11.大好きだよ(向日とジロー)


 昼休み、向日がクラスの連中と喋っていると、背後から何かがのし掛かってきた。何かが倒れてきたのかと一瞬どきりとしたが、すぐに何者の仕業か悟る。
「ジロー、寝るなら自分とこで寝ればいいだろ」
「だあって、一人だと淋しいじゃん」
 隣のクラスのジローが、向日の背中に張り付きながら答えた。
「クラスの奴がいんだろ」
「みんな食堂に行っちゃったー」
 ジローのクラスの人間はどうも活動的な者が多いらしく、寝てばかりいるジローはいつも置いて行かれてしまうらしい。別に仲間はずれにされているわけではなく、そっとしておいてあげようというクラスメイトの心遣いなのだが、本人にしてみれば淋しいだけなようで、ジローが向日のクラスを訪ねてくるのは珍しくなかった。
「女の子はいるけど、寝てると髪とかいじられるしー」
「わかったわかった」
 ジローの言い分に、仕方ないと向日は頭を撫でてやる。それから、せめて背から降りて寝ろと促した。
 ジローは向日の背から離れると適当な椅子を引き寄せて座り、机に頭をつけて眠る体勢に入る。
 毎日寝てばかりいてよく飽きないものだ。じっとしていることが苦手な向日には理解できなかった。今日だって雨さえ降っていなければ、中庭あたりでサッカーの真似事でもしていたはずなのだ。それでも、幸せそうに眠るジローを咎める気にはならなかった。
 寝息を立てるジローを少しの間見つめ、向日は話に戻った。クラスメイトもジローの習性には慣れたもので、何事もなかったかのように会話は続けられる。
 喋っている内に室内が明るくなり、向日は窓の外に目を向けた。どうやら、雨は上がったらしい。
 時計を見ると、昼休みが終わるまであと少し。せめてあと五分早ければ遊べたのにと向日はタイミングの悪さを呪った。
 窓の外から賑やかな声が届き、ジローが弾かれたように席を立つ。声で起きたのか、それとも寝ぼけているのか、ジローはふらふらと窓のほうへ歩いていった。その覚束ない足取りが不安になり、向日はジローを追いかける。
 勢い余ったのか、ごつりとジローが窓に額をぶつけた。
「……痛い……」
「当たり前だろっ」
 咄嗟に怒鳴りつけた向日には構わず、ジローはゆっくりと手を動かす。どうやら窓を開けたいらしいと気づき、向日はかわりに開けてやった。
 開いた窓に、ジローは顔だけ振り向くと、礼代わりなのかふわりと微笑む。
「なんだよ……」
 向日が戸惑っている間に、ジローは窓の外へ視線を戻した。
 ジローの視線を追って、向日は納得する。ああ、ジローはこのために起きてきたのか。
 窓の下では、ジローの幼なじみである宍戸が、忍足などのクラスメイト達とふざけ合っていた。
 下は芝生のため、いくら暴れても泥まみれになることはない。とはいえ、今まで降っていた雨の滴が大量に付着しているはずなのだが、それをものともせず楽しそうに遊んでいる。
「あいつらもよくやるよな」
 混ざりたい気持ちを隠し、向日はそう口にした。ちらりと横に立つジローを気にしたが、ジローの目は宍戸だけを追いかけている。
 反応がないとつまらない。向日はその場にしゃがみ込むと顔だけを窓から出した。
 中庭では、相変わらず宍戸が仲間たちと騒いでいる。それを見つめるジローの表情は、とても幸せそうだった。
 ジローにとっての宍戸というのは、大切な幼なじみで、大好きな友人で、そして誰よりも幸せになって貰いたいと思っている相手だ。
 向日とジローは部活仲間で、個性的なメンバーの中で比較的仲のよいほうである。だが友情にランクをつけるわけではないが、ジローにとっては宍戸のほうが大切なのだろうと思う。
 そう考えるとき、向日はいつも少しだけ胸が痛くなる。ジローに思われている宍戸が、羨ましくなるのだ。
 向日がジローを大切な友人だと思っている限り、きっとこの痛みが消えることはないのだろう。
「お。なんかちょっと、青春っぽくね?」
「なにがあ?」
 独り言のつもりが、ジローにはしっかり聞こえていたらしい。きょとんとした顔で、しゃがみ込んだままの向日を見下ろしてくる。
「お前にはひみつ」
 立ち上がりながら、向日は笑った。
「べつに、いいけどね?」
 言葉とは裏腹にジローが口を尖らせる。不満そうなジローを前にしても、向日は口を割らなかった。
 チャイムが鳴り、誰もいなくなった中庭に目を向けたままジローが呟く。
「いじわるされたって、俺は向日のこと好きなんだから」
「ジロー?」
 突然の言葉に、向日は目を丸くした。勢いをつけて振り向いたジローは、驚きのあまり動けずにいる向日のおでこを叩く。
「いーだっ」
 歯茎をむき出しにしてそう言うと、ジローは急いで教室を出ていった。
 その背を見送って、向日は近くの椅子に座り込む。自然とゆるむ頬をおさえられない。
「だから、なんだろうなあ」
 正直言って鬱陶しいと思うこともある。くっつかれると暑いし、そのまま眠られると重くて仕方ない。寝ぼけながら歩き回られるのは非常に厄介だった。
 それでもジローから離れられないのは、彼がああいう人間だからなのだろう。
 すっかり晴れ渡った空を見上げ、向日は大きく伸びをした。


【完】


2004 09/07 あとがき