ジャッカルの災難(ジャッカルとジロー)
 
 
 練習を開始してしばらくすると、柳生が封筒を手に近づいてきた。
「ジャッカルくん。今月の買い出し当番は貴方でしたよね?」
「ああ、そうだった……かな」
 打ち合いをやめると、ジャッカルはコートの外へ出る。立海では月に一度買い出しをする日が定められており、今日がその日だった。
 柳生から購入品のリストとお金を受け取ると、ジャッカルはどこの店が安いかなと考えながら歩き出す。と、背後から何者かが駆け寄ってきた。
「なになに、ジャッカル買い出し行くのか!?」
「ブン太」
 ジャッカルの同級生で、たまにダブルスを組むことのある丸井ブン太だった。ジャッカルを見上げ、きらきらと目を輝かせている。
「ジャッカルが行くなら、俺も行く〜!」
 ぴょんと飛びつかれ、ジャッカルは僅かによろめいた。丸井は身長こそ低いものの、体重はそれなりだった。
 丸井の言葉に、ジャッカルは困ったとため息を吐く。丸井の我が儘には慣れているものの、今は部活中。当番でもない者を連れて行く訳にはいかないだろう。
「お前は練習があるだろ?」
「だって、ジャッカル一人じゃ心配だろい?」
 これが練習をさぼりたいが故の申し出ならすぐにでも断るところだったが、丸井は純粋にジャッカルを心配して言ってくれているのだ。無下にはできない。ジャッカルは、救いをもとめて周囲を見渡した。
 とある人物と視線がかちあい、ジャッカルはしまったと頭を抱える。にこにこと走ってきた相手は、丸井がくっついているのとは逆側の手にしがみついた。
「ジャッカル先輩、買い出しッスか? 俺もおともするッス!」
 一つ下の後輩、切原赤也だった。こちらは、これを口実にさぼりたいという気持ちが見え見えだ。
「お前らなあ……」
 ジャッカルの右腕には丸井が、左腕には切原がしがみついている。この状態で外を歩くのは、色々と問題があるような気がした。
「なんだよ赤也! ジャッカルには俺がついてくの!」
「あんたはこないだも仁王先輩についてったじゃないっすか! 今度は俺の番ッス!」
「あれは仁王がアイス買ってくれるっつったからです〜!」
「あんたは食い物につられすぎなんです! そのうち痛い目見ても知らないッスからね!」
 二人は、自分を挟んで口げんかに突入してしまった。ただでさえ日差しが強いというのに、こう密着された上に耳元で喚かれたのでは、暑苦しいことこの上なかった。
 何と言って二人を追い払おうかと悩んでいると、部室から真田が出てくることに気づいた。
「ほら、お前ら真田に叱られない内に戻れって」
「げ! も〜、丸井先輩、あんたがもたもたするからッスよ!」
「お前が出て来なきゃすんなり行けたんだよ!」
 言い争いながら、二人がコートに戻っていく。ホッとしながら眺めていると、丸井が振り返った。
「ジャッカル〜! 俺がいねえからって、迷子になるんじゃねえぞ! あと、知らない奴についてっちゃ駄目だかんな〜!!」
 子供に言い聞かせるようなことを叫ばれ、ジャッカルは苦笑する。ああ、と手を振って、駅前へ向かった。
 
 
 駅前まで足を運ぶと、目的の店へ入る。リストを取り出すと、書いてあるものをかごに入れていく。
「……これで全部、かな?」
 リストと照らし合わせて一つ一つ確認し、レジへと向かう。お金を払って店を出たところで、何者かに足を掴まれた。
「うわっ!?」
 一体何が起こったのかと、ジャッカルは大声を上げて後退する。足にしがみつくようにして、誰かが俯せに倒れていた。
「お、おいっ、大丈夫か……?」
 日射病にでもなったのだろうか。軽く揺すぶると、う〜んと呻かれる。とりあえず木陰に連れて行こうと、ジャッカルは相手を抱え上げた。
 
 
 近くに公園を見つけ、抱えていた相手をベンチに寝かせる。濡れたタオルを、額に置いてやった。改めて顔を見ると、まだ年若い少年のようだった。染めているのか地毛なのか、派手な金色の髪をしている。ジャッカルは、彼が身につけているジャージに見覚えがあった。
「……氷帝……?」
 特徴的なラインの入ったそのジャージは、東京で一、二を争うテニスの強豪、氷帝学園のものであった。
 ということは、この少年は氷帝の生徒か。東京の人間が、何故神奈川まで来ていたのだろう。
 起きる気配のない少年を見下ろし、この分では当分帰れそうにないなと苦笑する。丸井の心配する顔が浮かんで、学校へ連絡を入れておこうと公衆電話を探した。柳に遅れることを伝えると、ジャッカルは急いで公園まで戻る。ベンチで、少年が身体を起こしていた。
「気がついたか?」
「……」
 少年は無言でジャッカルを見上げると、なにかを考え込んでいるようだ。きっとどうして自分がここにいるかわからないのだろう。ジャッカルが説明しようとすると、唐突に叫ばれた。
「あ〜!! じゃっかるくん! 丸井くんのおともだち!」
「……えっと……?」
 どうやら、相手は自分を知っているらしい。目を丸くするジャッカルに、こんにちは、と抱きついてきた。しがみついてくる相手をなんとか引き離すと、具合は平気かと訊ねる。
「ぐあい? 俺、どっこも悪くないよ?」
「え? だって、倒れただろ?」
 ジャッカルが言うと、相手はええ?と首をかしげた。
「俺ね、眠いなあって思って歩いてて、でも練習試合あるし〜、跡部がジローも試合あるから寝るなっつってて、だから寝ちゃだめって思って、がんばって歩いてたんだけど、やっぱ眠かったし。そんで、あ、そう、じゃっかるくんの頭が見えて」
「俺の、頭?」
「うん! 丸井くんのおともだちだ〜って思って、ついてったんだけど、眠かったから追いつけなくって、お店んとこでやっと捕まえたって安心して、寝ちゃった」
「……寝た……?」
 にこにこと楽しそうに話す彼の姿からは、具合の悪さなど微塵も感じられなかった。そういえば、柳が言っていたような。氷帝には、いつも寝てばかりいる選手がいると。
 どうやら、自分が勘違いしていただけだったらしい。ジャッカルは脱力した。
「今日は、丸井くん一緒じゃないの〜?」
「ブン太は学校。俺は、買い出し当番で」
「そおなんだ。ねえねえ、俺も立海行きたい! 丸井くんに会いたい!」
「や、お前練習試合なんだろ!?」
 一緒に連れてってとまとわりついてくる相手に、ジャッカルは思わず怒鳴っていた。きょとんとした顔で見上げられ、罪悪感が湧いてくる。
「でも俺、どこ行けばいいかわかんねえし」
「どこの学校と試合なんだ?」
 相手が口にしたのは、立海ほどではないが神奈川では名の知られている学校だった。場所は、何度か練習試合で訪れたことがあるので、ジャッカルにもわかった。
 相手の、見るからに頼りない容姿に目を遣ると、ジャッカルは目を閉じて嘆息した。このままでは、本当に立海までついてくるだろう。真田だけではなく、氷帝の部長である跡部にも文句を言われかねない。ジャッカルは真田の怒鳴り声には慣れていたが、跡部のもつ、あの妙に華やかな雰囲気が苦手だった。
「俺がそこまで連れてってやる」
 ジャッカルがそう言うと、相手は嬉しそうに頷いた。
 
 
 練習試合の行われる学校までは、そう遠くない。歩きながら、まだ名前を聞いていないことに気づいた。
「お前、名前はなんていうんだ? 二年生か?」
「俺、芥川慈郎。跡部も亮ちゃんも、ジローって呼ぶよ。二年じゃなくって、三年」
 小柄なジローが同じ年であることに内心驚きつつ、亮ちゃんというのは誰のことだろうかと首をひねる。
「ジャッカルくん、たまに丸井くんとダブルス組むよね。いいなあ!」
「そうかあ? まあ、やりやすくはあるな」
 丸井のファンだというジローは、いいないいなとジャッカルの周りを跳びはねている。やはり、同じ年だとは思えない。
 やがて校門が見え、ジャッカルはジローを促した。
「ほら、ここからは一人で行けるだろ?」
 なるべくなら、跡部の顔は見たくなかった。なんだか、視界に入れるだけで疲れそうな気がしたのだ。
「えー、だめ! ちゃんとお礼したいもん!」
「お礼? いいって、別に……」
「だあめ! 亮ちゃんに怒られちゃうし〜」
 いいから来て、と強引に腕を引っ張られる。テニスをしているだけあって、見かけによらず腕力はあるようだ。引きずられるようにして、ジャッカルはジローについていった。
 校舎裏までたどり着いたところで、何者かが叫んだ。
「ジローがいたぞ!」
 ばたばたと幾人かの駆けてくる足音がする。一番初めに姿を見せたのは、長い髪を後ろでくくっている目元のキツい少年だった。あれは確か、春に行われた地区大会で丸井と何やらもめていた相手ではないだろうか。そして、二年生でありながら立海のエースである切原が片想いしている相手。名前は、宍戸といったか。
「亮ちゃん!」
「ジロー!」
 駆け寄るジローを宍戸は多少ふらつきながらも受け止めると、熱烈な抱擁をかわした。これは、見て見ぬふりをするべきだろうか。ジャッカルが悩んでいる内に、他の部員たちもやってくる。
「ジロちゃん、どこにおったん?」
「心配させんじゃねえよ!」
「がっくん、そない怒鳴らんでええやん。ジロちゃんが吃驚しとる」
 安堵の表情を見せる氷帝の部員たちに、ジャッカルは送り届けてやってよかったと思う。そして、ジローが気づかない内に立ち去ろうと、踵を返す。
「おい。黙って帰る気か? アーン」
 これだけ周りが騒いでいるというのに、何故か特別大きいわけではないその声が耳に届いた。
「……跡部……」
「俺様を知ってんのか?」
 跡部景吾が、気怠そうに腕を組んでこちらを見据えていた。
 ジャッカルが向き直ると、目元を険しくする。
「てめえ、立海のハゲじゃねえか」
「なっ」
 ジャッカルは、跡部に顔を覚えられていたことにも驚いたが、それ以上に面と向かってハゲと言われたことに驚いた。
「これは別にはげてる訳じゃ……っ」
 一瞬遅れて、宍戸が跡部に何やら耳打ちした。ジローも、声を張り上げる。
「跡部! 人のしんたいてきとくちょうをそんな風に言っちゃだめでしょう!」
「跡部さいてぇ!」
「忍足、てめえは調子に乗るんじゃねえよ」
 忍足と呼ばれた男が、跡部に蹴り飛ばされる。しばらくの間、跡部と宍戸とジローの三人で何やら話し合いが行われていた。
 やがて、跡部が神妙な面もちで振り向く。
「えーと、ほら、なんだその、立海の……えーと、あー」
 名前を思い出せないのか、それとも元から覚えていないのか、言い淀む跡部に、ジローが横から口を挟む。
「じゃっかるくんだよ跡部!」
「ジャッカルだあ? そんなとんちきな名前の人間がいるわけねえだろうが! 適当言ってんじゃねえぞジロー」
 吐き捨てるように言う跡部を、宍戸が咎めた。
 再度宍戸に手招きされ、跡部はまたも何やら耳打ちされている。その間、ジャッカルは遠くを眺めていた。忍足が、慰めるかのように肩を叩いてくる。
 何を言われたのか、跡部が憐れむような目でこちらを見つめてきた。
「ええと、ジャッ……、……桑原?」
「なんだ」
 名字で呼ばれ、ジャッカルが反応してみせると、跡部はあからさまにホッとした表情を見せる。
「あーその、お前、うちの部員を連れ回したりして、どういうつもりだ?」
「ちがうよ跡部! 俺がじゃっかるくん見つけて、ついてったの!」
 ジャッカルが違うと言う前に、ジローがそう言ってくれた。宍戸が、ジローの肩に手を置きながら確認する。
「そうなのか? ジロー」
「うんっ!」
 ジローが、ジャッカルは寝てしまった自分を介抱してくれたのだと説明すると、宍戸はそうなのかとジャッカルを振り向いた。
「そんで、ここまで連れてきてくれたのか。悪かったな、ジャ……桑原」
「あ、ああ」
 頑なに自分の名前を口にしようとしない氷帝部員に些か疑問を抱きつつ、ジャッカルはとりあえずそう返した。
 宍戸とジャッカルのやりとりを黙ってみていた跡部が、大股で近づいてきた。ぐいっとジャッカルの胸ぐらを掴むと、
「ジローを送ってきてくれたことには感謝してやってもいい。だがな、」
「だ、だが?」
 至近距離で睨まれ、ジャッカルは少なからず動揺した。声をひそめ、跡部は更にこう続ける。
「てめえんとこのワカメ頭が、最近頻繁にうちに来てるらしいじゃねえか」
 そう言われて連想したのは、切原の姿。最近は一目惚れした宍戸に会うために氷帝まで通っていると聞いていたが、まさか跡部に知られていたとは。
「ええと、それは……」
「何が目的か知らねえが、なめた真似してんじゃねえって伝えとけ」
 跡部の言葉に、どうやら宍戸目当てだということまでは知らないらしいと気づいた。ジャッカルは頷くと、
「わかった。伝えておく」
 まあ、自分が言ったところで切原が了承するとは思えないが。とりあえず跡部が納得したようなので、よしとしよう。
 ジャッカルを掴んだままの跡部に、宍戸が食ってかかる。
「跡部! いきなり何してんだよ!?」
「てめえにゃ関係ねえだろう」
 言い返しながら、跡部が手を離した。口論する二人を眺めながら、ジャッカルはあることに気づいた。
 目つきだけは厳しいものの、跡部の宍戸を見る瞳自体は、どこまでも優しかった。
「もしかして……」
「アーン? なんか言ったかジャ……桑原」
「いや……」
 射殺されそうな目で睨まれ、ジャッカルは言葉を濁す。それから、もう帰ると告げた。
「じゃっかるくんありがとう! 今度丸井くんも連れてきてね〜!」
「ありがとな、ジャ……桑原!」
 お礼を言うジローと宍戸に手を振ると、ジャッカルは学校を後にした。
 
 
 それにしても、あの、跡部がライバルだなんて。切原の恋は前途多難なようだと、ジャッカルは可哀想になる。
「がんばれよ、赤也」
 祈るようにそう呟いたジャッカルは、まだ知らずにいた。
 この後、自分に内緒で宍戸に会ったなんて酷い、ずるい、抜け駆けだと、事の顛末を知った切原からつけ狙われる羽目になることを。
 
 
 【合掌】
 
 
 
いただいたリクエストは、「無敵で可愛いジロちゃんと可哀相なジャッカルが読みたいです。友情、かな? 何かの用事で切原から開放されて小さな幸せをかみ締めながら歩いているジャッカルを、後頭部でジャッカルの事を覚えていたジロちゃんが懐いて来て、氷帝にお持ち帰り。きっと、ジャッカルは切原のお守りをしていた方がましだったと思うようになると思います。」でした。
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!
 
 
2004 07/26 あとがき