蒼い霹靂(滝と不二と宍戸と菊丸と忍足)
 
 
 その日は朝から雲一つない青空が広がっていて、特に暑くもなく寒くもなくすごしやすい一日だった。
 不二は帰り支度をしながら、窓の外を見つめる。今日は部活もないし、久しぶりに真っ直ぐ帰ろうか。それとも、寄り道をしていくのもいいな。
 そんな不二の頭の中を覗いたかのように、同じクラスである菊丸が声をかけてきた。
「ふ〜じっ! 今日ようじある〜?」
「ふふっ。別にないけど」
 主人の機嫌をうかがうペットのようにすりすりと身を寄せ、甘えた表情で見つめてくる菊丸に、不二は笑みを漏らす。
 それにつられるように、菊丸も笑顔になった。
「やった! じゃあさじゃあさ、どっか寄ってこう! ね? いいっしょ? 不〜二〜!」
「それじゃあ、お供させてもらおうかな」
 快諾する不二に、菊丸は文字通り飛び上がって喜びを表現する。出会った頃から変わらない菊丸の素直さを、不二は好ましく思っていた。
 早く行こうと催促してくる菊丸の頭をひと撫ですると、不二は教室を後にした。
 
 
 天気もいいし、遠回りして帰ろうか。そんな風に考えながら、滝は昇降口へ向かう。階段を降りたところで、よく知っている人物に出くわした。
「あれ、滝じゃねえか」
 下駄箱の脇に立っていたのは、滝の部活仲間である宍戸だった。
「帰りが一緒になるなんて、珍しいこともあるね」
 二人は同学年だったが、教室が離れているため校内で出くわすことは殆どなかった。
 滝の言葉に、宍戸はああ、と視線を滝の背後に向ける。滝が振り向くと、そこには忍足が立っていた。
「遅い。帰ろうかと思った」
「ごめんって。担任に捕まってもーて」
 宍戸と忍足は同じクラスである。会話の内容から、どうやら用事のあった忍足を宍戸が待っていたらしいことがわかった。
「ふーん。それで帰りが一緒になったってわけか」
「滝も今帰りなん?」
「俺達駅前行く予定なんだけど、滝も行かねえ?」
「そうだね……」
 急な誘いだったが、断る理由はない。こちらを見つめてくる宍戸の真っ直ぐな目に、滝は笑顔で返した。
「それじゃ、ぼくもご一緒させてもらおうかな」
「んじゃ、行こうぜ」
 それぞれ外履きに履き替えると、駅前へ向かった。
 
 
 特に目的もなかったので、不二と菊丸はとりあえず駅前のショッピングモールを覗くことにした。ぶらぶらと歩きながら、目を引かれたものについてあれこれ話し合う。そんなことを繰り返していると、菊丸がとあるファンシーショップで足を止めた。
「見て見て不二! あれおもしろそうだにゃ〜」
 菊丸が指さしたものを見て、不二は目を細める。そこにあったのは、押すと鳴き声の出る大きな猫のぬいぐるみだった。
 すぐさま駆け寄ると、菊丸はぬいぐるみを押しつぶすように強く抱きしめる。ぬいぐるみから、にゃあという愛らしい声がして、菊丸は満足そうに笑った。
「そうしてると、まるで親子みたいだね」
 不二の言葉に、菊丸がぬいぐるみを抱いたまま首をかしげる。
「親子? 誰と、誰があ?」
「英二と、そのぬいぐるみ」
 菊丸は一瞬きょとんとした表情をして、手にしたぬいぐるみをまじまじと見つめた。
「俺と、こいつがあ?」
「うん」
 不二がにこやかに頷くと、菊丸はう〜んと考え込む仕草をする。それから、ぱっと明るい顔になると、
「よし、じゃあ俺はこいつのおとうさんってことだな!」
「……逆のつもりだったんだけどな」
 不二の突っ込みなど聞こえないようで、菊丸は満足げにうなずくとぬいぐるみを戻した。頭を撫でながら、また来るからいい子にしてるんだぞ、と言い聞かせている。
 不二がその光景を微笑ましく見つめていると、背後からどこかで聞いたような声が近づいてきた。
 
 
 駅前までの道のりを、滝たち三人はのんびりと歩いていく。
「何か買い物でもするの?」
「亮ちゃんが、駅前見て回りたいんやって」
「亮ちゃんゆうなっつの」
 隣を歩く忍足を蹴り飛ばすと、宍戸は滝に振り向いた。
「高等部あがるまで部活もねえし、たまにゃいいだろ?」
「……そうだね」
 滝たち三年生は、先日正式に部活を引退した。それも、関東大会の初戦で敗北を喫するという、予定外の理由で。突然ぽっかりとあいてしまった時間を、皆もてあましていたのかも知れない。
 宍戸の言葉にうなずくと、滝は笑顔になって言った。
「せっかくだから、思いきり満喫したいよね」
「だな」
 目的もなく街をぶらつくだなんて、今までは時間がなくてできなかったこと。ただそれだけのことが、とびきり贅沢なことのような気がして、滝はなんだか楽しくなってきた。
 駅前に着くと、三人は目についた店に片っ端から入ってみることにした。新発売のCDをチェックしたり、ゲームショップを覗いてみたり。
 何軒目かに立ち寄った書店で、宍戸が買いそびれたマンガを購入した。それを機に、どこか座れる場所へ入ろうかということになる。といっても、中学生の身で気軽に入れる店といったら、ファーストフードぐらいしかないのだが。
「確かあっちのほうにマックあったよな?」
「あー、今ならハンバーガーがお得なんやっけ」
「それじゃ、行ってみようか」
 ショッピングモールを抜けたところに、確かファーストフード店があったはず。そこを目指し、三人は再び歩き出した。
 
 
 その声の主に、最初に気づいたのは菊丸だった。不二の背後に目を遣り、驚いたような顔をする。つられて不二が振り向くと、どこかで見た顔に出くわした。
「あ……」
「青学の」
「不二くんに、菊丸くん、やんな?」
 不二が答える前に、菊丸が宍戸に駆け寄った。
「宍戸っち! お久〜!」
「誰が宍戸っちだ、誰が」
 顔を顰める宍戸のことなど意に介さない様子で、菊丸はその手をとってぶんぶんと上下に大きく振った。一方的に打ち解けてくる菊丸に宍戸は呆れた顔で肩をすくめ、なんとかしろという風に不二を振り返る。
 その視線を受け止めると、不二は微笑しながらこう提案した。
「せっかくだし、どこかで涼もうか」
 否定の声は、あがらなかった。
 
 
 二人ほど連れが増えたが、忍足たちは予定通りショッピングモールを抜けたところにあるファーストフード店へたどり着いた。各々好きなものを注文し、席を探す。
「天気いいし、テラス席行こう!」
 言うなり、菊丸が店の外へ出ていった。残された四人は顔を見合わせると、後を追うことにする。
 テラス席はちょうど木陰になっており、風も吹き抜けるのでじゅうぶん涼しかった。皆考えることは同じなのか、菊丸が陣取った席以外、すべて家族連れなどでふさがっていた。
 席に着くと、改めてお互いの名前を確認しようかということになった。
「きみが忍足くんで、」
「こっちが宍戸っち!」
 隣に座った宍戸の手をとって、菊丸が叫ぶ。だからなんで宍戸っちなんだよ、という宍戸の抗議は耳に届かないようだ。
 不二はそんな菊丸を優しい面もちで見つめたあと、首をかしげつつ滝を見た。
「ええと、……ごめん。きみ、誰だっけ?」
 その不二の一言で、忍足はその場の空気が一気に冷えたような気がした。隣に座る滝の顔が、まともに見られない。
 無言の滝の代わりに、忍足は慌てて口を開く。
「こっちは滝萩之介! 俺たちの同級生で、テニス部仲間やねん」
「へえ。たき、はぎのすけ……くん? ふふっ」
 ぼんやりとした口調で滝の名前を繰り返すと、不二がおかしそうに笑った。
「ちょっと。人の名前を聞いて笑うなんて、失礼だと思わない? 青学の人って、みんなそうなの?」
 くすくすと笑い続ける不二に、滝が冷たい声音で言う。不二が、ようやく笑いをおさめて顔を上げた。
「ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだ。ただ、随分と古風な名前だなあって」
「悪かったね。ぼくの名前は、お祖父さんがつけてくれた大切な名前なんだよ」
「だからごめんって言ってるじゃない。案外しつこいんだね、きみって」
 どちらも笑みを浮かべているというのに、ちっとも和やかに見えないのは何故なのだろう。間に挟まれた忍足は、暑くもないのに汗をかいていた。
「宍戸っち、何買ったの〜?」
「あ? ああ、マンガ。まだ買ってなかったから」
「へ〜! 何読んでんの? 見せて見せて〜!」
 テーブルの向こうで、宍戸が手にしていた書店の袋に目を止めた菊丸が、中身を見せろと騒いでいる。諦めたのか、宍戸は素直に中身を見せてやった。マンガについてあれこれ話している二人を眺めながら、忍足はため息を吐いた。どうして自分はこちら側にいるのだろう。出来ることなら、今からでもあちら側に行きたかった。
 そんな忍足の思考を読んだかのように、滝がこちらに話を振ってくる。
「ねえ忍足。きみもそう思うだろ?」
「えっ?」
 一体なんのことだろう。宍戸と菊丸に気をとられていた忍足は、滝と不二の会話を聞いていなかった。素直にそう言うべきか、てきとうに賛同しておくべきか。
 悩んだ末、後者に決めた。
「あ、ああ、せやな」
「やっぱりそうだよね!」
 忍足が頷くと、滝は満面の笑みを浮かべる。不二が、隣で微かに舌打ちしたような気がした。
「……ふうん。きみたち、随分と仲がいいんだね?」
 不二ににっこりと微笑まれ、忍足はどう答えたものかと視線を彷徨わせる。と、その腕をとって滝がにこやかに答えた。
「うん。ぼくたち、とっても仲良しだもんね〜?」
 忍足が否定する間もなく、不二がこちらもにこやかに、へえ、そうなんだと言った。
「それは、是非とも覚えておかなくっちゃ、ね……」
 ふふふ、と意味深な笑顔を向けられ、忍足は全身総毛立つ。なんだか今、不二の心の中で、「いつか呪うリスト」に名前を書かれてしまったような、そんな気がするのは自分だけだろうか。
 何かを感じとったのか、五人の周囲から、先ほどまでいた筈の他の客が姿を消した。
 向かいに座っている宍戸と菊丸が、何やらこそこそと耳打ちしているのに気づき、忍足は声をかける。この場の雰囲気が少しでも良くなればと思えばこその行為だったが、忍足は後に思いきり悔いる羽目になった。
「あ? んーと」
「あのさ、似てるよねえって話してたの!」
 言葉を濁す宍戸とは対照的に、菊丸が目を輝かせて言った。心から楽しそうな菊丸の顔に、不二の表情が和らいだ。
 よかった、これで少しは状況がよくなった。忍足がそう思ったのもつかの間、菊丸が更に続けた言葉に、胃を痛めることになる。
「不二とお、滝が! ねえ、宍戸っち」
「あー、うん。なんとなく、雰囲気がっつーか。似てる」
 不二と滝を見比べながら、宍戸までもがそう口にする。
 凍り付くその場の空気にはこれっぽっちも気づかない様子で、菊丸と宍戸は尚も言葉をつむぐ。
「不二っていっつも優しいし、滝も、優しそう!」
「ああ。滝も、なんつーか、親切だよな」
 お前らはもっとこう、なんていうか場の空気を読む力を身につけてください。忍足は、そう心の中で呟いた。
 力無くうなだれる忍足に、追い打ちをかけるかのように滝が振り向いた。ついで、不二も視線を寄越す。
 
 
「忍足も、そう思う?」
「きみも、そう思うかい?」
 
 
 口々に訊ねられ、忍足は絶望的な気分で天を仰ぐ。
 晴れ渡る空に、雷鳴が轟いているような、そんな気がしたのだ。
 
 
 【完】
 
 
 

 いただいたリクエストは、「テニプリ界二大黒魔術師の邂逅。青空も凍るような素敵な会話をして欲しいです(笑)。そして宍戸さんと菊丸あたりが全く空気が読めなくて、忍足の胃が痛むような若白髪が増えるような、そんな清々しい放課後(笑)希望。」でした。
 
 
 リクエスト、ありがとうございました〜!!
 
 
 
2004 07/22 あとがき