16:学ラン(千石と宍戸)


「あった!」
 目当ての品物を見つけ、宍戸は思わずそう口に出していた。
 好きなバンドのCDアルバムを予約し忘れていて、慌てて店に駆けつけたところ、なんとか最後の一枚を手に取ることが出来たのだ。初回版にはボーナストラックがついているという話なので、それもまたどうしても入手したい理由の一つだった。
 アルバムを片手に意気揚々とレジに向かい、財布を出したところで、お金が足りないことに気づいた。そういえば、体育があったせいで弁当だけでは足らず、パンを買ったような。
 今日に限って、いつもついてくる長太郎やジローはそばにいなかった。長太郎はまだ二年なので部活があったし、ジローを起こしている間に売り切れたら、と置いてきてしまったのだ。
 銀行には、まだいくらか残っていたはずだ。
 取り置きしてもらえるだろうかと思ったその時、脇から伸びてきた手が不足分のお金をレジへ置いた。
 驚いて振り向くと、派手な色の頭が目に入る。その頭と、真っ白い学ランに、宍戸は見覚えがあった。
「ありがとうございました」
「え、あ、……」
 宍戸が驚いている内に会計は終わっていたようで、赤い袋とおつりを渡される。
 反射的に受け取って、どうしたものかと宍戸はもう一度振り返った。


 店の前のガードレールに腰掛けると、男は黙ったままの宍戸を見上げる。
「あ、もしかして怪しんでるー? 俺は、山吹中の」
「千石だろ」
「おお、知っててくれたんだ! 俺ってば、もしや有名人?」
「そりゃ、有名だろ……」
 あの、跡部と同じく、ジュニア選抜に選ばれた程の腕前なのだ。テニスをしている身で、知らない奴などいないだろう。
 そっかそっか〜、と笑う千石を、宍戸は苛ついた気持ちで睨みつける。
 宍戸は、千石に対してあまり良い感情を抱いていなかった。
 以前一度だけ、千石を間近で見たことがあった。
 関東大会で、偶然会った跡部に話しかけてきたのだ。その馴れ馴れしい態度に辟易したのか、跡部はろくに返事もせず行ってしまったが、 宍戸の記憶には残っていた。千石イコール、見かけ通りの軽薄な男として。
 テニスに情熱を傾ける宍戸としては、千石の浮ついた態度が気に入らなかった。
「なんで、金貸してくれたんだ?」
「えー、だって、きみ跡部くんのお友達でしょ〜? それに、困ってる人がいたら助けたいって思わない?」
「そりゃあ、まあ……」
 意外とまっとうなことを言う千石に、宍戸は少し考えを改めた。自分が思っていたより、悪い奴じゃないのかも知れない。
 だが、それも千石が次の言葉を発するまでのことだった。
「えーと、きみは確か、ジローくん、だよね?」


 待って、という声は聞こえなかったことにして、宍戸は早足で歩き続ける。
 その後を、千石が懸命に追ってきていた。
「ごめんってば〜! ええと、じゃあ、おーとりくん?」
「……」
「違った? んーと、むかひくんだ!」
「……」
「あー、おしたりくん?」
「あんな変態と一緒にするんじゃねえ!」
 忍足の名を呼ばれ、宍戸は千石を怒鳴りつける。常人なら後ずさる宍戸の迫力に、だが千石は動じなかった。
「あ、やっとこっち向いてくれた〜」
 無邪気に笑う千石に、宍戸は肩を落とす。こいつはきっと、ジロータイプの人間だ。つまり、人の話を聞かない。
 宍戸は観念すると、
「宍戸。宍戸、亮」
「あ、宍戸くんか〜! そっかそっか、大丈夫、もう覚えた!」
「べつに、覚えなくてもいーけどよ」
 宍戸が苦笑してみせると、千石は何かを発見したかのように顔を輝かせた。
 それから、宍戸の片腕にしがみついて、
「お返し、してほしーんだけど」
そう耳元で囁いた。


「ん〜、天気がいいと気持ちいいね〜!」
 公園のベンチで、千石は大きく伸びをした。まるでどこかの誰かを見ているような気分になって、宍戸は軽く笑みを浮かべる。
 それに気をよくしたのか、千石は食べて食べてと買ってきたばかりの包みを広げた。
 宍戸はハンバーガーを受け取りながら、全くおかしな状況だと首をひねる。
 自分の意志ではないとはいえ、お金を借りたのはこちらのほうなのに、何故か一人で食べるのは淋しいからと、ファーストフードまで奢られてしまった。
 お腹が空いていたのは事実なので、ありがたいことは確かなのだが。
 隣を見ると、千石は美味しそうにポテトをくわえていた。
 その身を包む学ランの白さが目に付き、汚しはしないだろうかと他人事ながら心配になる。
 だがいつものことなのだろう、千石は上手にこぼさないよう食べていた。
「どうかした?」
「あ、いや、その、服汚れねえかなと思って」
 じっと見ていたことに気づかれ、宍戸は顔を赤くする。
 と、千石が何やら嬉しそうに笑った。
「あー、これねえ、結構大変よ? パンツ透けるし」
「白はねえよな」
「だよねー。しかもさあ、男は学ランなのに女子はセーラーじゃないんだよ?」
「うわ、ありえねー」
「でしょ?」
 ひとしきり制服の話で盛り上がったところで、日が傾いてきた。ちょうど二人の座るベンチの辺りは陰になり、宍戸は肌寒さに震える。
「んー、そろそろ帰ろっか。CDも聴きたいっしょ?」
「あー」
 千石に指摘され、宍戸は初めて買ったばかりであるCDの存在を思い出した。確実に手に入れようと、店まで走ったはずなのに。
 どうやら自分は、千石と過ごす時間をそれなりに楽しんでいたらしい。人見知りという程ではないが、あまり社交的ではない宍戸にしては珍しいことだった。
「宍戸くん?」
「……帰るか」
 千石が不思議そうに宍戸の顔をのぞき込んできたので、慌てて立ち上がる。それに倣って、千石も立ち上がった。
 ゴミを丸めると、近くのゴミ箱に放り投げる。上手い具合に中へ落ちたので、宍戸は感心した。
 千石は得意げに胸を張ると、何かに気づいたのか、あ、と言った。
「千石?」
「ネクタイ、ほどけてるよ」
「ああ、サンキュー……」
 胸元へ手を伸ばされ、近づいた明るい頭に、宍戸は身体を固くした。ここまで他人と近づくことは、あまりないような気がする。
 千石は気にとめないのか、少しかがんで宍戸のネクタイを弄っている。パーマなのかくせっ毛なのか、柔らかい髪が顔に当たってくすぐったかった。
 木漏れ日が反射した髪を、素直に綺麗だと思う。髪を染めることに興味はなかったが、こいつには似合っているような気がする。
 宍戸がしばらくじっとしていると、ようやく千石の頭が動いた。
 するり、と何かが動いた感触に、宍戸は目を遣る。
 千石の手には、宍戸のネクタイが握られていた。
「あ、何ほどいてんだよ!」
「いやあ、はっはっは」
 宍戸が咎めると、千石はネクタイを振り回しながら笑った。
「実は俺、ネクタイ結んだことないんだよね〜」
「は?」
「今度会うときまでに、練習しとくよ。じゃあね!」
 そう言うと、引き止める間もなく千石は走り出した。
 その手には、未だに宍戸のネクタイが握られたまま。


 遠ざかる背中を、宍戸は呆然と見つめていた。
「今度って、……いつだよ……」
 考えてみたら、千石の家も電話番号も、下の名前すら知らないのだ。これは、学校まで来いということなのか? それとも、向こうから来るということなのだろうか。


 次々と浮かぶ疑問に答えは見つけられず、宍戸は力無くベンチに座り込んだ。



 【完】


*このお話は、私に千石×宍戸というCPがあることを教えて下さったW様に、こっそり捧げたいと思います。ありがとうございました!*


2004 01/03 あとがき