そんなロマンス(跡部と宍戸と忍足)
 
 
 それは、決して口にするつもりのなかった想い。
 
 
 もしも、万が一言葉にすることがあったとしても、絶対誰にも真似できないような、この俺様に相応しい言葉で伝えるつもりでいた。
 だが、意に反して飛び出した言葉は、とてもありきたりで、そして陳腐だった。
 一瞬の後、跡部は後悔した。
 こんなはずではなかったと。
 
 
 こんな、誰もが思いつくような、ありふれた言葉を選ぶつもりはなかったのにと。
 こんな、はずみで口に出来るような簡単な想いではなかった筈なのにと。
 
 
 けれど、自分のその言葉に頬を染めたあいつを。
 照れた様子で、言葉を返してきたあいつを。
 心から、愛しいと感じた。
 
 
 
 
「なんや、えっらいご機嫌斜めやんな?」
 わざわざ人の教室を訪ねてきたかと思ったら開口一番そう言って笑う忍足に、跡部は座ったまま顔も上げずに答えた。
「死ね」
「……いやいやいやいや、それはない! それはないで跡部!」
 忍足は今にも死にそうなぐらい蒼白な顔になったが、それも一瞬だけのこと。
 すぐに復活し、いつも以上に大げさな動作で跡部に詰め寄る。
 跡部は鬱陶しそうに一瞥するだけで、再度視線を自分の手元に戻した。
 そんな跡部を、忍足はいかにも面白い、といった面もちで見つめてくる。
 執拗な忍足の視線に、跡部は眉間に皺を寄せた。
 
 
 全く、根性の曲がった男だと思う。
 普段は素っ気ないと言ってよいぐらい自分を避けて通るくせに、こういうときだけは敏感に嗅ぎつけて寄ってくるのだ。
 そして、にやにやと下品な顔を見せつけてくる。
 それが跡部の苛立ちを一層煽ると知っていて、わざとやっているのだから質が悪い。
 一体この男のどこがよくて、宍戸はああも親しげにしているのだろう?
 忍足といるときの宍戸を思い返し、跡部は首を振った。理由など、わかるはずもない。
 例えばジローなら、宍戸が仲良くするのも頷けるというものだ。幼なじみで気心が知れていることもあるし、何よりジローは、跡部から見てもさっぱりとしていて気持ちの良い男だ。
 どこか粘着質な部分のある忍足とは対照的な存在だというのに、宍戸はどちらとも同じくらい親密なのである。
 跡部には、以前からそれが不思議でならなかった。
 
 
 もしかすると、少しだけ嫉妬しているのかも知れない。
 成長するにつれ、宍戸はあまり跡部と時間を共にすることがなくなったから。
 
 
 嫉妬。その単語が頭をよぎった途端、跡部は何か固いもので頭を殴られたかのような衝撃を覚えた。
 嫉妬だと? この俺が? こんな下品な輩相手に?
 跡部は、信じられないものを見るような目つきで傍らに立つ忍足を見上げた。
「なんや?」
「ありえない」
「は?」
 唐突に否定され、忍足は面食らった顔をする。それには構わず、跡部は立ち上がると教室を後にした。
 
 
 
 
 機嫌の悪さを隠そうともせず、跡部は足早に廊下を進んでいく。
 先程の自分の考えに、吐きそうなぐらい気分が悪かった。
 嫉妬というのは、立場の低いものが抱く感情だ。自分が忍足に嫉妬したと言うことは、すなわち自分が忍足より──。
 そこまで考えて、跡部は思考を停止した。
 考えるより、問題を解決させた方が手っ取り早いと判断したのだ。
 そこで跡部は、進路を変更し、宍戸の教室へ向かった。
 
 
 それだけで人を殺せそうな跡部の視線に恐れをなしたのか、跡部が足を踏み入れた途端、教室からはほとんどの人間が姿を消した。
 それを当然のこととして受け止めると、跡部は真っ直ぐに宍戸の席へと向かう。
 人がいなくなったことに気づきもしないのか、宍戸は何やら懸命に手を動かしていた。
 跡部が背後から覗くと、どうやら数学のノートを写しているところらしい。次の時間にでも当たるのだろうか、必死になっている様子が見て取れる。
 細かい字で書かれたそれが忍足のものであることに気づき、跡部は顔を顰めた。それぐらい、自分がいくらでも貸してやるというのに。
 何故、忍足なのだろう。
 
 
 忍足は宍戸と同じクラスであるから、借りやすいと言えばその通りだろう。
 でも、その他のことはどうだ。
 昼も放課後も、宍戸は大抵忍足とつるんでいるではないか。
 
 
 これは一体、どういうことだ。
 あの日、確かに宍戸は自分の告白に応えてくれたはずなのに。
 
 
 言うつもりのなかった言葉を口にしてから、ずっと跡部は困惑していた。困惑という言葉は正確ではないかも知れないが、跡部がこんなにも何かに気を取られることは、未だかつてなかったと言って良いだろう。
 今跡部は、朝から晩まで、ほとんど宍戸のことを考えている状態だ。宍戸が誰かと口をきいているだけで、一体何を話しているのだろうかと気になる。もっと言えば、宍戸の視界に自分以外の人間が入っていると思うだけで、とても嫌な気分になった。
 
 
 この感情を、恋と呼ぶのだろうか。
 
 
 だとしたら、と跡部は思う。
 そうだとしたら、自分の宍戸への恋は、あのとき、想いを口にした瞬間から始まったのかも知れないと。
 己の心にのみ抱えていた気持ちを、はっきりと言葉にした、あのときから。
 何故なら、それまでは何とも思っていなかったことが、あの後からは気になって仕方がないのだ。
 
 
 あの、告白のとき。
 きっと自分は、宍戸に恋をしたのだろう。
 心の奥底に閉じこめ、己にすら隠し続けていた強い感情を解放し、そして自覚したのだ。
 
 
 自分は、宍戸をとても強い気持ちで想っていると。
 
 
 そこまで考え、跡部は声をあげて笑った。ノートを写すことに夢中になっていた宍戸が、その声でようやく跡部の存在に気づいたのか、目を丸くしている。
 珍しく機嫌の良さそうな跡部に、宍戸もつられたように笑った。
「宿題ぐらい、自分でやれねえのか」
「数学は苦手なんだよ」
 写し間違いを指摘してやると、宍戸は慌てた様子で消しゴムを探している。
「写してるくせに間違えんな」
「うっせ!」
「この問題は、こう解いた方が簡単だぜ」
「そうなのか?」
 宍戸のペンを取り、跡部は癖のない整った字でノートを埋めていく。
 空いた方の手で宍戸の肩を抱くと、宍戸は焦った様子で周囲を見回したが、他に誰もいないことに安心したらしい、振りほどくことはしなかった。
 
 
 恋人である自分よりも、友人である筈の忍足を優先する。
 自分が何を言おうと反発する、少しも素直ではない、意地っ張りな相手。
 だが跡部は、まあいいかと思った。
 
 
 密着していることに照れているのか、恥ずかしそうに俯く宍戸を見られるのは、多分自分だけなのだから。
 今はこれで、満足しよう。
 
 
 
 【完】
 
 
 
 

 いただいたリクエストは、「告白してOKをもらったのにも関わらず以前と何も変わらない宍戸に焦りまくる跡部と、それで遊ぶ忍足」でした。
 
 
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!
 
 
 
 
2004 02/28 あとがき