51:始業式(日吉と宍戸)
 
 
 
 短い冬の休みが終わった、最初の登校日。
 宍戸亮は、一つ下の後輩である日吉若に迫られていた。
「日吉?」
 宍戸が戸惑ってみせても、日吉は黙り込んだままでいる。
 見つめてくる視線は、普段からは考えられないような穏やかさだ。
 だけれど、その穏やかな中にも鋭い光が宿っているのは、さすが日吉だと思う。
 
 
 いやいや、んなこと考えてる場合じゃなくって!
 宍戸は心の中で自分に突っ込むと、とりあえず現状をどうにかしなければと考えた。
 
 
 場所は、テニス部の部室。
 始業式やHRが終わり、解散と言われたその足で宍戸はここまで来た。
 特に用事や約束があったわけではない。
 ただ、気が向いたとしか言えなかった。
 夏で引退した宍戸のロッカーは、既にここにはない。
 それでも、扉を開け、中へ入った。
 自分たちが去った後の様子を、知りたかったのかもしれない。
 だが、その行動が、今となっては悔やまれる。
 
 
 中へ入り、物珍しげに辺りを見ていたら、突然扉が開いた。
 今日は活動はなかったはずだと、驚いて振り返ると、そこには日吉が些か驚いた面もちで立っていた。
 日吉は現部長であるから、何か用があって来たのかも知れない。
 それから、二人は挨拶を交わした。
 日吉の態度も、別段おかしなところはなかったはずだ。
 それなのに、宍戸が置いてあった雑誌をめくっていると、何の脈絡もなく言ってきたのだ。
 
 
 曰く、あなたが好きです、と。
 面食らう宍戸にはおかまいなしに、日吉は続けた。
 休み中、ずっとあなたのことばかり考えていた。理由がわからなくて、何故なのだろうと疑問だった。でも、今あなたの顔を見たらはっきりした。俺は、あなたが好きです。
 日吉は古武術を嗜んでいたが、決して力ずくで宍戸をどうこうしようとした訳ではない。
 それでも宍戸は、気圧されたのか後ずさった。
 宍戸が後退する分日吉が近づいてきたので、最終的にはロッカーに背中をつける形となった。
 それでもなお、日吉は宍戸の前からどこうとしない。
 本人にその気はないのかも知れないが、宍戸の逃げ道をふさぎ、立ちふさがっている。
 
 
 思い返してみても、自分の行動の何がいけなかったのかわからない。
 宍戸には、日吉に告白される覚えも、迫られるような覚えもなかった。
「日吉、お前さあ、俺のこと嫌ってたんじゃねえの?」
 そうだ。宍戸は、自分が口にした言葉に頷いた。
 元々自分は、口が悪いせいか後輩からのウケが良くない。(長太郎は例外として)
 特に日吉とは、お互い不器用なせいで上手く意志の疎通がはかれず、どちらかといえば嫌われていると思っていた。
 事実、日吉と顔を合わせるときは、常に嫌な顔をされた覚えがある。
「俺も、そう思ってました。あなたを見ると、すごく苛々した」
 真顔で頷く日吉に、宍戸は一瞬呆れた。本人の前で堂々と言わないだろ、普通。
 だが、日吉は静かな口調でこうつけくわえた。
「でもそれは、きっとあなたが遠かったから。ほんとうは近くにいて欲しいのに、とても遠い存在だったから。だから、苛々したんだと思います。あなたのせいじゃない」
 異性からの発言なら殺し文句と言ってもよいであろう台詞に、宍戸は顔を赤くする。
 なんと言い返せばよいのか、わからない。
 好きって、やっぱりそういうことなのかよ……。
 今の今まで、実は恋愛感情ではなく、憧れているという意味なのではないかと希望を抱いていたのだが、それも砕け散った。
 残されたのは、日吉が自分を好いているという事実だけ。
「俺は、……別に、お前のこと嫌いじゃねえけど。でも、そんなん考えたことねえし、その」
「は?」
 宍戸が俯きながらもごもごと呟くと、日吉の怪訝そうな声が帰ってきた。
 顔を上げると、日吉は、眉をひそめていた。それから、ああ、と言った。
 宍戸から少し身体を離すと、日吉は苦笑する。
「俺は別に、あなたにどうしてくれと言った覚えはありません。ただ、自分の気持ちを伝えただけです」
 日吉の言葉に、宍戸ははっとした。
 そういえば、好きだとは言われたが、つきあってくれとは言われなかったような。
 それでは、日吉は一体どういうつもりなのだろう?
 想いを伝えるだけで、満足したのだろうか。
 宍戸の視線に、日吉は瞬間目を揺らめかせた。
「……俺はただ、今までわからなかった感情をようやく理解できたので、口にしたまでです。別に取って食おうなんて思ってませんから」
 鳳じゃあるまいし、と日吉は小さく続けたが、幸か不幸か宍戸の耳には入らなかった。
「それで、満足なのか? 伝えただけで? それで、何の意味があるんだ?」
「意味?」
「普通、つき合って欲しいからするもんじゃねえのか? 告白って」
 宍戸がそういうと、日吉は軽く笑った。
「あなた、俺とつきあうつもりなんですか?」
「なっ」
 そういう意味じゃねえよ、と宍戸が慌てると、日吉はわかってますと答えた。
 それから、落とした視線を再度宍戸に向け、
「俺は、永遠の愛とか、そんなもの信じていないから。今あなたを好きだと思う気持ちは、もしかしたら明日にはなくなってしまうかも知れない。でも、だからこそ、伝えたいと思ったんです。今、あなたを好きだと思う、この気持ちを」
 日吉の真っ直ぐな視線に、宍戸は心臓を射抜かれたような気がした。
 勝手に紅潮する頬を、高鳴る胸の鼓動を、止める術なんて知らない。
 
 
 それだけ言いたかったんです、と部室を出ていこうとする日吉を、宍戸は呼び止めていた。
 
 
 
 【完】
 
 
 
 
2004 01/10 あとがき