12.お誕生日、おめでとう(氷帝オール)


 ごめんとすまなそうに笑う忍足に、向日は首をかしげた。午後から、忍足は親戚の結婚式に出席するために地元へ戻らねばならぬという。
 それで何故自分に謝る必要があるのか。特に遊ぶ予定があった訳でもないのに、わざわざこうして家を訪ねてまで。考えてもわからず、素直に質問する。
「なにが」
「明日、おらんで」
 その単語で、ようやく理解した。
 明日は、向日の誕生日だ。いつものように祝ってやることができなくて悪い、と忍足は申し訳なさそうにしているのだろう。
「別にいいけど」
「帰ってきたら、なんかおごるわ」
 そう言い残して、忍足は帰っていった。それだけのために、わざわざ電車に乗ってやってきたというのだろうか。
 家の中へ戻った向日は、自分が落ち込んでいることに気づいた。
 誰かの誕生日には、部活仲間で集まって騒ぐのが毎年恒例となっている。向日の誕生日には、大抵一番仲のよい忍足が幹事を務めていた。
 その忍足がいないということは、今年は何も行われないのだろう。いつも途中から誕生日とは全く関係ないことで盛り上がる会だったが、皆で騒げるだけで楽しかった。
「せめて、学校あるときだったらなあ」
 そう口にした途端、ますます切なさが募る。
「まあ、今月は宍戸の誕生日とかもあるし」
 あいつらのことだから、まとめて祝ってくれたりするだろう。そう思ってはみても部屋に戻る足取りは重い。
 さっきまで誕生日などまるで意識していなかったのに、一度思い出すとなんだかせつなくてたまらなかった。
 侑士のやつ、わざわざ思い出させやがって。悪気はなかったであろう忍足に八つ当たりしながら、向日はベッドに転がった。


 一人で出かけるのも空しく、次の日、向日は自宅にこもっていた。音楽を聴いている内に眠ってしまったらしく、向日が気づいたときには、既に外は真っ暗だった。
 誕生日を寝てすごしてしまった。ぼんやりとしているとノックの音が聞こえ、これで自分は目を覚ましたのかと扉を開ける。
「あ、岳人。あんた寝てたの? 誕生日ぐらいきちんとしなさいよね」
 どこかへ出かけるのか、バッグを持った姉の手が向日の髪をなでつけた。
「出かけんの?」
「うん。みんないないから、あんたも好きにしなさい」
 下から姉を呼ぶ母親の声が聞こえ、じゃあねと言って階段を降りていく。
 みんないないって、姉は母親と出かけるのだろうか。というか、何故自分を置いていくのだろう、誕生日なのに。
 車のエンジン音に、向日は我に返った。どこへ行くのか知らないが、自分も連れて行ってくれと慌てて階段を降りる。玄関まで来たところで、車が走り出した。
「嘘だろ……」
 一人暗い家の中に取り残され、向日は呆然とする。
 家族にまで、忘れられてしまったのだろうか。閉ざされた扉をぼんやりと見ていると、リビングから物音がすることに気づいた。
「泥棒……ってことはねえだろうな」
 どうやら、人の話し声のようだ。テレビでもつけっぱなしで行ってしまったのだろうか。電気もついたままのようだし、とりあえず覗いてみることにしよう。
 リビングの扉は曇り硝子になっていて、中は見えない。勢いよく扉を開け、中の光景に向日は目を見開いた。


「あ、起きたんだ向日?」
 何故かエプロンをした滝が、おたまを持ったまま振り返る。
「おら、起きろジロー。向日来たぞ」
 ソファで眠り込んでいるジローを、宍戸が揺り起こした。
「あ、向日先輩、お早うございます!」
「お早うございますってことはないだろ、この時間に」
 礼儀正しく挨拶をする鳳に、冷たい目を向けて突っ込む日吉の姿もある。
 奥の方では、樺地が飲み物を運んでいた。目が合うと、頭を下げられる。
「……お前ら何やってんの?」
 驚いた顔のまま訊ねる向日に、目を覚ましたジローが飛びついた。
「向日〜! お誕生日、おめでとう!!」
「えっ」
「あっ! ジロー、それはみんなで言うって決めただろ……」
「もう、仕方ないねジローは」
 くすくすと笑いながら、滝が座ってと向日を促す。見ると、テーブルには温かな料理がいくつも並んでいた。
「ほら、みんなも席についてよ。今スープ持ってくるからね」
 滝にやんわりと言われ、皆も揃って席につく。椅子が足りなかったのか、どこからか折り畳みの椅子を持ってきて座っている者もあった。
「あのさあ」
 向日が口を開いたと同時に、玄関を開く激しい音が聞こえてくる。
「おいおい、玄関壊れたんじゃねーの?」
 心配そうに言うと、宍戸が様子を見にリビングを出ていく。やがて戻ってきた宍戸が連れてきたのは、タキシードに身を包んだ跡部だった。手に持った包みを滝に渡すと、跡部は当たり前のように上座に座る。
「お前、そこは普通主役が座るもんだろう」
「アーン? 決まってんだろ、俺様は常に主役なんだよ」
「てゆーか跡部、タキシード似合うよね〜! 笑う〜!」
 似合ってるのに何故笑うのか、ジローが跡部を指さして大笑いした。つられて向日が吹き出すと、跡部が不機嫌そうにネクタイをはずす。
「この俺様がわざわざ抜け出してきてやったっつーのに、笑うか普通。今日じゃなかったら、軽く殺しとくとこだぜ」
 どうやら跡部は、自宅で行われていたパーティーを途中で切り上げて来てくれたらしい。
「そりゃ、悪かったな。……つーか、俺全然意味わかんねーんだけど、お前らなんでうちにいんの?」
 向日の疑問に、皆は顔を見合わせる。
「宍戸、言ったんじゃないの?」
 滝に言われ、宍戸は首を振った。
「え、だって忍足が……。聞いてねえ?」
 こちらに振られ、向日は首を振った。
「侑士きのう来たけど、実家に戻るって言われただけ」
 向日の返答に、宍戸はあの野郎、と拳を握る。
「よかったあ、向日がおうちにいてくれて」
 隣に座ったジローが、そっと向日の手をとった。
 跡部の持ってきたものはケーキだったらしく、真ん中に「がくとくんお誕生日おめでとう」の文字が入ったチョコレートの刺さっている大きなホールケーキを、滝がテーブルの中央に置く。
「今日休みだから、いつも通り部室ってわけにもいかないでしょ? 向日のお姉さんにお願いして、おうち空けてもらったんだ」
「最初は跡部んちでやろうかっつってたんだけど、別のパーティー入ってるっつーから」
「ま、たまにゃ庶民の家っつーもんを経験するのもいいだろう。兎小屋ってのは、よく言ったもんだな」
 ふんぞり返って言う跡部の頭を、宍戸が叩いた。
 ロウソクの火をつけ、祝いの歌を歌われる。火を吹き消すと、皆が口々におめでとうと言ってくれた。
 その言葉を聞いて、ようやく向日は皆が自分のために集まってくれたのだと実感する。
「あっ、泣くなよ向日!」
「泣いてねえよ!」
「向日が泣いたら、俺も泣きたくなってきた〜」
「おい向日、ジローまで泣いちまったじゃねえか! どうすんだよ……」
 一緒に泣き出してしまったジローを前に、跡部がいつになく狼狽えた声を出した。
「だから泣いてねえっつってんだろ!」
 目をこすると、向日はそう怒鳴り返す。
「向日先輩って、意外と男らしいよな」
「少なくともお前よりはな」
 感心したように漏らす鳳に、日吉が肩をすくめた。
「日吉、お前なあ……」
「お前らこんな時に喧嘩してんじゃねえよ」
「はいっ、宍戸さん!」
「……」
 注意をされても嬉しいらしく、鳳は満面の笑みを浮かべる。
 呆れた顔のまま、日吉は滝に声をかけた。
「もう食べていいんすか」
「そうだね、乾杯しようか」
 乾杯をして、皆思い思いに食べ始める。酒が入ったわけでもないのに泣きながら宍戸に絡み始めた鳳へ、跡部の容赦ない蹴りが入った。
「ちょーし乗りすぎー」
 ジローが、痛みにうめいている鳳の耳を引っ張る。
「痛っ、やめてくださいジロー先輩っ! 宍戸さん助けてくださいよー」
 鳳が涙目で訴えたが、冗談だと思っているらしく宍戸は笑いながら手を振った。
「向日向日、あーん」
 場の雰囲気に酔ったのか巫山戯ているのか、宍戸がフォークに指したからあげを差し出してくる。普段ならいらないと突っぱねるところだが、まあいいかと乗ってやった。
 少しだけこちらを見る跡部の目つきが怖かったが、それは気にしないことにする。
 あらかた食べ終わったところで、片づけをする組とゲームをする組に分かれた。主役であるはずの向日は、勿論ゲームをするほうだ。
 ゲームなど触ったことがないという日吉を捕まえて、無理矢理相手をさせる。
「このボタンはなんですか」
「それはパンチ」
「こっちは」
「それは小キック」
 言われてもよくわからないらしく、日吉は難しい顔でテレビ画面とコントローラーを見比べた。
「そんな真剣な顔でゲームする奴、初めて見た」
 向日が大口を開けて笑うと、日吉は一瞬ムッとした顔で振り返る。
「笑わないでくださいよ……」
 日吉にしては珍しく小さな声で抗議をすると、恥ずかしいのかそっぽを向いてしまった。
 意外と可愛いところもあるんだなあ。後輩の意外な一面に、向日は目を丸くする。
「日吉がんばれ〜」
 間延びした声で、ジローが寝転がりながら声援を送った。
「お前、日吉の味方すんのか?」
「だあって、日吉しょしんしゃなんだもん」
 日吉の操作する歩くことすらままならないキャラを見て、ジローがごめんねと片手をあげる。
「芥川さんに心配されるなんて……」
 余程ショックだったのか、日吉がそう呟いた。その様子がおかしくて、悪いと思いながら向日は盛大に吹き出してしまう。
「日吉……っ」
「だから、笑わないでくださいっつってんでしょう!」
 腹を抱えて笑い出した向日に、日吉が後輩という立場も忘れて声を荒げた。


 片づけも終わり、皆で持ち寄ったビデオの鑑賞会でもしようかというとき、玄関のチャイムが鳴った。
「ご家族が戻られたんでしょうか」
「チャイム鳴らすかあ?」
 そろそろ帰った方がいいだろうかと心配する鳳に、宍戸がもっともなことを言う。
 向日は立ち上がると、インターホンのモニターを見た。
「……侑士?」
「え?」
 そこに映っているのは、実家に戻っているはずの忍足。どうしたのかと、向日はあわてて玄関へ向かう。
「侑士!」
「よお」
「お前、戻ってたのか?」
「今な」
 見れば忍足は式に出てすぐ戻ってきたのか、制服を着たままだ。
「ゆっくりしてくればよかったのに」
「や、気になって」
 廊下の向こうから近づいてくる皆の声に、忍足が安心したような声を漏らす。
「みんな、来てくれたんやな」
「ああ」
「誕生日、おめでとさん」
「……ああ」
 優しい声音で囁かれ、向日は涙をこらえるのに必死だった。
「や、そこはありがとうってゆうとこちゃうん?」
 からかう忍足に、ばーかと笑い返す。
「みんな、まだおったんやなあ」
 やってきた宍戸が、忍足の姿に目をとめる。
「ちょーどいいとこに来たな、今からお前の好きな、映画鑑賞だぜ」
「ほんま? ゆうとくけど、俺ラブロマンス専門やで」
「んなもん借りてねえよ」
 笑いながら否定する宍戸の背後から、跡部が現れた。
「あ。跡部も来とったん?」
「よお忍足。お早いお帰りで?」
「なんや、めかしこんで。主役は岳人やで」
 軽い口調で言う忍足に、跡部が口の端をあげる。
「ところで、忍足?」
「なんや、お前が笑顔だと気味悪いわ」
 普段はそっけない跡部がにこにこしているので、忍足は何か裏があるのではと顔を顰めた。
「てめえ、向日に今日のこと伝え忘れたらしいじゃねえか」
「……あ」
 しまったという顔で、忍足が固まる。跡部が、笑みを浮かべたまま忍足に詰め寄った。
「俺様は今日、大事なパーティー抜け出して来てやったんだよ。これで向日が予定でも入って家にいなかったりしたら、どう責任とるつもりだったんだ? アーン」
「や、それは……、ははっ」
 成り行きを見ていた向日と宍戸は、無言で玄関の扉を閉める。今日はめでたい日なのだ、喧嘩は当事者同士、外でやってもらおう。
「向日? 忍足はどうしたの?」
「亮ちゃん、跡部帰っちゃったの〜?」
 首をかしげる滝とジローに、二人は何も知らないと首を振った。


【完】


岳人に、愛を込めて。


2004 09/12 あとがき