あやまち(宍戸と岳人)
 
 
 明日暇か?ちょっと
 相談したいことがあるん
 だけど。昼休み、部室で
 待ってる。
 
 
 向日岳人の携帯電話に、そうメールが入ったのは午前1時をまわった頃だった。
 誰かに何かを相談されることなど皆無といってもよい向日は、驚くと同時にとても喜んだ。
 これって、俺が頼りにされてるってことだよな! 一体、どんなことを相談されるのだろう? 自分に解決できるような内容だといいのだが。そう思いながら布団に潜り込んだ向日は、だが興奮のあまり眠りにつくことが出来なかった。
 人が悩んでいると言うのに、わくわくするなど我ながら不謹慎だと思うのだが、どうしたって落ち着くことなどできそうもない。
 向日は、何度も寝返りを打ちながら、夜明けを待った。
 
 
 
 
「あー、くそ」
「なんや宍戸、機嫌悪そうやな?」
 宍戸としては独り言のつもりだったのだが、聞こえていたらしい。忍足が、後ろから声をかけてきた。
 宍戸はばつの悪そうな顔をすると、後でな、とだけ口にする。忍足が、首を傾げた。
 まさか忘れてるんじゃ……と不安になった宍戸が問いかける前に、授業開始のチャイムが鳴り、忍足は席に戻ってしまった。
 まあ、いい。どうせ同じクラスなんだし、後で引っ張っていけばいいや。
 
 
 昼休みになって、宍戸は忍足の姿が教室から消えていることに気づいた。まさか、先に行ってしまったのだろうか。何も置いていくことはないのに。
 宍戸は、足早に部室へと向かった。
 
 
 
 
「向日どったの〜? なんか今日、変くね?」
「は? 何が?」
 ジローに不思議そうな顔をされ、向日は何のことかと目を丸くする。
 ジローのクラスは隣だったが、暇だから遊んで、と休み時間にやってきたのだ。
「なーんか、おかしーよー。すっげ落ち着きないしー。あ、これはいつもか?」
「お前がゆうな、お前が!」
 お前なんて気づくとその辺で寝こけてるくせに、と向日は口を尖らせた。
 ジローは、ひひっと笑うだけで、何も答えずにいる。
 それから時計を見上げると、
「あー、早く昼休みになんねーかなー! 亮ちゃんに膝枕してもらおっと」
「あ。えーと、今日は無理じゃね?」
「えー、なんでー?」
「んっと、確かなんか用があるって言ってたぜ?」
 えー、つまんなーいとふくれるジローに、向日は心の中で手を合わせた。
 そして、先程のジローと同じように時計を見上げる。
 
 
 昼休みまで、あと一時間。次の授業は向日の得意な英語だったが、この時ばかりは早く終わるよう願った。
 
 
 
 
 宍戸が弁当とお茶のパックを片手に部室を訪れると、そこは無人だった。
 忍足、まだ来てねえのか? 購買にでも寄っているのだろうか。そう思いつつ、とりあえずソファーに腰掛ける。
 ヒョウ柄のクッションは、跡部の趣味だ。宍戸は顔を顰めると、クッションを床へ放った。
 先に食べていようかと、弁当の包みに手をかける。その時、扉の開く音が響いた。
「遅かったな」
 振り向きながら宍戸がそう言うと、そこには何故か、向日の姿があった。
「向日?」
「悪い、ジローまくのに手間取っちまって」
 頭をかきながら、向日は一人がけ用のソファーに座ると、持ってきた弁当とペットボトルを置く。
「食べてからにすっか?」
「あ、ああ……?」
 そう返答しながらも、宍戸の頭は疑問符でいっぱいだった。
 おかしい。何故、向日がここに来たのだろう? 偶然やって来たにしては、事情を知ってそうだし……。
 弁当を食べ始めた向日を凝視しながら、宍戸はもしかして、とポケットの携帯へ手を伸ばす。
 メールの送信履歴を確認し、参ったと頭を抱えた。
 
 
 どうやら、送る相手を間違えたらしい。
 宍戸は、忍足に相談を持ちかけるつもりだったのだ。
 何故こんなことになったのかといえば、それは忍足が貧乏なせいであると宍戸は思った。
 忍足は一人暮らしで節約生活を強いられているせいで、時折携帯を止められることがあり、そんなとき宍戸は、いつも忍足と一緒にいる向日へ伝言を頼んでいた。
 そのせいで、忍足宛のメールを向日へと送る癖がついていたのだ。
「貧乏が悪い」
「あ?」
「いや……」
 なんて言おうかと顔を上げると、向日のどこか嬉しそうな顔にぶつかった。
「何笑ってんだよ?」
「え? あー、悪い! ほら、俺ってあんま相談とかされねえからさ、ちょっと嬉しかったつーか。あ、でも真面目に考える気はあるからな?」
「……」
 なんかもう、今更間違いでしたーとか言い出せる雰囲気じゃないような。
 宍戸は、今度は力無く呟いた。貧乏が悪い、と。
 
 
 
 
 肩を落とす宍戸に、よほど落ち込んでいるらしいと、向日は緊張を高めた。
 大丈夫かな、こんな弱ってる宍戸見るの、俺初めてな気がする。レギュラー落ちしたときでも、ここまで酷くはなかったはずだ。
 弁当を口に運びながら、向日は何とか力になってやりたいと思う。
「それで、相談って?」
「ああ……」
 困ったような顔で口ごもる宍戸を、向日は黙って見つめた。
 いつだったか、向日は忍足に聞いたことがあった。自分から口を開くまで、催促したりしないほうがいいのだと。
 弁当箱を元通り包むと、向日は何故か床に落ちていたクッションを抱き上げる。
 ぱんぱんとほこりをはらっていると、宍戸の視線がそれに注がれていることに気づいた。
「これ、趣味悪いよな」
 向日が顔を顰めてみせると、宍戸は目を逸らしながら軽く頷く。
「監督の趣味かな?」
「跡部……、だろ」
「あー、そんな感じ!」
 あいつ、ぜってー風呂上がりはバスローブだぜ、と向日は声をあげて笑った。
 そういえば、宍戸は跡部の幼なじみだ。跡部の部屋には、これと同じクッションが置いてあるのかも知れない。そして、宍戸はそれを目にしているのだろう。
 跡部と宍戸、なんだかおかしな組み合わせだと向日は思う。
 どちらも我が強くて、常日頃から口喧嘩が絶えないというのに、不思議と流血沙汰にまでなったことがない。むしろ、他の者がどちらかの悪口を言うと、お互いかばい合ったりするのだ。
 そういうところ、似ていると言えば似ているのかもな。
 
 
 向日からすると、跡部より宍戸のほうがつきあいやすかった。口は悪いが、根はいい奴だと思うし、なにより仲間を大切にする奴だから。跡部は何かと口うるさく、苦手という程ではないが、好んで近づきたいとも思わなかった。
「そういや、お前と跡部、意外と仲いいよな? ジローもだけど」
「……」
「幼なじみだから?」
 
 
 
 
 向日の問いかけに他意はなかったのだろうが、宍戸は大きく動揺した。なんと言っても、宍戸の相談事とは、他ならぬ跡部のことだったのだから。
 答えない宍戸に、向日は首をひねっている。
 こうなったら、と宍戸は決心した。全て、向日にうち明けてしまおう。頼りになるかどうかは別として、誰かに漏らしたりすることはないだろうと思ったのだ。
「絶対、他の奴に言うなよ?」
「わかった」
 真剣な顔で頷く向日に、宍戸はこちらも真剣な顔で切り出した。
「実は俺、跡部とつきあってるんだ」
「テニス?」
「いや……」
 向日が、テニスの話かと表情を和らげたので、宍戸は焦る。
 ああもう、それぐらい察してくれ。何で俺は、向日にメールしちまったんだ。聡い忍足なら、こちらから言う前にわかってくれただろうに。
 宍戸は、過ちを犯した自分を、心の中で罵倒した。
「そうじゃ、なくて」
「あー、家同士のおつきあい?」
「じゃ、なくて」
 少しも察してくれない向日の鈍さに、宍戸は泣きたくなった。
 はっきりと言わなくてはならないのだろうか、自分の口から。
「んだよ、はっきりしねえな。宍戸、男だろ? すぱっと言えよ、すぱっと」
「……さっきから言ってるんだけどな……」
「ああ?」
 宍戸が口の中で呟いていると、向日が怒ったのか声を荒げる。
 間違えたのはこちらなのだ。そう自分を宥めると、宍戸は口を開いた。
 
 
 
 
「だから。俺、跡部とつきあってるんだって。友達とか、じゃなくて」
「……はあ?」
 つきあってる? ともだちとかじゃなくて?
 うっすらと顔を赤らめる宍戸を目にして、向日は唐突に理解した。
 つきあってるって、つきあってるって、そういう意味かーーーーーーーーーー!!!
 
 
 てゆーか、お前ら男同士だろ? そう言いかけて、向日は口をつぐむ。
 言いづらいことなのに、わざわざ自分に相談してきてくれたのだ。差別するような発言をしてはいけないと思ったし、何より、自分と宍戸の関係がそれで揺らぐこともなかった。
 
 
 向日は、落ち着こうと深呼吸する。
 それから、再び黙り込んでしまった宍戸へと向き直った。
「あー。それで、相談ってーのは、跡部のことなのか?」
「ああ」
 恋愛のこと、しかも男同士。何故宍戸は、相談相手に自分を選んだのだろう。恋愛相談なら、例え男同士のことだとしても、まだ忍足とか、滝とかのほうが頼りになるのではないだろうか。
「……なんで、俺?」
 無意識のうちに、ぽつりと、向日はそう呟いていた。宍戸が、勢い良く顔を上げる。
 なんだか、怖いぐらいに思い詰めたような顔をしていたので、向日はそれ以上問いただすことが出来なかった。
 
 
 とにかく、理由はわからないが、宍戸が相談してきたのは自分なのだ。ここで力になってやらなくて、どうする。
 そう思って、向日は続きを促した。
 宍戸は、ため息を吐くと、言いづらそうに口を開く。
「跡部とつき合いだしたのは、ひと月ぐらい前のことだったんだけど」
「え! マジかよ!? 全然気づかなかった!」
 宍戸の告白に、向日は目を剥いた。今の今まで、ちっとも気づかなかった。何故なら、二人の態度は以前と全く変わらなかったからだ。少なくとも向日の目には、友人だった頃と、何一つ変わったようには見えなかった。
 
 
 
 
 驚く向日に、宍戸は二回目のため息を吐く。
「だろ? ……で、それが原因なんだよ」
「原因?」
 一番言いづらい部分に差し掛かり、宍戸は口をつぐんだ。ああ、なんで今、自分の前にいるのは向日なのだろう。
「だから、その」
「ああ」
「俺達、つきあってるってわかんねーだろ? 普通だろ? でも、跡部はそれが不満みてえなんだよ」
「不満」
 宍戸の言葉をくり返すと、意味がわからなかったのだろう、向日は眉根を寄せてみせる。
 宍戸は組んだ両手で口元を隠すと、
「だから、もっと、なんつーか、こ、恋人同士特有の、……あ、ああ! もーなんで俺がこんなこと言わなきゃならねーんだよ! くそっ!」
「おい、宍戸〜? 俺にわかるように話せよ」
 突然叫びだした宍戸に、向日は呆れた顔でソファーに深く腰掛け直した。
 向日の言うとおり、話さないことにはどうにもならない。向日に話したところで、解決する見込みなど殆どなかったが。
「だーから、普通の奴らみてえに、もっとこう、べたべたしたりしてえらしーんだよ!」
「べたべた……? 誰と、誰が?」
「だから! 俺と、跡部が!」
 勢いで怒鳴り返すと、向日は想像してしまったのか、この世の終わりが訪れたかのような面もちになる。
「キモっ」
「わかってるよ! だから困ってんだろうが!」
「困ってんのか?」
「当たり前だろう! なんで好きこのんで跡部とべたべたしなきゃならねえんだ!」
 
 
 
 
 立ち上がって怒鳴る宍戸の声の大きさに、向日は咄嗟に両手で耳をふさぐ。
 にしても、跡部が好きだからつきあってるんじゃねえのか? よくわかんねえな。
 叫ぶだけ叫んで落ち着いたのか、宍戸はゆっくりと腰を下ろした。はあはあと、肩で息をしている。
「跡部が、べたべたしたいとかゆうわけ?」
 あの、跡部が? 想像しただけで、笑えて仕方がない。
 宍戸は目元をうっすら赤く染めると、少し怒ったような顔をした。
「別に、はっきり言ってくる訳じゃねえけど。なんか、歩いてて気配感じて振り返ったら、あいつが手を握ろうとしてきたとこだったりとか。俺が気づくとやめんだけど、なんか、そういうことしてえのかなって」
「へえ」
「あと、俺が他の奴の話とかすると、急に不機嫌になったり。特に、忍足とか長太郎のことゆうと、口もきかなくなるんだよな」
「ほー」
 あの、跡部が。それは、いわゆる「やきもち」というものなのではないだろうか。
 確かに、忍足は同じクラスということもあり、宍戸とよく一緒にいるし、鳳は鳳で宍戸によく懐いていて、いつも宍戸さん宍戸さんとついてまわっていた。
 まだ、実は鳳とつきあっているんだと言われた方が納得できたかも知れない、と向日は思う。そのぐらい、跡部と宍戸にはテニス以外の接点が見つからなかった。
 
 
 本当に二人がつきあっているのだとしたら、跡部が不満に思うのも当然のことかも知れなかった。
「それは、まあ仕方ねえんじゃねえの?」
「そう、なのか?」
「だってさあ、俺もよくわかんねえけど、つきあうってそういうことなんじゃねえの? 別に四六時中一緒にいろとは言わねえけどさ、せめて二人でいるときぐらい、跡部のことだけ考えてやれば」
「……お前、意外と男らしいよな」
 宍戸の発言に、向日はどういう意味だと顔を顰めた。
 
 
 
 
 向日の言うとおりなのかも知れない。宍戸は、自分の認識の甘さを悔やんだ。
 跡部に好きだと言われたとき、嬉しいと感じた気持ちに偽りはない。けれど、いざ恋人として振る舞うとなると、躊躇してしまう気持ちがあるのも本当のことだった。
「俺は、なんつーか、跡部となら楽しいだろうなって思っただけで、つきあうってことがどういうことなのか、ちゃんと考えてなかったっつーか」
「お前、ばかだなあ」
「な、なんだよ……」
 しみじみとした口調で言われ、宍戸はムッとする。
 向日はペットボトルに口を付けながら、
「そーゆーのは、告白されたときに考えるもんじゃねえの。後から無理って言ったって、そりゃ跡部だって怒るだろ」
「……だよな……」
 向日に諭されるだなんて、と思いながらも、宍戸は頷いた。それをどう捉えたのか、向日はそうしょげるなって、と笑う。
「お前、跡部のこと好きなんだろ? でもって、跡部もお前のこと好きなんだから、いいじゃん。それが一番だいじなとこで、後のことは、なんてんだ、……ああ、二の次? ってやつだろ」
 その言葉に、宍戸はハッとした。
 確かに、そうなのだろう。自分は、跡部の要求にどう応えるかだけに気を取られていたが、一番大切なのは、そこではない筈だ。
 それさえ間違えなければ、他のことは何とかなるのではないだろうか。
 そう思って、宍戸は身体の力を抜いた。
 
 
 今後とるべき道を教えてもらった訳ではない。だが、これで良かったのかも知れないと思う。今まで深い霧に閉ざされた道のように見えなかったものが、向日の言葉によってはっきりとしたような気がした。
「向日」
「ん?」
「ありがとな。お前のお陰で、助かった」
「ばーか。ともだち、だろ?」
 照れたのか、向日は顔を赤くしながら笑みを浮かべる。
 恥ずかしいこと言うんじゃねえ、と宍戸も笑った。
 
 
 
 
 不得手な話題の筈なのに、自分のために、一生懸命頭を使ってくれた友人がいる。
 他の何より、それを嬉しいと感じた。
 
 
 
 【完】
 
 
 
 

  いただいたリクエストは、「忍足に相談しようとした宍戸が手違いで岳人に相談を持ちかけてしまい、そうとは知らずに頼られて張り切る岳人と結局解決には向かわなかったけれど不思議とすっきりしてしまった宍戸の友情もの。(跡宍前提で)」でした。
 
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!!
 
 
 
 
2004 03/07 あとがき