恋をした理由(跡部と宍戸と忍足)
忍足が宍戸と食事をとりながらのんびり喋っていると、廊下から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
主に、女生徒の悲鳴。悲鳴と言うよりは、黄色い声と言うべきか。
だんだん近づいてくるそれに、忍足は宍戸と顔を見合わせる。
「アレ、かな?」
「アレ、やろなあ」
一体全体、何の用があって、アレがわざわざ上の階まで足を運んできたのやら。
下の階のクラスにいるアレは、普段全くといってよい程上階へ来ることはなかった。
自分が用のあるときも、相手を呼びつけるような奴だ。
自分から上ってくるなど、よほど重要な用事でもあるのだろうか。
まあ、自分には関係のないことだ。
忍足は、扉の見える方へ向き直ると、壁に寄りかかった。
少しして、後ろの扉が開く。
顔を覗かせたのは、予想通りの人物。
テニス部の部長である、跡部景吾であった。
「あー、やっぱり」
「やな」
ジャンプを読んでいた宍戸が、だるそうに顔を上げる。
宍戸も、跡部は自分に用があると思ったのだろう。
このクラスに、他に跡部が相手をするような人物はいなかったし、何より、宍戸と跡部は恋人同士なのだから。
「愛しい亮ちゃんのお顔を見に来たってか?」
「……死ね」
忍足がからかうと、宍戸は物騒な言葉を吐いた。
そうこうしている内に、跡部が目前まで迫ってきた。
ここは、気を利かすべきやろか。がっくんとこでも行こか。
そう思って、忍足は立ち上がる。
脇を通り過ぎようとした忍足を、跡部の足が止めた。
「……なんやねん」
通せんぼをしてくる跡部の長い足を、忍足は怪訝な顔で見下ろす。
次の瞬間、跡部の口から飛び出した台詞に、忍足は耳を疑った。
「わざわざこの俺様が出向いてやったっつーのに、どこへ逃げる気だ。アーン?」
跡部が、忌々しそうにこちらを睨み付けてくる。
忍足は、咄嗟に座ったままの宍戸を振り返っていた。
宍戸が、驚いた顔で固まっている。
口を開く前に、忍足は跡部によって連れ去られていた。
「……手伝って欲しいなら、素直にそう言えばええのに……」
「まあまあ。それが出来ないからこそ、跡部なんじゃない?」
何がおかしいのか、滝がくすくすと笑った。
二人しかいない室内を見渡して、忍足はため息を吐く。
何故自分が、こんなことをしなければならないのだろう。
というか、滝はこれでいいのだろうか。
隣で書類をまとめている滝からは、少しも不満そうな様子は見て取れなかった。
「なに?」
視線に気づいたのであろう、滝がちらりと横目で忍足を見てくる。
「や、滝は、これでええん?」
「ぼく? ぼくは、別に。逆に嬉しい、かなあ」
「嬉しい?」
跡部に、こき使われるのが?
目を丸くする忍足の前で、滝はだってさあ、と嬉しそうに笑った。
「だって、これで跡部に貸しが出来たってことだもんね。なにで返してもらおうか? ふふっ、楽しみだなあ」
今にも歌い出しそうな口調で言う滝を、忍足は心底恐ろしい、と思う。
ジロちゃんとは違う意味で大物やな、滝は。
自分など、あの跡部から借りを返して貰おうだなんて、思いつきもしなかったというのに。
「忍足、手が止まってる」
「あ、ああ」
滝に指摘され、跡部がいなくてよかったと思いながら、忍足は再びキーボードを叩き始める。
滝は資料をまとめ終えたのか、鼻歌を歌いながら枚数を確認し始めた。
ここは、生徒会室。週末に控えた議会に必要な書類を作成するために、忍足と滝は呼ばれたのだ。
本来その役目を担うはずの生徒会役員は、跡部を除いた全員がインフルエンザでダウンしてしまったらしい。
他人を頼ることを嫌う跡部は、今日まで一人作業をしてきたらしいが、とうとうこのままでは期日に間に合わないであろうことを悟り、二人に協力を要請してきたのだ。
忍足に関していえば、問答無用で連れてこられたというほうが正しい。
忍足が生徒会のそういった事情を聞いたのは、生徒会室へ押し込まれ、PCの前に座らされてからのことだった。
「さーてと。これまとめたし、ぼくはもうお役御免かなあ?」
「かもしれんなあ。ちょお、お茶でもいれてくれんか?」
生徒会室には、備え付けのキッチンがある。茶葉や茶器類も、揃っていることであろう。
忍足の言葉に、滝は笑顔で振り向いた。
「ぼく、高いよ?」
「……金とるんか……」
「ぼくがタダで何かやってあげるのは、ジローと日吉にだけだもん」
「そーかいそーかい」
ほんまに、ぱっと見きれいで優しそうな分、質が悪いわコイツ。
飲み物を諦めると、忍足は再び画面へ目を向ける。
データを打ち込みながら、あれ、と思った。
「ジローと日吉にだけって、宍戸は入ってへんの?」
忍足から見たら、滝は宍戸にも充分甘く感じられるのだが。
滝は鼻歌をやめると、意味ありげに微笑んだ。
「宍戸? 宍戸からは、ちゃんと報酬を貰いたいなあ。お金とかじゃなくって、ね」
「さ、さよか」
ほんとうに、今この場に跡部がいなくてよかった。心から、そう思う。
「さーてと。紅茶でも飲もうかな。忍足は?」
「……タダなら、貰うわ」
「ついでだから、まけとくよ」
「それでも金とるんか!」
機嫌良さそうに紅茶の缶を開ける滝に、忍足は肩を落とした。
こいつと話してると、いちいち疲れてしゃあない。
「随分と余裕だな?」
「跡部」
跡部が、両手に書類を抱えて入ってきた。
こいつが自分で物を持つだなんて、珍しい。
忍足が少し驚きながら見ていると、さっさと手伝えと睨まれる。
「跡部、ダージリンでいい?」
「ああ。構わねえよ」
跡部にはタダでいれるんか、と突っ込みたかったが、この分は上乗せして返してもらうんだ、などと恐ろしい答えが返ってきそうでやめた。
机に広げた書類にざっと目を通し、まだ入力する分がこんなにあったのかと、忍足は軽く目眩を覚える。
紅茶を入れ終わった滝も、寄ってきて目を丸くしていた。
「これは、相当いいもので返してもらわないとね」
「何の話だ?」
「こっちの話」
二人の会話を聞いているだけで、なんだか胃が痛くなってきたような。
忍足は、胃のあたりを押さえた。
積まれた書類に目を遣り、これは放課後までかかりそうだと覚悟を決める。
今の時期、三年生の授業は午前中しかないので、当然跡部もそのつもりだったのだろう。
会長席に腰を下ろした跡部を見つめ、忍足は再びため息を吐いた。
「ま、お前ならこんなもんだろ」
「人に手伝わせといて、その言いぐさはないやろ……」
言っても無駄だと思いつつ、忍足はとりあえずそう言った。
滝は初めから感謝の言葉など期待していなかったのだろう、既に帰り支度を始めている。
それに倣って、忍足も帰り支度をしようとして、思い出した。
昼休み、突然引っ張ってこられたため、手ぶらで来てしまったことを。
これは一回教室に戻らねばと、その面倒さに首を振る。
「鍵閉めるぞ。とっとと出ろ」
「はいはい」
忍足は言われるがまま、重い扉を開け放った。
歩き出そうとして、角に誰かがいることに気づく。
「あ。終わったのかよ」
「カバン持ってきてくれたんか?」
宍戸が、忍足の荷物を持って立っていた。
ああ、とだけ言うと、宍戸は荷物を差し出してくる。
受け取りながら、何かがおかしいと感じた。
なんだか、元気がないような。
「あれっ、宍戸だ。元気ー?」
「滝」
滝が忍足の背後から顔を覗かせると、宍戸は目を見張る。
それから、少しだけ俯いてぼそりと呟いた。
「なんだ、滝もいたのか……」
「えー? あ、もしかして宍戸。跡部と忍足が二人でいると思って、気にしてた?」
「べ、別に?」
宍戸からしてみたら、なんの説明もなく突然、自分の恋人が別の人間を連れてどこかへ行ったきり戻らなかったのだ、心配して当然だろう。
そう思い当たって、忍足は笑みを浮かべた。
滝も隣で、おかしそうに笑っている。
そのとき、背後から楽しそうな声が響いた。
「なんだ宍戸。お前、妬いてたのかよ?」
うわー、めっちゃ意地悪そうな顔しとるー。
宍戸がこんなことを言うのがよほど嬉しいのだろう、跡部の顔は底意地の悪そうな笑みをかたどっていた。
「そんなんじゃねえよ!」
宍戸はそう怒鳴ると、もう帰ると踵を返す。
足早に歩いていく宍戸に追いつくと、忍足は声をかけた。
「なーな。ええんか、跡部置いてって。待ってたんとちゃうん?」
「……」
宍戸は、答えずに歩いていく。
後を追いかけながら、忍足は小さな声で言った。
「なあ宍戸、別に恥ずかしいことちゃうで? 図星さされたからて、そない怒らんでも」
「だから、違うんだって」
「宍戸?」
宍戸は、ばつの悪そうな顔をすると、
「だって、不安になったりとか、妬いたりとかって、そういうのは、……跡部のこと信じてねえってことだろ? そうゆうんじゃ、ねえんだって」
宍戸の言葉に驚いて、忍足は足を止めてしまう。
気にせず歩いていく宍戸との距離が開いてから、慌てて駆けだした。
ほんまに、なんで跡部が宍戸に執着するんか。
その理由が、わかったような気がするわ。
こないかわええ奴、手放せるはずないやんな?
【完】
いただいたリクエストは、「跡部×宍戸。跡部と仲がいい忍足を見て、やきもきする宍戸。」でした。
リクエスト、ありがとうございました〜!