7/3(切原赤也)
 
 
 普段より遅くに鳴った目覚ましを止めると、切原は欠伸をした。少しの間布団の中でごろごろしていたが、やがて思い切ったように起きあがる。
 せっかくの休日だというのに、一日部活だなんて。せめて天気でも悪ければまだ良かったのに、生憎青空が広がっていた。
「あーあ。途中で大雨にでもならないかなあ……」
 そうしたら練習が中止に、……なるわけねえか。大会が近いのだ、コートでの練習は出来なくとも屋内で筋トレ等することになるだけだ。
 
 
 彼は、午前中練習で、午後からミーティングだと言っていた。何れにせよ、今日会うことは難しいだろう。
 
 
 
 
 (AM9:00)
 会いたいという気持ちを込めてメールを送る。少しして返ってきたメールは、彼らしい素っ気ないものだった。
 ああ、やっぱり。彼の頭は、テニスでいっぱいなのだろう。
 
 
 俺とテニス、どっちが大切なんですか? 
 いつか、聞いてしまいそうで恐かった。聞いたらおしまいだと思う。テニスが好きで、テニスしか見ていなくて。そんな彼を好きになったのは、自分。彼はきっと、自分も彼と同じくらいテニスを愛していると思っているのだろう。そんな自分だから、好きになってくれたのだと思う。
 
 
 自分が、迷わずテニスよりも彼を選ぶと知ったら。きっと自分たちの関係は、終わってしまうだろう。どこまでも貪欲にテニスだけを追い求める彼が、切原はとても好きだ。だが、同じくらい憎らしくもあった。
 
 
 (どうして彼は、自分だけを見てくれないのだろう)(自分が彼を想うぐらい、自分を想ってはくれないのだろう)
 
 
 
 
 (PM12:00)
「辛気くせえ顔してんじゃねえよ」
「った、何すんすか!」
 昼休憩に入ったところで、切原は後ろから蹴り飛ばされた。振り返ると、丸井が口を尖らせている。
「飯がまずくなるだろい」
「あんたは何食べても幸せそうにしてんじゃないっすか」
「ばーか。雰囲気が悪くなるっつってんの」
 そう言い残すと、丸井は弁当を持ってどこかへ行ってしまった。切原のいないところで食べる気なのだろう。
 残された切原は、近くの芝生へ座り込んだ。弁当を脇に置いて、寝転がる。青空が目に染みて、涙が出そうだった。
 かさりと芝を踏む音が聞こえ、誰かが近づいてきたのがわかった。それでも切原は何も言わず、ただ空を見上げていた。
「元気なかね? 珍しか」
「……仁王先輩」
 声をかけられ、仕方なく目を向ける。仁王が、困ったように片眉を上げた。隣いいかと言われ、どうぞと返す。
「会いたいんか?」
「それも、あるっすけど……」
 そうだ。会えばきっと、こんな想いは吹き飛んでしまうだろう。彼の顔を見たら、悩みも何もかも消え去って、そして、しあわせな気持ちしか残らないのだ。
 こんな気分になるのは、しばらく彼に会ってなかったからかも知れない。大会が近く、最近は土日も練習があったので、会うことが出来ずにいたのだ。
 
 
 黙り込んだ切原を見つめた後、仁王は弁当を広げながら言った。
「もうすぐ、七夕やろ。会ったらどうじゃ」
「七夕……、でも、平日っすよ?」
「構わんじゃろ。おんしが会いたいと思うなら、向こうも同じ気持ちの筈じゃ」
「そう……っすかね?」
 切原は身体を起こすと、仁王の顔をのぞき込んだ。そうだと、肯定して欲しかった。そんな気持ちが伝わったのか、仁王が微かに笑った。くしゃりと頭をかき混ぜられ、
「おんしは、まっことかわいいのう」
「……やめてください! セットが乱れる!」
 慌てて頭を押さえて後ずさる切原に、仁王は腹を抱えて笑い出す。
 ちょっとでも気を許した自分が馬鹿だったと、切原は膝を抱えた。ああもう、せっかくちょっとは先輩として敬ってやってもいいかなって思ったのに。
「赤也は、愛されとうよ」
 突然の言葉に、切原は目を見張った。仁王が、いつになく優しい面もちでこちらを見ている。
「大丈夫」
「自信持ってよか」
「赤也は、じゅうぶん愛されとうよ」
 何度も言われている内に、段々その気になってくるから不思議だ。仁王の言葉が、真実だったらいい。
 切原は頷くと、彼へ誘いのメールを送った。ずっと会ってなかったし、七夕だし、きっと了承してくれるだろう。
 携帯を置くと、切原はようやく弁当の包みを広げた。
 
 
 
 
 (PM3:00)
 ありえない……! 昼休憩中には届かなかった返信がきてるかと、途中の休憩で携帯を開いてみたら。会えないという返事がきていた。再度メールを送っても、駄目の一点張りだ。
 比喩ではなく目の前が暗くなり、切原は一瞬立ちくらみを起こした。それから、もの凄い勢いで仁王を振り返る。汗を拭っていた仁王が、目を丸くした。
「うそつき……!」
「は?」
「仁王先輩の嘘つき〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 そのまま殴りかかりでもすれば、仁王には難なく受け止められたであろう。だが切原は、その場でぽろぽろと泣き出してしまった。仁王は暴力に対処する術は心得ていたが、涙を止める方法は会得していなかった。
「何を泣かしているんだ」
「赤也、仁王になんかされたのか!?」
「どうしたんです? こんなに泣いて、可哀想に」
 切原の泣き声に、皆が集まってきてしまった。レギュラーの中でただ一人二年生の切原は、何かと皆に可愛がられている。抗議するような視線が集中し、仁王は困り果てた。
「え〜と、赤也? なんてメール着てたん?」
「会えないって……。仁王先輩、大丈夫って言ったのに! うそつき!」
「仁王のうそつき! 仁王最低! 仁王セクハラ!」
 ここぞとばかりに、丸井が便乗する。なるべく気にしないようにつとめ、仁王は再度切原に問いかけた。
「部活あるって?」
「部活はないけど、自主練するって」
「ほんなら、赤也がつきおうたらよか」
「敵だから、だめって言う」
 ぐずりながら言う切原に、仁王は胸を痛めた。仁王とて、切原のことは可愛い後輩だと思っているのだ。元気になってくれればとアドバイスしたことが、裏目に出てしまうとは。良い解決策が浮かばぬまま、練習は再開された。
 
 
 
 
 (PM6:00)
 部活が終了しても、切原の心は晴れなかった。重い身体を引きずって、荷物をまとめる。そこへ、仁王が近づいてきた。
「赤也。これ見てみんしゃい」
「……なんすか」
 緩慢な動きで振り返ると、仁王が何か紙切れを持っていることに気づいた。手渡され、見てみると、それは地元で開催される七夕祭りの宣伝だった。毎年この時期になると祭りが開催されていることは知っていたが、部活やら補習やらで、まともに参加したことはなかった。
「これ、誘ってみたらどうじゃ?」
「祭り……」
「祭やゆうたら、その気になるかもしれんぜよ」
 仁王が、にっこりと笑った。仁王のそんな笑顔を見るのは、もしかして初めてかも知れない。自分が泣いたりしたから、気を遣ってくれたんだろう。仁王の優しさに触れ、落ち込んでばかりいられないと思う。
「メール、してみます」
「ああ」
 祭りに行きたいと、しつこくアピールしてみる。夏はまだ始まったばかりで、祭りはこれから幾らでもある。だが、このまま大会を勝ち進んでいったら、ますます会う機会は減ってしまうだろう。二人で祭りに行けるのも、これが最後のチャンスかも知れない。
 
 
 程なく了承のメールが返ってきて、切原は安堵のため息を吐いた。表情でわかったのだろう、仁王が良かったなと声をかけてきた。
「ありがとうございます!」
「ええよ。赤也が落ち込むと、俺までづつのーてたまらんからの」
「ずつのう?」
「心が痛い、ってことじゃ」
 最後に頭をひと撫でして、仁王は帰っていった。
 チラシを握りしめ、切原は満面の笑みを浮かべる。
 
 
 自分はなんて恵まれているのだろう。転校したいなんて思って、ごめんなさい。
 
 
 
 
 【7/3終わり】
 
 
 
 
 
2004 07/03