ロマンチスト・エゴイスト(跡部と宍戸)
 
 
 
 予鈴が鳴ったというのに、珍しく宍戸がまだ来ていない。
 朝練があったときのくせなのか、宍戸は大抵教室に一番乗りだというのに。
 忍足は、何かあったのだろうかと背後の席を振り返った。
 無人の机は、なんだか淋しそうに見えて落ち着かない。
 
 
 その時、だだだだだ、ともの凄い足音が聞こえ、宍戸がやって来たのかと扉へ目を向けると、金色の髪が慌てた様子で飛び込んできた。
「忍足〜!! 亮ちゃんは!?」
「や、まだ来てへんけど。なんかあったん?」
 大股で忍足の席までやってきたジローは、忍足の返答に肩を落とす。
「跡部が〜」
「跡部?」
 不意に聞こえた跡部の名に、忍足は顔を顰めた。
 跡部は何故か、忍足にだけ故意に冷たい態度をとってくるので、忍足としてはあまり関わりたくなかった。
「跡部が! 聞いて!」
「あ、ああ。聞くし」
 服を掴んだままがくがくと揺さぶられ、忍足の眼鏡がずれる。
 興奮気味のジローに落ち着くよう手で示すと、忍足はようやく解放された。
「あのさ、俺さ、教室行く途中の廊下で寝てて」
「ジロちゃん、せめて教室にはたどり着こうな?」
「そんでさ、誰かに蹴飛ばされて起きて、それが跡部だったんだけどさ」
「跡部に?」
 あの跡部が、ジローを蹴飛ばすだなんて、よほど虫の居所が悪かったのだろうか。
 跡部とジローは幼なじみで、跡部はすこぶるジローに甘かったので、忍足は不思議に思う。
「起きて、跡部におはようっつって、そんでさ、跡部の顔見たらさ」
「ああ」
「跡部、ほっぺ真っ赤でさ! ちょうすごかった! あれって、びんたの跡じゃねえ?」
 ジローが、目を輝かせてそう言った。
 忍足は一瞬の間の後、それは……おもしろそうやな、と身を乗り出す。
「ね? ね? 笑えるっしょ? そんでさ、俺さ、ど〜したのそれって聞いたの! 亮ちゃんにやられたのって!」
「ああ、せやろなあ。あの跡部にそんなんするの、宍戸ぐらいのもんやろなあ。ほんでほんで?」
「したら、跡部、すっげ〜怖い顔してさ、……俺のこと、殴ったの! 頭ごつんって! すっげ〜痛かった! 涙出るかと思ったし〜!」
「跡部が、ジロちゃんを?」
 ジローの剣幕から、手加減無しで殴られたのであろうことが窺える。
 あの跡部が、ジローに八つ当たりをするだなんて、これは由々しき事態ではないだろうか。
 それ程までに、触れられたくない話題だと言うことか。
 一体宍戸と跡部の間に何があったのか、忍足は興味を抱いた。
 本音を言えば、跡部の機嫌が悪いままでは、自分にまでとばっちりが来そうだと思ったのだ。
 ただでさえ、自分は跡部に辛く当たられているというのに。
 ここは是非、なんとか事情を聞き出して問題を解決しなければならないだろう。
 忍足がそう言うと、よほど痛かったのだろう、ジローは一も二もなく頷いた。
「跡部から聞くのは無理やろなあ」
「無理無理! ぜって〜無理! 俺もう跡部の顔すら見たくねえ! こええもん」
「ジロちゃん、よっぽど怖かったんやなあ。よしよし、ここは一つ宍戸の到着を待とか」
「うん。にしても、亮ちゃん遅くね? もう本鈴なっちゃいそうだし〜」
 一旦戻る、とジローは自分の教室へ戻っていった。
 ほぼ入れ替わりに、宍戸がやってくる。
 ジローとは会わなかったらしい、宍戸に別段変わったところはなかった。
 忍足が見つめていることに気づき、なんだよという顔をされる。
「宍戸、お前昨日、跡部と何かあったん?」
「は?」
 忍足の言葉に、宍戸は怪訝そうな顔をする。
 そこで教師が入ってきたので、追求は中断した。
 
 
 
 
 チャイムと同時にジローが駆け込んできたので、宍戸が目を丸くする。
「りょ〜ちゃ〜ん!」
「お、おう。どした、ジロー?」
「亮ちゃん、跡部のほっぺ叩いたでしょう!」
「あ? ……あー、なんで知ってんだ? あいつ、なんかゆってた?」
 宍戸が、気まずそうな顔でジローを窺った。
 ジローは首を振ると、
「だって、すっげー跡残ってたもん! 見たらすぐわかるよ、誰かに叩かれたんだって」
「げ。マジかよ、んな強く叩いた気ねえんだけどな……」
「しかも、ジローのこと殴ったらしいで?」
「跡部が?」
「よっぽど怒っとるんやろな。何したん、宍戸」
 宍戸も、跡部がジローを殴ったことには大層驚いたようだ。
 だが何をしたのかという問いかけには、一向に答えようとしなかった。
 どうやらここでは言いづらいことらしい、忍足は宍戸に屋上へ行こうと声をかける。
 少し迷う気配を見せた後、宍戸は忍足について立ち上がった。
 歩き出す二人に、ジローがちょこちょことついてくる。
 
 
 もうすぐ授業が始まるからか、屋上に人影はなかった。
 手すりまでたどり着いて、忍足は宍戸を振り返る。
「で、何があったん?」
「跡部、なんかすっげ〜怒ってたよ?」
「……」
 口々に言われ、宍戸は困ったような顔で口を閉ざした。
 何か言いづらい事情があるのだろうか。
 ジローが、どうしようという顔で忍足を見上げてくる。
 宍戸が大好きなジローのこと、無理矢理言わせるのは忍びないのだろう。
 その気持ちがわかって、忍足は悩んだ。
 
 
 意地っ張りな二人のこと、誰かが間に立たなければ、事態は一向に進展しないであろう。
 それで困るのは、自分を含む当事者以外の人間なのだ。
 かといって、相談されたわけでもないのに、他人の恋愛事に首を突っ込むのもどうかと思う。
 
 
 忍足がジローと顔を見合わせていると、宍戸がぽつりと呟いた。
「……あいつが、いきなし押し倒してきたから、なんかびっくりして、気づいたら叩いてたんだ」
「……へっ?」
「はい?」
 突然聞かされた生々しい話に、二人は目を剥いた。
 まあ、恋人同士なのだから、そういうことをするのは当然といえば当然のことで、驚く方がおかしいのかも知れない。
「あーそーなんだ。気分じゃなかったの?」
 何と言えばよいかわからず黙っている忍足のかわりに、ジローがそう訊ねる。
 その問いかけに、今度は宍戸が目を見開いた。
「気分っつーか、その……」
「何? 具合悪かったとか?」
「……や、ちがくて」
「ん〜?」
 言い淀む宍戸に、ジローは首を傾げる。
 二人の会話を聞いていた忍足は、とある考えにたどり着いた。
 よもや、と思ったが、宍戸ならありえるかも知れない、と思う。
 恐る恐る、訊ねてみることにした。
「つかぬことをおうかがいしますが、もしかして、宍戸くんは、跡部くんと、……まだ、なんですか?」
 ナニが、とは言わないが、宍戸の態度から察するに、その可能性は高いのではないだろうか。
「はあ? んな訳ないじゃん! だって、二人がつき合いだしてからもう一年ぐらい経つぜ〜? ねえ、亮ちゃん!」
 ジローが笑いながら、宍戸の肩を叩いた。
 宍戸が、眉間に皺を寄せて俯く。
 そんな宍戸の様子に、ジローの笑いが止まった。
「……」
「……」
「……」
 三人は、一様に黙り込んだ。
 
 
 忍足の中で、一年という単語が引っかかっていた。
 二人がつき合いだしたのは、跡部が告白をしたのは、そう、確か一年前の……。
「……ああああああああ!」
 突然叫んだジローに、宍戸がぎょっとする。
 どうやら、ジローも同じ事に思い当たったらしい。
 ジローは、忍足と宍戸の顔を交互に見ながら続けた。
「昨日って、二人がつき合いだして、ちょーど一年じゃん! 記念日じゃん!」
「……そうだったか?」
 きょとんとした顔の宍戸を置いて、ジローと忍足は身を寄せて囁き合う。
「跡部さあ、すっげー楽しみにしてたと思うんだよね、昨日」
「あんなキャラして、実はむっちゃイベント好きやしなあ……」
「ね! だよね! なんつーの、ロマンチストっつーの?」
「あー。それやそれ、跡部にぴったりや、その言葉」
 うんうんとひとしきり頷きあって、二人は同時に宍戸へ向き直った。
 両側から宍戸の肩に手を置くと、
「亮ちゃん、今すぐ跡部に会ってきたほうがいいよ」
「さすがの俺も、跡部に同情するわ」
「な、なんだよ急に……」
「別に謝んなくていいから、もう一度昨日をやり直そうって言えば大丈夫だから!」
「そーそ。先生には、早退したってゆうとくし、素直に跡部にお持ち帰りされとき」
 二人に詰め寄られ、宍戸は思わずという風に頷く。
 それを合図に、二人は宍戸の背を押した。
 屋上を後にする宍戸の背に向かって、ジローが両手をあわせて拝みだしたので、忍足は片手をあげて呟いた。
「健闘を祈る、ゆうてな」
 
 その後二人がうまくいったかどうかは、次の日、跡部の機嫌がすこぶる良かったことから推して量るべし。
 
 
 
 【完】
 
 
 
 

 いただいたリクエストは、「跡宍。跡部が宍戸を押し倒したら宍戸にビンタ食らって翌日顔に手形が残ったまま登校した跡部。ジローと忍足で宍戸に覚悟を決めろとアドバイス。」でした。
 
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!
 
 
 
 
2004 05/09 あとがき