくなった。
 自分が丸井のような人間なら、あの人も少しは好いてくれるだろうか。
 思い人の困ったような顔を思い浮かべ、切原は首を振った。
 あの人を好きになったのは、他ならぬ自分自身なのだ。自分を好いてもらわなければ、なんの意味もない。
「あー、会いてえなあ……」
 会ったからといって何をするでもなく、ただ後をついてまわるだけなのだが。それでも、会いたいという気持ちは変わらない。
 彼は今頃、何をしているのだろう。やはり部活だろうか。そういえば、今日は練習試合だと先週押し掛けた際に聞いたような。
 練習試合は、一体どこでやっているのだろう。しつこく訊ねたのだが、結局教えてもらえなかった。
 意識せずため息をつく切原に、仁王が大丈夫かと声をかけてくる。切原の事情は何故か部内に知れ渡っているため、心配してくれたのだろう。
「あんまり大丈夫じゃないっす」
 心の中で感謝しながら、切原は仁王に向けて頭を傾けて素直に甘えてみる。仁王が、よしよしと大げさに頭をなでてくれた。
「あっ! ジャッカル〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 突然ベンチの上に立って叫んだ丸井に、周囲の視線が集まる。校舎の陰から、ジャッカルがやってくるのが見えた。
 ベンチから飛び降りると、丸井がすぐさまジャッカルへ飛びつく。
「危ねえな。……なに泣いてんだ?」
「どこまで行ってたんだよ〜!!! だから迷子になるなっつったろう!!」
「いや別に、迷子になったわけじゃあ……」
 反論しながらも、丸井が心配してくれていたことを悟って、ジャッカルは悪かったと頭を下げた。
「お疲れさまです。ずいぶん遅かったですね」
 ジャッカルから買い出しの荷物を受け取ると、柳生がそう訊ねる。
「病人とやらは、大丈夫だったのか?」
 珍しく他人を気遣う真田に、ああとジャッカルが答えた。
「病人じゃなくて、なんか寝てただけらしくって」
「寝てた?」
 柳が眉をひそめると、ジャッカルはまだくっついてくる丸井を引きずりながらベンチへ近づいてくる。
「なんだっけ、ほら氷帝の」
「ああ。芥川慈郎といったか」
「そう、それ。なんか練習試合にきたらしいんだけど、迷子になったみたいで」
「わざわざ送ってやったんか。ジャッカルらしいのう」
 皮肉げに笑ってみせる仁王に、苦笑しながらジャッカルは喉が渇いたとペットボトルに口を付けた。
「だから! 知らない奴についてっちゃだめだって言ったのに!」
 突然怒り始めた丸井に殴られながら、ジャッカルは慌てて否定する。
「知らない奴じゃないって!」
「氷帝の芥川くんといえば、丸井くんのファンだとおっしゃっていたかたですよね」
「俺の?」
 きょとんとした顔で動きを止めた丸井に、仁王が宥めながら説明する。
「東京に地区大会見にいったときに会うたろーが。握手してくださいちゅうて」
 仁王の言葉に、思い出したのか丸井が目を大きく開いた。
「あー! 金髪のちびか!」
 あまり人のことを言えない丸井が、わかったと叫ぶ。
「……赤也? どうしちゅう」
 ずっと黙り込んでいる切原が気になったのか、仁王が顔をのぞき込んできた。それをきっかけに、切原はぎろりとジャッカルを睨み付ける。
「赤也? 何怒ってんだ?」
「あんた、……あの人に会ったんすか」
「あの人? ああ、宍戸とかいう……」
 ジャッカルがさきほど目にした姿を思い返しながら言うと、切原の目がさらにつり上がった。
 いち早く切原が怒っている理由を察した仁王が、丸井の手を引いてそっとその場から立ち去る。柳生と柳が、その後に続いた。
「あんた、俺に内緒であの人に会うだなんて、一体どういうつもりなんすか。まさかあんたも狙ってるとかいうんじゃないでしょうね?」
「は? ちょっと待て赤也、なにがどうなってそんな話になるんだ!?」
 どうやら完全に怒ってしまっているらしい赤也を前に、救いを求めてジャッカルはあたりを見渡したが、その場に残っていたのは、何もわかっていない真田だけ。
 距離を詰めてくる切原を見ながら、ジャッカルは顔を青ざめさせた。


【完】


2004 12/06 あとがき