刻印(ジローと宍戸と跡部)
ぱたぱたと足音を立てながら、ジローは跡部の部屋から一番近い浴室へと駆け込んだ。
亮ちゃんは恥ずかしがり屋さんだから、そんな遠くまで裸で歩いてったりしないと思うんだよね〜。
予想通り聞こえてきた水音に、ジローは笑みを浮かべた。
急いで服を脱ぐと、そのままの姿で中へ飛び込む。
湯船に浸かっていた宍戸が、驚いた顔で振り向いた。
「ジロー!?」
「へっへ〜! 俺もお風呂入る!」
「な、別に一緒に入らなくてもいいだろ〜?」
「いーじゃん。いっつも一緒に入ってるっしょ?」
確かに、跡部の家へ泊まるとき、大抵二人は一緒に入浴していた。
ジローは一人にしておくと湯船で眠ってしまい、溺れることが多々あったからだ。
「そりゃそーだけどよ……」
宍戸はまだ何やら呟いていたが、さっさと湯船に入ってきたジローに、言っても無駄だと思ったらしい、苦笑して見せた。
ぴかぴかに磨き上げられた大理石の湯船は、宍戸が入れたのか元から用意されていたのか、入浴剤でどこもかしこも泡立っている。
「あわあわ〜」
「っとに、ガキだなあ、ジローは」
泡をすくっては吹き飛ばす、という動作をくり返すジローに、宍戸は優しく微笑んだ。
宍戸がジローを見て笑うのはいつものことだったが、なんだかその笑みがいつもとは違うような気がして、ジローは少し戸惑う。
亮ちゃんは亮ちゃんなのに、なんだか、ちがう亮ちゃんみたい。
どこがどう、とははっきり言えないのだけれど。
昨日と今日とで何かが違うとしたら、それは一つだけだった。
「亮ちゃんは、跡部に愛されたんだねえ」
「なっ、なに、言って……っ」
ジローの言葉に、宍戸は顔を赤くした。
だからなのだろう。
昨日よりも、とても素敵に見えるのは。
昨日よりも、ずっと綺麗に見えるのは。
「よかったね、亮ちゃん」
「……ジロー」
ジローがからかうつもりで言っている訳ではないとわかったのだろう、宍戸は顔を隠すのをやめる。
それから、ジローのお陰だと穏やかな笑みを見せた。
優しく頭を撫でられ、ジローは胸が苦しくなる。
宍戸が笑っていて、跡部も嬉しそうで。
二人が仲良くしていて、幸せならそれでいいのに。
どうして、こんなに胸がきゅうってなるんだろう。
「ジロー? 眠くなったのか?」
「ううん、ちがうよ」
不安げに顔をのぞき込まれ、ジローは気づいてしまった。
宍戸の身体に残された、無数の痕跡に。
それを見た瞬間、ああ、と思う。
そうか、自分はきっと、さみしくなったのだ。
昨日までは、自分のものでもあったはずの人が。
今日は、すっかり跡部のものになってしまったことが。
二人がおつきあいしているからといって、自分を邪魔にしたりしないって知っているけれど。
二人の間に割り込もうなんて、思ったりはしないけれど。
「亮ちゃん、大好きだよ」
そう言って抱きつけば、
「俺も、ジローが好きだよ」
そう、抱き返してくれる優しい腕。
これでじゅうぶんだって思うのに。
これで我慢しなきゃって思うのに。
でもやっぱり、なんだかちょっとさみしいよ。
あたたかな宍戸の身体にしがみつきながら、ジローはあることを思いついた。
「そうだ亮ちゃん、俺も、つけていーい?」
「あ? つけるって、何を」
「キスマーク!」
ジローが宍戸の胸元を指さして笑うと、宍戸は目を丸くする。
ひひひ、いいこと思いついた!
「な、おい、ジロー?」
「ぜーんぶ跡部にあげちゃうなんて、もったいないもんね!」
「……本気、なのか?」
「もっちろん!」
しばらく、宍戸は何か言いながら視線を彷徨わせていたが、どうあってもジローの意志がかわらないことを知ると、諦めたように頷いた。
「やった! じゃー、跡部がつけてないとこがいいなあ。どこがいいかな、どこがいいかな」
「お前なあ」
宍戸の周りをあちこち移動すると、背中側にはほとんど痕がついていないことに気づく。
「あれ、こっちはあんまり痕ついてないね?」
「そりゃあ、上見てたし……って、言わせんなよ」
「あはは。やっぱ跡部でも、最初は正……もがっ」
「言うな!」
顔を真っ赤にした宍戸に口を塞がれながら、ジローは笑い続けた。
ようやく解放されたジローは、うなじにつけることに決める。
「ちょーっと、我慢してね?」
「あー」
どのくらい強くすれば、いいんだろう? わっかんないなー。
悩みながら、ジローは口づけた。
「……なにしてやがる」
「あ、跡部っ!」
「あー。跡部ー」
浴室に響いた声に顔を上げると、跡部が腕を組んで立っていた。
その顔には、表情がなかった。
なんかゆわれっかなあ。怒られたら、逃げようっと。
ジローがそう考えていると、跡部は全く予想外のことを言い出した。
いや、跡部らしいといえば、らしいのかも知れない。
「俺も混ぜろ」
「混ざるなーーーーーー!!」
「っはははは! 跡部おかしー! ちょう笑うー!!」
「笑うなジロー! こいつを止めろ!」
バスローブのまま湯船に入ってくると、跡部はぐいっと宍戸の片足を持ち上げた。
「うお、こんなとこにも痕ついてるしー!」
「ん。そうだったか?」
「げ、マジかよ! つか跡部、触んじゃねえよ!」
ジローは少しの間湯船で争っている跡部と宍戸を見守っていたが、やがて思い出したように跡部に飛びかかる。
「ジロー? てめえ、なにしやがる」
「跡部跡部、俺跡部にも痕つける!」
「はあ?」
「跡部だって、俺のもんだもんね〜!」
にこにこと、満面の笑みを浮かべたジローに迫られ、跡部は困惑した様子で宍戸に視線を向ける。
「つけてもらえば〜?」
宍戸が、そう返して笑った。
【完】