7/7(切原赤也)
 
 
 目覚めると、切原はまずカーテンを開けて天気を確かめた。雲一つないとは言い難いが、晴れていることに違いはない。
 切原は満面の笑みを浮かべると、小さくガッツポーズをとった。
 
 
 洗面所へ向かおうと下へ降りると、姉に呼び止められた。顔だけで振り向くと、あんた今日お祭り行くんでしょうと幾らか小遣いを渡される。いつもうるさいだけの姉にしては珍しいこともあるものだ。切原が目を丸くしていると、姉が笑った。
「何変な顔してんの。あんた最近いつも以上に落ち着きないし、彼女でもできたんでしょ? これで少しはいいかっこしてみせたら。あと、浴衣出してあるってお母さんが」
 それだけ言い残して、姉は二階へ上がっていく。きっとこれからまた眠るのだろう。後ろ姿に小さくありがとうと呟くと、貰ったお金をひろげてみる。5000円札! バイトをしている姉にしてみたら大した額ではないのかも知れないが、小遣いが唯一の収入源である切原にとってはかなりの大金である。思わず、二階に向かって拝んでしまった。
 それから、リビングに置いてある紺色の浴衣を目にして、複雑な気持ちに陥った。せっかく用意してくれたというのに、着ていかなかったらがっかりするだろう。だが、私服に身を包んだ宍戸の隣で自分だけ浴衣だなんて、おかしくはないだろうか。宍戸にも、あてつけだと思われるかも知れない。
 
 
 
 
 (AM9:00)
 教室へ向かおうとしたところで、誰かを待っている風の仁王に出会った。挨拶をして通り過ぎようとすると、手招きされる。
「なんすか?」
「今日、部活なくなったんよ」
「えっ、マジすか!?」
「ああ。七夕じゃからのう」
 くくくと、仁王が喉で笑った。その笑みに何か裏があるような気がして、切原は手放しでは喜べなかった。それに気づいたのか、仁王が声をひそめて言った。
「丸井が」
「丸井先輩が?」
 丸井の名に顔をあげると、仁王が殊更楽しそうに笑っていた。仁王が言うには、丸井が祭りに行きたいと騒ぎ、幸村の「俺もブン太の浴衣姿が見たいな」という鶴の一声で本日の部活動は中止ということになったらしい。幸村が出てきたのでは、真田も反対するわけにはいかなかったのだろう。ほんのちょっぴり、真田に同情した。
「部長、祭り行けるんすか?」
「いや。祭りの土産を持って面会に行くんじゃと」
「へ〜」
 丸井のわがままにはいつも手を焼いていた切原だが、たまにはいいこともあるものだとこの時ばかりは感謝した。
 仁王と別れて教室に入ったところで、仁王はわざわざそれを知らせるために待っていたのだろうかという疑問が浮かんできた。訊ねてもはぐらかされるだけだろうと、切原は胸の内でお礼を述べた。
 
 
 
 
 (PM12:00)
 昼休みになって、そういえばまだ待ち合わせ場所を決めていなかったことを思い出す。相手の移動時間を考慮して、17時に待ち合わせることに決めた。メールを送ると、了承の返事が届いた。
 あと数時間もすれば、本物の彼に会えるのだ。そう考えると、嬉しくて叫び出したいぐらいだった。ああ、早く授業が終わりますように……!
 
 
 
 
 (PM3:00)
 今まで受けた中で一番長く感じられた授業が終わり、切原は教室を飛び出した。後ろからクラスメイトに掃除がどうとか言われたような気もしたが、それどころではない。
 電車を使って帰宅すると、待ちかまえていたらしい母親に捕まってしまった。私服で行くという切原の言葉は無視され、あっという間に浴衣を着せられてしまう。困っている内に姉が帰宅し、今度はお姉ちゃんの着付けをするから赤也はあっちにいってなさいと言われ、部屋を追い出される。
 着替えることは諦め、切原は髪型を整えるべく洗面所へ向かった。
 
 
 
 
 (PM5:00)
 
少し早めに待ち合わせ場所へ向かい、出口が見えやすい場所へ腰を下ろす。着いたとメールを送って、後は彼の到着を待つばかり。彼はどんな格好で来るだろうか。浴衣ではないのが残念だが、どんな格好の彼もきっと愛らしいに違いない。
「何にやけてんだよ?」
「えっ」
 突如かけられた声に驚いて顔を上げ、目にしたものに切原は更に驚いてしまった。
 宍戸が、立っている。──浴衣姿で。
 目を見張り、狼狽えるだけの切原に、宍戸が吹き出した。
「なんか言えって」
「あ……、すげえ、似合ってます。ちょうかわいい!」
 かわいいは余計だと、宍戸が口を尖らせる。
 さすがに女物ではなかったが、淡い色の生地に控えめに柄が入っていて、宍戸によく似合っている。普段以上の魅力を感じて、切原は今にも飛びつかんばかりに興奮していた。
「お前も、浴衣で来たんだな」
「あっ、はい、母ちゃんに無理矢理着せられて」
「ふーん」
 楽しそうに笑う宍戸に、切原はどぎまぎと手を伸ばした。そっと手を繋ぐと、一瞬驚いたように顔を見つめられる。
 怒られるだろうかと様子を窺ったが、振りほどかれることはなかった。
「この人手じゃ、つないでねえとはぐれそうだし。今日は特別、だかんな」
 言い訳するように早口で捲し立てられ、はいと大きく返事をした。それじゃあ行きましょうと、祭り会場へ向かって歩き出した。
 
 
「へえ。随分と大がかりなんだな」
「そうっすね。俺もガキの頃来たっきりだから、なんか新鮮っす」
 切原がそういうと、宍戸が隣で小さく笑った。何ですかと目で問うと、今でもガキじゃねえかと笑われた。
「そ、そんなことないっすよう」
「祭り祭り、浴衣浴衣って騒いでたのはどこのどいつだっけ?」
「……う〜」
 ちらりと横目で見られ、反論できずに口ごもる。
 そういえば、浮かれて聞くのを忘れていた。改めて宍戸の浴衣姿に見とれながら、
「そういえば、浴衣持ってないんじゃなかったんすか?」
「ああ、これは借り物」
「かりもの?」
「お前があんまりうるせえから、友達に頼んで借りたんだよ」
 なんでも友人に呉服屋の息子がいるとかで、見立ててもらったものを借りてきたらしい。しつこく言って悪かっただろうかと思うと同時に、自分のためにそこまでしてくれたのかと嬉しくなった。
 ふと気づくと、宍戸の顔がほんのり紅潮しているように見えて、どうしたのかと訊ねる。
「お前のせーだからな!」
「え、何がっすか!?」
「浴衣借りたいっつったら、根ほり葉ほり聞かれて……」
「はあ……」
 最初はよく意味がつかめなかったが、段々赤味の増していく頬を眺めている内に、気づいた。もしかして、恋人にせがまれたのだと言ったのだろうか。何も知らないであろう、友人に。
「俺のこと、話したんすか?」
「しかたねえだろ! 理由言わなきゃ貸さないっつーんだから……」
 責められていると思ったのか、宍戸の語尾が段々と掠れていく。怒ったりなんかしないのに。っつーか、逆に嬉しい。
 周囲を見回すと、切原は素早く宍戸の頬に口づけた。
「なっ」
「へっへ〜。これでお友達公認っすね!」
「ばっか……!」
 よほど驚いたのか、宍戸は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。そんなところも可愛いと、切原は一人満足していた。
「見〜ちゃった!」
「赤也、おんしもなかなか手が早いのう」
「こんな往来で何を考えているのですか、はしたない」
 どこかから見ていたらしい、丸井と仁王と柳生がそう言いながら近寄ってくる。そういえば、丸井も祭りに来たいと言っていたんだっけ。柳生までいるとは思わなかったが。
 恥ずかしいのか、宍戸が俯いて繋いだままの手に力を込めてきた。か、かわいい……! 自分が護ってやらねばと、切原は宍戸を庇うように一歩前に出た。
「のぞき見だなんて、趣味悪いっすよ」
「見えたんです〜!」
「わざと見せつけとったんやなかの?」
 人混みが途切れ、そこでようやく切原は三人の全身を捉えることが出来た。三人とも浴衣姿で、柳生は制服のようにかちっと着こなしており、仁王は胸の辺りを大きく開けて、一見するとだらしないと思われそうだったが、仁王の風貌にはよく似合っていた。だが、問題はそんなことではない。
 丸井が、髪の色とお揃いの浴衣を着込んでいた。──女物の。
「な、なんであんた女物着てるんすか!!」
「ん〜? 似合うだろい」
「そーゆー問題じゃないでしょう!!」
 確かに、小柄で童顔の丸井は、こうして女物に身を包んでいるとどこからどう見ても女性にしか見えなかった。だが、だからといって。
「あんなあ、俺と仁王、これに出るんだ」
 そう言って丸井が差し出してきたのは、ステージで開催されているらしいコンテストのチラシ。エントリーされた中から、観客がお似合いのカップルを選ぶというものだった。
「あんたら、いつの間にそんな仲に……?」
 切原が唸るようにそう言うと、仁王が片眉を上げて困ったように笑う。
「違う。賞品が目当て」
「賞品……?」
 チラシを見ると、順位によって色々と貰えるらしい。見かけだけは小動物のように愛らしい丸井と、黙っていれば男前の仁王なら、そこそこの順位を狙えるかも知れない。
「けど、あんた達どっちも男じゃないっすか」
「参加資格に、男女のカップルとは書いとらんぜよ」
「そりゃそーっすけど」
 柳生が、このコンテストには毎年受け狙いで男同士のカップルが参加するのだと教えてくれた。そして、二人が狙っているのは審査員特別賞なのだとも。
 審査員特別賞の賞品は、「1年間有効・商店街食べ放題ペアチケット」だった。なるほど、丸井の喜びそうな賞品だと思う。
「柳生先輩は、何しに来たんすか?」
「決まっているでしょう、監視です。今問題を起こされては、大会出場に支障が出ますからね」
 きらりと眼鏡を光らせ、柳生が言った。真田にでも言われたのだろうか、この二人のお守りだなんて、かわいそうに。
 
 
 
 
 三人と別れ、夜店を見ながら広場へと向かう。広場では、大きな笹と、願い事を書くための短冊が用意されていた。
「願い事、ねえ」
「俺は決まってますけどね」
「全国制覇?」
「違うっすよ! それは自力で叶えるッス」
 亮くんとのことに決まってるじゃないですか。そう囁くと、宍戸が頬を染めて笑った。
 
 
 
 
 【7/7終わり】
 
 
 
 
 
2004 07/07