正直、彼女が欲しいと思ったことがないと言えば嘘になる。ちょっとぐらい、いてもいいかなあって思ってたし、……いや、それも嘘だ。
 ほんとはすっごい欲しかった。だってなんか俺の周りはやたらとモテる男が多くて、毎日のように告られたりしてる。
 そういうのに縁がないのは俺ぐらいのもので、なんかちょっと馬鹿にされたりとかしてて。
 だから焦ってたっつーほどでもねえけど、やっぱちょっと彼女とかいたらよくねえ?とか思ってた訳で。
 今のこの状況は、願ったり叶ったりってやつだろうか。


 04.チャンス(岳人と忍足)


 目の前でうつむく少女を凝視したまま、向日岳人は呆然としていた。
 言うべきことを言い終えた彼女は、可哀想に目に涙を溜めて顔を真っ赤にしている。
 それでも何も言えずに、向日は手のひらを握ったり開いたりという動きを繰り返していた。
 ──女を泣かすなんて最低!
 それは、言い寄る女を片っ端から振っていく相方に対して、自分が口にする常套句だ。だが、今の光景を客観的に見たら、自分にこそ相応しい言葉のような気がしてくる。
 とうとう大粒の涙をこぼしはじめた彼女に、向日は何か言わなければと口を開いた。
「あ、あのっ」
「……向日くん、他に好きな子、とか、いるの?」
 耐えきれなくなったのか、彼女がそう問いかけてきた。彼女とは二年生の時同じクラスで、一緒に委員会をやった仲だ。
 部活動で忙しい向日のかわりによく働いてくれ、手伝えなくてごめんと謝る向日に、笑って部活頑張ってねと言ってくれたのが印象的だった。
 だが、それだけだ。その後特別仲良くなった訳でもなく、どちらかというと大人しいタイプの彼女とは、顔を合わせれば挨拶はする程度の仲。
 そんな彼女から携帯にメールが届いたのは今朝のこと。一体どこからアドレスを入手したのかと不思議に思いつつも、女子の結束が固いことを知っている向日はどこかから漏れたのだろうと勝手に納得していた。
 呼び出され、向日がやってきたのはお約束とも言うべき校舎裏。もしかして、と思わなくもなかったが、向日の抱いていたイメージから、彼女が告白などという大胆な行動に出るとは信じがたかった。
 誰かのつきそいで、とかなら相手に押し切られたのだろうなと思えたが、向日に好きですと告げたのは、他ならぬ彼女自身だった。
 真っ直ぐにこちらを見据え、か細い声で、でもきっぱりと気持ちを伝えてきた彼女を、向日はまるで知らない人を見るような目で見つめていた。
 ──女の子は、いざというとき強いから。勝てないなって思うよ。
 不意に誰かの言葉が頭をよぎり、向日は全くだと頷いた。
 その動きを肯定だと見なした彼女が、小さくそうなんだと呟く。
 向日は一瞬何のことだかわからず、聞いてくれてありがとうと頭を下げる彼女に、ようやく質問されていたことを思い出した。
「ああっ、違う!」
 そのまま立ち去ろうとする彼女の手を捕まえたが、あまりの細さに驚いて離してしまう。それでも彼女が立ち止まってくれたので、向日はシャツで手のひらの汗を拭いながら答えた。
「好きな奴とか、いねえんだけど」
「けど……?」
「でも、いま、彼女とか、そういうの考えらんねえっつーか」
「テニス、あるもんね」
 涙を隠しながら言葉をつむぐ彼女に、向日は違うのだと首を振る。
 上手く説明できないことに焦りながら、話を続けた。
「えっと、その、なんてゆーか、彼女は欲しいとは思うんだけど、それとお前が好きかってのは別の話で」
 もしかして、これは言ってはいけないことだろうかと心配になったが、取り消すこともできず向日は更に言い募る。
「彼女が欲しいからちょうどいいや、とかっていうのは、違うと思うんだ」
 必死な向日を黙って見つめていた彼女が不意に吹き出した。
「わ、笑うかフツー」
「ご、ごめん、だって、……向日くん、すごい顔してたから」
「すごい顔って」
 一体自分はどんな顔をしていたのだろう。吹き出されるということは、まず間違いなく情けない顔だったのだろうが。
 一気に緊張感が薄れ、向日は苦笑した。
「俺すんげー悩んだのに、ひでえ」
「うん、わかってる。ちゃんと考えてくれて、嬉しかったよ」
 涙を拭いて、彼女は笑う。とても嬉しそうに。
「向日くんが向日くんで良かった」
 意味がわからず首をかしげる向日に、もう一度お辞儀をして彼女は今度こそ立ち去った。
 姿が見えなくなって、向日は大きく息を吐く。手のひらの汗は、いつの間にか乾いていた。
 ふざけて繋いだことはあっても、あんなにしっかりと腕を掴んだのは初めてのことで、女ってみんなああなのだろうかと、答えを探すかのように自分の手を見つめる。
「何思い出しとんの? やーらしー」
「ゆっ、侑士!? 見てたのか!?」
 木陰から颯爽と現れた忍足に、向日は目を見張った。
 忍足は、にやにやと下卑た笑いを浮かべつつ両手を上げる。
「そりゃあ、他でもないがっくんの一大事ですから?」
「いちだいじって……、つまり覗きだろ?」
「そうとも言う」
 大きく頷いてみせる忍足に、向日は怒り任せに殴りかかった。割と本気のそれは、いとも容易く忍足の手に受け止められる。
「侑士! てめえ、大人しく殴られろ!」
「そないなことゆわんと。俺痛いの苦手なん、がっくん知っとるやろ?」
「男らしくねえぞ!!」
 繰り出す端から拳を避けられ、向日の怒りは増していく。
 そのまま逃げ出すと思われた忍足は、くるりと振り向いて真顔になった。雰囲気に呑まれ足を止める向日に、忍足が口を開く。
「がっくん、男前やったわ」
「……は?」
「あんなん言われたら、ますます好きになってもーたんとちゃう、あの子。いやあ、ガキやとばかり思うとったけど、罪な男やなあがっくんも」
 褒められているのかけなされているのか、すぐには判断が付かず向日は固まった。
 にやりと忍足が笑ったことに気づいて、やはりからかわれたのだと手を振り上げる。その手をかわすと、褒めとるのに酷いと忍足が不満そうな顔をした。
「褒めてねえだろ、絶対! それに、あれは、その、……本気だけど、本気じゃなかったっつーか」
「なん?」
 言いながら顔を落とす向日に、逃げていた忍足が戻ってくる。
「や、あれもほんとだけど、もっとでかかったのは、なんか怖いなって」
「怖い?」
「女って何考えてっかよくわかんねえし、俺は、まだ侑士とか、男同士でつるんでるほうが楽しいかなって……」
 完全に下を向いてしまった向日の頭を、ぽんぽんと忍足の手が叩いた。
「ま、ええんちゃうの? 今んとこはそれでも」
 忍足の同意に勇気づけられ、向日は顔を上げる。
「だよなっ?」
「ま、がっくんには最後のチャンスやったかも知れへんけどなあ。後で惜しいことしたってゆわんといてな?」
「……眼鏡たたきわってやる……」
「ぎゃ! その宣言はちょおびびるって! がっくん、冷静に冷静に……!」
 掃除用の竹箒が放置されているのを拾い上げると、向日は逃げまどう忍足を追いかけ始めた。


【完】




2004 09/07 あとがき