18:可愛い人(跡部と宍戸とジロー)
 
 
 
 ピアノの旋律に耳を傾けながら、ジローはソファーでまどろんでいた。
 不意に、弾き方が変化したような気がしてジローが顔を上げると、跡部の真剣な面もちが目に入る。
 一体何を考えているのだろう、穏やかなはずのその曲が、ジローの耳にはとても情熱的なものに聴こえてきた。
 跡部は、時々こんな風にピアノを奏でることがあった。
 それを耳にする度、ジローはなんだか落ち着かない気持ちになるのだ。
 跡部は、きっと。
 
 
 遠慮がちなノックの音が響いて、跡部は手を止める。
 事前に跡部の意向を聞かず部屋まで通ることを許される人物は、ジローの他に一人しか存在しなかった。
「入れ」
 居丈高にそう言い放つ跡部に、素直じゃないとジローは苦笑する。
 顔を覗かせたのは、予想通り二人の幼なじみである宍戸だった。
「亮ちゃん、いらっしゃ〜い!」
「ジロー、来てたのか」
 ジローが飛びつくと、宍戸は驚きながらも受け止めてくれる。
 すりすりと頬をすり寄せたら、背後から咳払いが聞こえてきた。
 えへへ、と笑って、ジローは宍戸から離れると、跡部のいるほうへ押しやる。
 跡部はピアノの前に座ったまま、宍戸を見ていた。
「ふん。久しぶりにやって来たかと思えば、手みやげの一つもねえのか」
「なっ。お前なあ……」
 跡部の言いぐさに、宍戸は呆れたような顔をする。
 自分はいつも手ぶらで遊びに来るが、何も言われたことはないのに。そう思って、ジローは声をあげて笑った。
 宍戸が来てくれて、跡部はきっと嬉しいのだ。すごーくすごーく嬉しいはずなのに、それを素直に口に出来ず、つい憎まれ口を叩いてしまう。そんな跡部を、ジローは可愛いと思う。
 
 
 ジローが笑っているのに目を止め、跡部は顔を顰めた。
 それから、宍戸に座れと命じる。反発するかと思われた宍戸は、だが素直にジローの隣に腰を下ろした。
「何か飲むか」
 二人の向かいに座った跡部がそう訊ねたが、宍戸はいいと断る。
 忍足の家で散々飲み食いしてきたと付け加えたので、跡部の目つきが険しくなった。
 テーブルに用意されていた菓子類へ手を伸ばしながら、ジローは跡部こええ、と思う。
 それから、今日も亮ちゃんは忍足の家へ行ったのか、とも。
 
 
 部活を引退してから、宍戸が毎日のように忍足の家へ遊びに行っていることを、ジローは知っていた。多分、跡部も知っているのだろう。
 跡部が何曲も続けてピアノを弾くときは、決まって何か口に出せない想いを抱えているときだ。言葉にするかわりに、メロディに気持ちを乗せるのだろう。だから。だからジローは、跡部のそんなピアノを聴くと、落ち着かない気持ちになるのだ。
「何しにきた」
 忍足と何かあったのか。言外にそんなニュアンスを含ませ、跡部が問いかける。
 宍戸は相談がある、と言ったきり黙り込んだ。
「亮ちゃん、俺いないほうがいい?」
 もしかして邪魔だろうか。ジローがそう訊ねると、宍戸は驚いたような顔で振り向いた。
 首を振りながら、
「ばーか。何気ぃつかってんだよ」
 そう笑うと、宍戸はジローの頭を軽く叩く。
 痛い、と言いながらジローも笑った。
 
 
 隣にいることを許されたので、ジローはきちんとソファーへ座り直した。
 それを見た跡部が、続きを促す。
「あー、なんつーか、忍足のことなんだけどよー」
 忍足の名前に跡部があからさまな反応を見せたので、ジローは内心とても愉快な気持ちになった。
 亮ちゃんって、ほーんと跡部を怒らせる天才だよねえ。これでわかっててやってんじゃないっつーんだから、マジ感心する。
 ジュースのお代わりををねだると、ジローはちらりと跡部と宍戸の顔を見比べた。
 
 
 跡部は不機嫌な様子を隠そうともせず、眉間に皺を寄せている。対する宍戸は、困っているような戸惑っているような、なんとも言えない顔をしていた。
「忍足が、どうしたって?」
「どうしたってゆーか、なんつえばいんだろーな」
 言い淀む宍戸に助け船を出そうと、ジローは口を挟む。
「忍足に、なんかされたの〜?」
 跡部が、今にも宍戸に掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出した。
「いや、なんかされたっつーか。別にされてねえんだけど、」
「けど?」
 どう話せばよいのか迷っているのだろう、宍戸は首を傾げつつ言葉を続ける。
「忍足がまた女に告られたとか言ってて、んで、なんか知らねえけど、……俺が忍足とつきあうことになった、っぽい」
「何だと? 一体なんだってそんな話になってんだ! ああ!?」
「いや、何か、話の流れ?」
「どんな話の流れなら、そういう展開になるってんだ!!」
 怒鳴り散らす跡部とは対照的に、宍戸はきょとんとした顔をしていた。
 ジローが思うに、多分忍足とつき合うことの意味が、よくわかっていないのだろう。
 その後の宍戸と跡部の会話から、どういった経緯でそんな話になったのか、なんとなくだが飲み込めたような気がした。
 
 
 全く、忍足は上手いことをやったと思う。
 宍戸は基本的にテニス以外のことに頓着しない男なので、機会さえあれば丸め込むことなど簡単なことだ。
 忍足は、宍戸のそんな性格をちゃんと把握していたのだろう。
 
 
 跡部には悪いが、ジローとしては相手が忍足だろうと別段構わなかった。
 宍戸が、それで幸せになれるのなら。
 忍足とつきあってみて、無理だと思ったら素直にそう言うだろう。
 宍戸を止めるのは、それからでも遅くはない。
 何故ならジローの知っている忍足は、その気のない人間に無茶なことはするような男ではなかったから。
「ジロー! てめえも何か言ってやれ!」
「え〜? 俺は、別にいいと思うよ〜? 忍足ちょういい奴だし、亮ちゃんに嫌なことはしないと思うなあ」
「てめえ……、どっちの味方だ」
 予想外の返答だったのだろう、跡部は射殺しそうな視線をジローへ向けてきた。
 ジローにとっては全く予想通りの行動だったので、にっこり笑ってこう言ってやる。
 
 
 
「決まってんじゃん? 俺は、亮ちゃんの味方だよ〜だ」
 
 【完】
 
 
 
 
 
 
2004 03/21 あとがき