81:クリスマス・イブ(跡部と宍戸)
 
 
「あー、俺今日は行けねえわ」
 そう言った宍戸に、皆の視線が集まった。特に鳳は、拗ねたような怒ったような表情を浮かべている。宍戸は困ったような顔で肩をすくめると、悪いな、とだけ言った。
 テニス部では、毎年、クリスマスはレギュラーの皆で集まって祝うという習慣があった。終業式を終え、今年は何をしようかと相談をしているときに、宍戸が冒頭の言葉を発したのだ。
 宍戸がクリスマスに集まれない理由を、その場にいた全員がわかっていた。だからこそ、鳳は宍戸に食ってかかる。
「なんでですか! 毎年のことじゃないっすか! 俺、去年はレギュラーじゃなかったから参加できなくて、今年こそはって、すごく楽しみにしてたのに!」
「いや、あの、なあ……」
 可愛がっている後輩に泣きつかれ、宍戸はどうしたものかと頭を抱えた。正直に、跡部と過ごすと言えばいいのだろうが、それはそれで泣かれそうな気がする。何故かは知らないが、この後輩は跡部を良く思っていないらしく、跡部といると恨みがましい目でこちらを見てくることが度々あった。
「鳳。我が儘言ったらあかんで」
「バカップルのことなんか忘れて、ぱーっと騒ごうぜ!」
 向日の言葉に、宍戸は一瞬首を傾げ、それから顔を赤くして怒った。
「誰がバカップルだ、誰が!」
「お前と跡部に決まってんだろ! 四六時中いちゃつきやがって」
「だ、誰がいつ、いちゃついたっつーんだ!!」
 全く身に覚えのないことを責められ、宍戸はムキになる。向日は、お前、自覚なかったのか……と呆れたような顔をした。
「まあまあ、そのぐらい大目に見たってや。こいつら、長いこと上手くいかへんとうじうじしとったんやから」
「ったく、侑士は宍戸に甘いんだからよー」
 忍足の、フォローになってるんだかなってないんだかよくわからない言葉に、それでも向日が納得したようなので、宍戸は心の中で一応感謝する。宍戸さ〜ん、とぐすぐす泣いている鳳の背中を叩くと、こいつらがいれば充分楽しいって、と言って部室を出た。残された鳳が、宍戸さんがいなきゃ意味がないのに〜、と大泣きしたことを宍戸が知ることはなかった。
 
 
 
 
「よお。ちゃんと言ってきたんだろうな?」
 宍戸が姿を見せると、昇降口で待っていた跡部は開口一番そう訊ねた。
「あー。なんか、長太郎泣かしちまった」
「はっ。お前も大概あいつに甘いな」
 そんなことねえけど、ともごもご呟いている宍戸の頭を小突くと、跡部は行くぞと言って歩き出す。
「なあ、ジローはどうしたんだ?」
「ああ、寝そうだったから先に車に乗せた」
「そっか」
 本来なら、恋人同士である跡部と宍戸の二人で祝うところだが、二人ともジローがいることに異論はなかったし、当のジローも遠慮する気など更々無かったため、今日と明日を三人で過ごすことになった。会場である跡部の家までは、距離があるため車を用意してあった。扉を開けた運転手へ頭を下げる宍戸を見て、跡部は眉をひそめる。
「お前は俺様の客なんだから、そんなことはしなくていい」
「そんなこと言ったってよー」
「ったく、いつまで経っても慣れねえな」
 だが、そこが宍戸のよいところでもあるのだろう。そう思いながら、跡部は宍戸の隣に腰掛けた。かなり広めの車内では、向かいの席で既にジローが眠りに落ちていた。宍戸が備え付けの毛布を掛けてやると、何事か呟きながら丸くなる。その様子に、宍戸が微笑んだ。可愛くて仕方がないという表情に、自然跡部の顔もほころぶ。
 
 
 
 
 
 着替えを終え、跡部は二人の待つ部屋へ向かう。ジローはもう起きただろうか。部屋を出る前、ソファーに転がしたジローを懸命に起こそうとしていた宍戸の姿を思い返す。別に、寝ているなら寝ているままでも構わないと思う。ジローをのけ者にするつもりはないが、たまには宍戸と二人きりの時間を持ちたいというのもまた、跡部の本音であった。
 扉を開くと、ジローが宍戸に抱きついて何やら囁いているのが目に入った。いつものことなので特に気に留めなかったが、宍戸の顔が些か赤いことに気づき、跡部は首をひねる。今更、ジローが抱きついたくらいで宍戸が照れるとも思えなかった。
「跡部〜! 俺、ちょう腹ぺこ! ご飯まだ〜!?」
「すぐ運ばせる。ったく、完全に起きちまったみてえだな」
 ご飯ご飯、と跳びはねるジローに顔を顰めると、跡部は座ったままの宍戸に同意を求めて目を遣る。だが宍戸は、目を伏せたままだ。
「おい?」
「あ、ああ、なんだよ?」
 宍戸はようやく顔を上げたものの、そわそわと落ち着きなく視線を巡らせる。
「ジローに、なんか言われたのか?」
「べ、別にっ」
 否定の言葉を口にしながらも、宍戸の態度は肯定を表していた。跡部は不愉快な気持ちを隠さずに、問いつめようと口を開く。そこへ、料理が運ばれてきた。仕方なく、跡部は追求するのを諦める。
 シャンパンで乾杯をかわし、食事を始めた。ジローは先程の言葉通り、片っ端から口に詰め込んでは笑っている。一通り食べ終わったところで、満足したのかジローはフォークを置いた。それから、ゲームしよう、ゲーム! と言って、壁際に置いてあったテレビの電源を入れる。ゲームをしながらお菓子をつまむジローに、よく食べるなと宍戸が目を丸くした。仲良く対戦をする二人を、跡部は背後のソファーに腰掛けて見守る。どこまでも、穏やかな時間が流れていた。
 
 
 
 
「おら、口のまわりついてんぞ」
「ありがと〜亮ちゃん!」
 宍戸がジローの口を拭ってやると、ジローが目を輝かせて言った。
「俺ね、すっごく嬉しいよ! 亮ちゃんと跡部と一緒で、ちょう楽しい!」
「ジロー」
 自分といられて嬉しいとはしゃぐジローに、跡部は胸がいっぱいになる。そして、少しでも邪魔に思ったりして悪かったと反省した。宍戸がジローの頭を撫でたので、跡部も反対側から撫でてやる。ジローは、気持ちよさそうに目を閉じた。
「ジロー? 眠いのか?」
「うーん。お腹いっぱい〜」
「寝るならベッドへ行け。こっちだ」
 時刻は、もう少しで日付が変わるところまできていた。跡部はジローを立ち上がらせると、手を引いて寝室まで連れて行く。と、ジローが扉の前で立ち止まった。
「俺、他のお部屋でいいよ」
「どうした、遠慮してんのか? らしくねえな」
 一応客間の用意もしてあったが、ジローが泊まるときはいつも跡部の部屋で一緒に寝ていた。それが、今日に限って違う部屋で寝るという。
「だってさあ、今日はクリスマスだよ?」
「正式には、明日がな」
「だから、亮ちゃんだって跡部と二人で寝たいかもじゃん」
「それはねえだろ」
 宍戸は、こういった行事関係にはあまりこだわりを持っていない。今日だって、あらかじめ跡部が念を押しておかなければ、何も気にせず部のクリスマス会へ出席していたことだろう。二人はお互いに好意を抱き、つきあってはいたが、まだ身体の繋がりはなかった。宍戸はあまり性欲というものを持ちあわせておらず、跡部は跡部で、待つと言った手前無理強いすることも出来ずにいる。それが、たかがクリスマスごときで進展するとも思えない。跡部が思わずため息を吐くと、ジローがおかしそうに笑った。
「クリスマスは、とくべつだから」
「ジロー?」
「亮ちゃんも、その気になるかもよ」
 そう言って、ジローは、ベッド借りるね、と客間の方へ歩いていった。その背中が扉の向こうへ消えるのを見届け、跡部は首を振って踵を返した。
 
 
「遅かったな」
「ああ、ちょっとな」
 部屋へ戻ると、宍戸は酔ったのか心持ち赤い顔でソファーに身体を預けていた。隣に座ると、跡部は宍戸の髪に手を伸ばす。少しだけ伸びた髪に手を通すと、くすぐったいのか頭を振られた。その緩慢な動きに、相当酔っているらしいと気づく。普段あまり口にしない酒を、そういえば今日はやけになったかのように次々と飲み干していた。
「風に当たるか?」
「ん、大丈夫……」
 閉じられたまぶたに唇を落とすと、跡部はもう寝かせたほうがいいだろうかと逡巡する。ジローがいなくなった今、正気ではない宍戸と二人では、我慢する自信がなかった。水が飲みたいという宍戸にグラスを渡すと、やはりベッドへ連れて行こうと立ち上がる。
「跡部、あと10分待って」
「は?」
「あと、10分で、……」
 口ごもる宍戸に、跡部は反射的に壁にかけられた時計を振り返った。あと10分ほどで、日付が変わる。ジローに何事か囁かれていた宍戸を思い出して、跡部はまさか、と目を瞬かせた。
「お前、ジローに何か言われたのか?」
「……」
 ますます顔を赤らめる宍戸に、跡部はほんの少しだけ期待する。座ったままの宍戸を抱き寄せると、何の抵抗もなく腕の中に収まった。それが、何を意味しているか、わかっているはずなのに。
「ジローが、ジローに、言われたってのも、あるけど。なんつーか、いいきっかけかなって気もして」
「いいんだな?」
「クリスマスだから、な」
 それだけ言うと、宍戸は照れ隠しのためか跡部の肩に顔を埋めてきた。その身体を横たえながら、跡部はいつになく殊勝な気分になった。なんだか、色々なものに感謝したい気さえしてくるような。
 
 
 
 
 
 クリスマスまで、あと5分。
 
 
 
 【完】
 
 
 
2003 12/24 あとがき