7/5(切原赤也)
 
 
 どんどんと、何かを叩くような物音と、女性特有のかん高い声。それが自分の姉のものであることに気づいて、切原は目を覚ました。はっきりしない意識の中、どうやら扉を叩かれているらしいことだけはわかった。
 切原は起きあがると、欠伸をしながら部屋の扉を開ける。予想通り、そこには姉が立っていた。既に化粧を済ませたらしい、少しは見られる顔になっている。
「……なに」
「あんたねえ、挨拶ぐらいできないの? ってゆーか、あんた今日朝練なんじゃないの? こんなゆっくりでいい訳?」
「……今、何時?」
 姉の告げた時刻は、どれだけ急いでも朝練が終了する時間に間に合うか間に合わないか、というものだった。真田の怒った顔を想像し、切原は頭が痛くなった。
「俺、具合悪いかも〜」
「はいはい。さっさと支度して。せめて授業には遅れず行きなさいよね」
 さぼろうという切原の魂胆を見抜くと、姉は切原の背を押して洗面所へ向かわせた。
 
 
 
 
 切原が学校へ着くと、ちょうど朝練から引きあげてきたらしい上級生達とかちあった。こちらへ気づいた丸井が、大きく手を振っている。
「あ〜かや! ねぼ〜?」
「寝坊ッス……」
「最近ちゃんと来とったのに」
「すんません」
 頭を下げる切原に、謝るならあっち、と仁王は背後の真田を示した。真田は、無言でこちらを睨んでいる。……すっげーこええんすけど! 謝るどころじゃねえって! 誰か助けてはくれないかと、切原は脇を通り過ぎていく者達を振り返った。
 丸井は真田に怒鳴られても軽く流せる──何より幸村と仲がよいので、真田もあまり強く出られないようだし、仁王なら口で丸め込めるはずだ。どちらか一人でも加勢してくれれば。
 だが、二人とも笑うばかりで助けてくれる気はないらしい。薄情者……! 切原は、ありったけの恨みをこめて去っていく二人を睨み付けた。
「赤也」
「はいっ」
 いつの間にか背後まで迫ってきていた真田に呼ばれ、切原は勢いよく振り返った。真田の鋭い双眸にとらえられ、身を固くする。
「理由は?」
「……あの、寝坊しちゃって……」
 ははっと笑って誤魔化す切原に、真田は大きく息を吸い込んだ。一瞬の後、学校中に響き渡る大声で一喝された。
 その後延々と続くかと思われた説教は、柳のフォローによってくい止められた。
「赤也は昨日から調子が悪いんだ。そのぐらいにしておいてやれ」
「だが、自己管理もできんとは……」
「もう授業も始まる」
「うむ……」
 真田が頷いたことを確認すると、柳がもう行っていいぞと言ってくれた。もう一度謝罪の言葉を述べると、切原は教室へ急いだ。
 
 
 
 
 (AM9:00)
 教室に滑り込むと、切原は早速携帯を開く。朝の定期便、届かなかったら向こうも気にする──だろうか。楽しんでいるのが自分だけでないといいな。そう思いながら、メールを作成する。朝練に間に合わなかったことは伏せ、ぐっすりと眠ったことだけを伝える。
 少しして戻ってきたメールに、目を丸くする。えー、なんで朝練遅刻したことばれてんすか! 誰かチクったのか? そういえば、丸井も仁王もなんだか楽しそうに笑っていたっけ。まさか、あの二人が……。切原は、天井を睨み付ける。上階には、あの二人がいるはずだった。
 
 
 
 
 (PM12:00)
「何もゆうとらんぜよ」
「大体あいつのアドレス知らねえし」
「ほんとっすか〜?」
 今日は昼連があるため、皆部室へ集まって昼食をとっていた。自分たちは告げ口などしていないと言い張る仁王と丸井に、切原は疑いの目を向ける。仁王と丸井は顔を見合わせると、やってないよな?とお互いに確認した。
「いいっす、本人に確認するっす」
 このままでは埒があかないと、切原はどうしてわかったのかとメールを送った。返ってきたメールには、特に二人の名前は記されていなかった。
 じゃあなんでわかったんだろう。切原が首を傾げていると、向かいで仁王が口の端を上げた。
「あれじゃ。愛の力、じゃろうな」
「ぎゃ! 仁王恥ずかし〜!!」
 恥ずかしいことゆうな、と丸井が弁当を持って部室の端へ移動した。切原が顔を上げると、仁王の悪戯めいた目にぶつかる。
「おんしの行動ぐらい、お見通しっちゅーことじゃろう」
「……そーなんっすかね?」
「間違いないぜよ」
 相変わらず、仁王の言葉には妙な説得力があった。騙されてはいけないと思う反面、そうだったらいいとも思う。彼は今、何をしているだろうか。
 って、弁当食ってるに決まってるか。自分も早く食べようと、包みをといた。
「いただき!」
「あ〜〜〜〜〜〜っ!」
 背後から伸びてきた手が、ハンバーグを攫っていく。切原が振り返ったときには、既に丸井の口の中へ消えていた。
「なっ、何するんすか!」
「んっめ〜! お前の母ちゃん、料理上手だな!」
「俺のハンバーグ〜!」
 丸井はちっとも悪びれた様子なく、うまいうまいと笑っている。メインのおかずを食べられ、あとは付け合わせの野菜しか残っていなかった。切原は、力無く丸井を睨んだ。
「お前が悪いんだろい? 俺様のこと疑ったりすっから!」
「あ……。そりゃあ、悪かったっす」
「だから、ハンバーグは俺のもの!」
「やっ、それとこれとは話が違うっす! てゆーか、あんたハンバーグ食べたかっただけっしょ!?」
 切原が叫ぶと、丸井はばれた〜?と言って明るく笑った。
 
 
 
 
 (PM3:00)
 部活へ向かう途中、切原は廊下の掲示板へ貼られているものに気づいた。七夕祭りの開催を知らせるそれは、数日前仁王に貰ったものと同じだった。明後日には会えるのだ。そう思うと、嬉しくて仕方がない。早く、早く明後日になるといいのに。
「何熱心に見ちゅうの」
「仁王先輩」
 通りがかったらしい仁王に、後ろ頭を叩かれる。切原が見ていたものに気づいたらしい、仁王も貼られたチラシに目を止めた。その端正な横顔を見上げ、そういえば仁王は祭りに行くのだろうかと疑問に思う。でもなんか、仁王先輩には似合わないような。仁王が祭りではしゃいでいる様子を思い浮かべ、切原は吹き出した。
「何を笑っちゅう」
「や、すんません」
 横目で睨まれたが、それでも笑いはおさまらない。仁王が、呆れたようにため息を吐いた。
「仁王先輩は、行かないんすか? 祭り」
「人混みは好かん」
「あー、そんな感じっすね」
「けんど……」
 そこで言葉を切ると、仁王はここではないどこかを見つめ、微笑んだ。その目があんまり優しくて、切原は目が離せなかった。
「あいつには浴衣が似合いそうじゃのう」
 それが一体誰のことを指しているのか、切原にはわからなかった。きっと仁王には想う相手がいて、その人の浴衣姿でも想像したのだろう。見るものを和ませるような、いつになくやわらかい表情が物語っていた。
 仁王先輩にこんな顔をさせるのは、一体どこの誰なのだろう。きっとすげえ美人のお姉さんとかなんだろうなあ。上手くいくといいっすね、という気持ちをこめて、切原は立ち止まったままの仁王の肩を叩いた。
「部活、遅れるっすよ」
「そうじゃな。また遅れたりしたら、真田が可哀想じゃ」
 そう言ってにやりと笑った仁王は、すっかりいつもの仁王だった。仁王と部室まで向かいながら切原は、浴衣はいいかも、と思った。後でメールしてみよう。
 
 
 
 
 (PM6:00)
 浴衣でお祭り、の野望は、彼から届いた断りのメールで砕け散った。一体何がいけなかったのだろう……。近くにいた仁王に聞いてみると、片眉を上げて困ったように笑われた。
「そりゃあ、男同士で浴衣せがむ奴なんかおらんじゃろう」
「……盲点……!」
「ぎゃはは、あほだこいつ」
 丸井にまで笑われ、切原は泣きたくなった。亮くんの浴衣姿、見たかったのに。絶対似合うと思うんだけどなあ。長い髪をまとめて、ちらっとうなじが見えちゃったりしてさ。そして何より、浴衣は合わせ目から手を忍び込ませやすい。
 邪な考えがなかったとは言わない。だが、こうもあっさり断られるなんて。亮くんは、男心がわかっていない。全くもって、わかっていない。
 
 
 その後もしつこくねだってみたが、結果は変わらなかった。仁王が、同情した顔であめ玉を一つくれた。
 
 
 
 
 【7/5終わり】
 
 
 
 
 
2004 07/05