選択ミス(跡部と千石と神尾)
 
 
 手中の封筒を握りしめ、神尾は落ち着きなく動き回っていた。
 廊下の右へ行ったり左へ行ったり、その姿は、通りすがりの者が首を傾げるぐらい不審なものだった。
 見かねた伊武が声をかけると、神尾は泣きそうな顔で振り返る。
「深司」
「なに、してんの」
 伊武は、無表情のまま問いかけた。伊武自身は特に意識していたわけではないが、その表情は神尾から相談する気を失わせるには充分だったようで、なんでもない、と駆けていってしまった。
「……なんなの、アレ」
 せっかくこの俺が声をかけてやったのに、あの態度はないだろう。何様のつもりなんだ、大体神尾は……、などと呟きだした伊武に、声をかける者はいなかった。
 
「……はー」
 脳天気なことにかけては誰にも負けないであろう神尾が、珍しくため息を吐きながらとぼとぼと町中を歩いていく。
 先程まで握りしめていた封筒は、今はカバンの中へしまわれていた。
 どうしよう。昨日あれだけ考えたのに、今日こそはちゃんと渡すんだって決めてたのに、……今日も、渡すことが出来なかった。
 このままでは、渡すことが出来ないまま、いや、話をすることすら出来ないまま、当日がやってきてしまう。
 声をかける機会をうかがって教室の前をうろついてみたが、友人と一緒だったり教師に呼び止められていたりして、結局何も言えなかった。
 誰かに頼もうにも、この手の話に的確なアドバイスをくれそうな知り合いは、残念ながら存在しなかった。
 伊武に尋ねられたことを思い出し、神尾は首を振る。
 深司は、駄目だ。あいつはモテるけど、女の子にはあまり興味がないみたいだし。以前好みのタイプの話をした時だって、もの凄く冷たい目で見られたのだ。相談したところで、そんなことで悩むなんて馬鹿みたいだと言われるのがオチだろう。
 伊武の呆れた顔が浮かんで、神尾はひときわ大きくため息を吐いた。
「わー、すっごいおっきなため息〜!」
「ふん。相変わらず辛気くせえ面だな。それとも、貧相、って言ったほうがいいか?」
「……あ、あんたら、何でここに?」
 目の前には、楽しそうに目を輝かせている山吹中のエース・千石と、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている氷帝の部長・跡部が立っていた。
 このあたりは不動峰中の学区だから、私立に通う二人が偶然通りがかるには不自然な場所だ。
 千石が跡部の肩に手を置きながら、
「や。たまたま地元で跡部くんに会ってね〜、意気投合してここまで来たんだけど〜」
「てめえ、今すぐ『意気投合』の意味を辞書で引いてきやがれ。この場合、無理矢理ってのが適切だろう」
 跡部が、千石の手を振り払いながら不満げに言った。
 二人が一緒にいる理由は、わかった。で、なんでまたこんなところまで来たのかと訊ねると、千石がにやりと笑みを浮かべる。
「あのね。駅前のマックに、すんげ〜可愛い子が入ってさ! もちょっとで落とせそうなんだよね〜」
「ナンパかよ……」
 人の地元を荒らさないで欲しい。神尾が顔を顰めると、千石は笑顔のまま、早く行こうと神尾の手を引いた。
 千石の中では、すっかり神尾も一緒に行くことになっているらしい。
「ちょ、ちょっと、何で俺まで……っ」
「まーまー、神尾くん、なんか悩んでるんでしょ? 話なら俺達が聞いてあげるよ〜?」
「ちょっと待て。なんでそこに俺様まで入ってるんだ」
 千石に連れられながら、神尾は周囲の目線が二人に集中していることに気づいた。
 経験豊富そうな二人に話を聞いてもらえれば、何かよいアドバイスを得られるかも知れない。
 そう思って、神尾は二人についていくことにした。
 
 
 
 
 
 目当ての子が今日はいなかったらしい、千石は目に見えて気落ちした様子で窓際の席に座り込んだ。
 向かいに座ると、神尾はまだ立ったままきょろきょろしている跡部に目を遣る。
 ひとしきり見終わったのか、跡部はようやく千石の隣に腰掛けた。
 カウンターで注文するときから疑問に思っていたのだが、もしかしてこの男は。
 千石も同じ疑問を抱いていたらしい、
「あのさあ、跡部くんってもしかして」
「マック来たの初めて、……とか?」
「マック? ほう、ここがマックとやらか」
 何故か偉そうにふんぞり返りながら、跡部が答えた。
 今時、中三にもなって初マックだなんて、氷帝の奴らは一体どんな生活を送っているのだろう。
 同じ私立でも山吹との差は歴然としているらしい、千石がありえない、と呟くのが聞こえた。
「で、フォークとナイフはどこだ?」
「……」
「これはね跡部くん、手づかみで食べるものなんだよ」
 最早何も言う気力がなくなった神尾のかわりに、千石が親切に教えてやると、跡部は謀られているのではないかと、眉間に皺を寄せる。
 周囲の人間が手づかみで食べていることを確認し、ようやくハンバーガーへ手を伸ばした。
「で、神尾くんの悩みってなんなの? もしや、恋話? まーかせて! 俺、そゆの得意よ〜?」
「あー、はあ」
 真剣な面もちで咀嚼する跡部に気をとられながら、神尾はぽつりぽつりと語り出した。
 好きな女の子がいること。顔を見れば言葉は交わすけれど、二人で出かける程仲がよいわけではないこと。一緒に行こうと思って、彼女が好きだと言っていたアーティストのチケットをとったこと。きっかけが掴めず、未だ誘えずにいること。
 そこまで話したとき、千石が目をぱちぱちとさせた。
「なんで〜? そこまで準備出来てるなら、後は声かければおっけーっしょ? 普通に喋れるんなら、チケットあるから一緒に行こう、ですむじゃん?」
「だから、それが出来れば苦労しないっての……」
「なんでなんで〜? よっぽど大切な用でもない限り、断られないと思うけどなあ」
「……」
 駄目だ。この人とは、根本的なものの考え方が違うらしい。というか、きっとこの人には、躊躇いとか恥じらいとか、そういった感情が欠けているのだろう。
「だってやっぱ、他の子といるときだと声かけにきいし、部の奴に見つかったら大変だし……」
「ふーん。色々大変なんだねえ。あ、じゃあさ、教科書とか借りて、お礼ってことで誘うとかは? たまたまチケットがあって、って感じで」
「あ、それいい! よし、それでいこう……」
 千石の提案に、神尾は一も二もなく頷いた。
 これなら、上手くいきそうだ。
 明日こそは、ちゃんと誘えますように。
 にしても、俺があれだけ悩んでも良い考えが浮かばなかったというのに、ちょっと話を聞いただけで思いつくなんて、なんつーか、やっぱ、……慣れてんだろうなあ。
 にこにこと笑みを絶やさない千石は、こうして話していても先輩だと言うことを忘れてしまうぐらい人当たりがよく、優しい雰囲気が感じられた。
 女の子って、やっぱこういう、話しやすくて優しい男が好きなのかな……。
 神尾がじっと見つめると、千石は何を勘違いしたのか照れ始めた。
「やだなあ、そんな見つめられたら照れちゃうんだけど!」
「べっつに、見てないっすよ。ただ、やっぱモテんだろうなあって」
「あー。モテるよ? っつーか、俺ってば、何か男より女の子のほうが話しやすいんだよね〜。女の子はいいよねえ、かわいくてふわふわしててやわらかくって、いい匂いがするしさー。だからなんか、女の子に囲まれてるのが好きなんだー、俺」
「囲まれて……」
 用もないのに女生徒と話したりなどしない神尾には、想像もつかない話だ。
 やっぱりこの、千石独特の、明るく楽しそうな空気に寄ってくるのだろうか。
 神尾がそう訊ねると、千石は嬉しそうに口を開いた。
「俺についてこい、だなんて今時はやんないっしょ? 女の子はねえ、やっぱ何だかんだ言っても、優しい男に弱いわけよ。どこまでも優しく、ひたすら優しく、時には冗談を交えつつ、少しずつ自分のペースに持ち込むって感じかなー。ま、俺ぐらいになると、簡単なものだけどね。ねえ、跡部くん?」
 話を振られた跡部は、アイスティーに口を付けたまま振り向いた。これは本当に紅茶なのか、などと首を傾げている。
「アーン? 俺様ほどの男が、自分から声かけたりするわけねえだろうが。ほっといても寄ってくんだよ。女って奴は、見かけによええからな」
「ふうん。跡部くん、中身が伴ってないって自覚してるんだ」
 千石が感心したように呟くと、がごっとすごい音がした。
 どうやら机の下で跡部が蹴ったらしい、千石が足を押さえながらふるふると震えている。
 跡部は何事もなかったかのように涼しげな顔をして、
「俺様は勿論、見かけも中身も完璧だぜ? ただ、顔だけで寄ってくるばかな女が多いってだけの話だ。ま、そんな頭の軽い奴らの相手をするほど、俺様は暇じゃないんでな」
 女の子の相手をする時間はなくとも、千石につき合ってここまでやってくる時間はあるのか。神尾は、ある意味感心した。
 跡部はちらりと神尾を一瞥すると、
「おい。こいつの言うこと、真に受けてんじゃねえだろうな?」
「え?」
「優しくすりゃあいいとか、んな面倒なことしてんのは、このあほぐらいのもんだ」
「あほ〜!? あほだなんて、跡部くんには言われたくないやい」
 きーきーと口を挟む千石の首を締め上げると、跡部は不敵に微笑んだ。
「女なんてのはな、黙っててもついてくるもんなんだよ。それがなんだ、いちいちご機嫌取りか? 冗談じゃねえ。んな手間のかかる奴、こっちからお断りだぜ」
 ふんと鼻を鳴らす跡部に、神尾は脱力するしかなかった。
 もうなんていうか、それはお前の顔があるから出来ることだと言ってやりたい。
 そんな扱い方をされてもついてくる相手がいるだなんて、羨ましいというかなんというか。
 この男とつきあっているのは、一体どれだけ心優しい人なのだろう。
 こんな男を許容できるだなんて、どれだけ心の広いことか。
 きっと天使のような人間なのだろうと、神尾はまだ見ぬ相手を尊敬した。
 
 
 だが、跡部の言うことにも一理あるかも知れない。
 女子のうわさ話を聞いている限り、千石のように優しい男もモテるようだが、跡部のように俺様な男も案外人気があったりする。
 優しいだけでは、駄目なのかも知れない。
 普段は優しくて、いざというときは引っ張っていってくれるような、そんな男が理想なのかもなあ。
 自分はどちらにも属さないことを思い出し、神尾は頭を抱えた。
 なんだか、ますます落ち込んできたような……。
 
 
 相談相手を、間違えたかも知れない。
 目の前の二人は、何をしたってモテるような奴らなのだ。
 話を聞いたところで、同じように振る舞えるわけではない。
 相談するからには、自分と同じようなタイプの人間のほうが、もっと色々と参考になったかも……。
 今更そんなことに気づき、神尾は力無くうなだれた。
 
 
 いまだ続く跡部の俺様談義に投げやりな相づちを打ちつつ、神尾はとりあえず食べよう、とポテトをつまみ上げる。
 と、跡部の話には全く興味がないらしい、窓の外を眺めていた千石が、誰かに大きく手を振った。
 知り合いでも通ったのかと目を遣ると、跡部と同じ制服に身を包んだ男が驚いた顔で立っている。
 あれは確か、氷帝の、宍戸……だったか。
 対戦したときはもっと長い髪だったが、恐らく本人に間違いないだろう。
 宍戸は跡部の姿に目を止めると、店内へと入ってきた。
「何してんの、お前ら」
「あー、跡部くんはねえ、」
「俺はこいつに連れてこられたんだ」
 千石の言葉を遮るように早口でそう言うと、跡部は宍戸に、お前こそ何してるんだと問い返す。
 宍戸は手にしていた袋を持ち上げると、
「あー。この先のショップで、限定Tシャツ売ってるって聞いたから」
「へー。どういうの? 見せて見せて」
 袋をのぞき込もうとする千石を押しのけると、跡部は立ち上がった。
「俺はもう帰る。おい宍戸、家まで道案内しろ」
「はあ!? 何で俺が……っ。車呼べばいーだろ」
「ふん。電車に乗りたい気分なんだよ」
「自分で切符も買えないくせに……」
 ぶつぶつと悪態をつきながら、宍戸は跡部を伴って去っていく。
 その後ろ姿を見送って、神尾はもしかして、と千石を振り返った。
 目が合うと、千石はその通り、と大きく頷く。
「跡部くんはねえ、宍戸くんがこっちに来るって聞きつけて、そんで俺についてきたってわけ。一人じゃ切符も買えないみたいだしい?」
「そんな……」
 言ってることとやってることが、まるで違うではないか。
 一歩間違えたら、ストーカーになりかねない。というか、既に……。
 全く時間の無駄だったとテーブルに突っ伏した神尾に、千石がドンマイ★と笑いかけてくる。
 
 
 
 
 本当に、自分は、相談する相手を誤ったようだ。
 
 
 
 
 【完】
 
 
 

 いただいたリクエストは、「跡宍+千石+神尾。女の子にもてるであろう二人に恋の相談をする神尾。千石の回答にうんざりしたり、跡部の回答に納得しかけるが、そこへ宍戸さんが登場。以外と尻に轢かれている跡部様を見てがっかり・・・」でした。
 
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!
 
 
 
2004 05/23 あとがき