波瀾万丈誕生日(跡部と宍戸)


 その時の宍戸は、そのことをすっかり忘れていた。だが覚えていたところで、宍戸の返答は変わらなかっただろう。
 何故なら、宍戸にとってのそれは、あまり意味のあることではなかったから。
 宍戸の了承を得られた鳳は、いつも以上に嬉しそうな笑みを浮かべ、弾んだ足取りで去っていった。
 おかしな奴だと見送って、宍戸は教室移動の途中だったことを思い出す。宍戸につられて足を止めていた忍足を促すと、音楽室へ向かって歩き出した。
 少し遅れてついてきた忍足が、横から宍戸の顔をのぞき込んでくる。
「なあ宍戸、ええのん?」
「何が」
「さっきの、承諾したって」
 忍足が言っているのは、先ほどのことだろうか。何やら心配そうな顔をしている忍足に、宍戸は首をかしげた。
「何が」
 同じ言葉を繰り返す宍戸に、忍足は困ったような顔をする。
「気づいてへんのか」
「だから何が」
 ただ自分は、鳳に来週の水曜遊びましょうと誘われただけだ。引退済みの自分たち三年には元から関係ないが、水曜は部活も休みだし放課後遊んだところで何も問題はないだろう。
「自分、水曜誕生日やろ?」
「……あー」
 そういえばそうだったと、宍戸は頷く。それから、ふと疑問が湧いて顔だけ忍足に振り向いた。
「ってか、お前なんで俺の誕生日なんて知ってんだ?」
「そりゃまあ、他ならぬ宍戸くんのことですから」
「キモ」
 何故か勝ち誇った顔で話す忍足に、宍戸は心底嫌そうな顔をした。


 昼食後、跡部が中庭のベンチで読書をしていると、紙面に何者かの影が落ちた。以前にも、こんなことがあったような気がする。
 跡部が顔を上げると、やはりそこには笑みを浮かべた滝の姿があった。
「邪魔だ。そこに立つな」
「はいはい」
 いつかと同じやりとりをすると、滝はそのまま隣に腰掛けてくる。いっそのこと無視してやろうかと思ったが、滝が自分に近づいてくるときは何か宍戸絡みの話があるときだ。
「手短に言え」
「うわー。いきなり命令口調? 跡部ってほんっと跡部だよね〜」
 跡部には全く理解できない言葉を吐くと、滝は行儀よく膝に乗せた手を動かした。
「ぼくさあ、何故か鳳に慕われてるじゃない?」
「知るか」
「それでね、さっき鳳がぼくのところへ来て言ったんだ」
「……」
 跡部がちゃんと聞いていることを知っている滝は、そっけない相づちには構わず話を続ける。
「来週の水曜、宍戸さんの誕生日会やりましょうって。もう宍戸さんの了解はとってありますからって」
「……」
「あ、でも誕生日会だってのは内緒みたいだけどね? かわいいよねえ、鳳。人のものだってわかってて、それでもお祝いしてあげたいみたい」
 跡部は無言で立ち上がると、そのまま何処かへ姿を消した。


 天気がいいからと屋上までやってきたが、さすがに肌寒かった。宍戸は壁を背に座り込み、ほっと一息つく。ここまでは風もやってこない。
「亮ちゃん、さむう〜い!」
 一緒に来たジローが、寒い寒いと身体をすり寄せてきた。
「んなくっつくなって、こぼれんだろ」
 持ってきたコーヒーを一口飲むと、じんわりと身体の中からあったまる。お前も飲むかと差し出したが、缶に書かれた無糖の文字にジローは両手を振って断った。
「お前な、甘いもんばっか食ってるとビョーキになんぞ」
「びょーきならもうなってるよー」
「えっ!?」
 窘めるつもりでいったつもりだった宍戸が驚くと、ジローは笑顔で抱きついてくる。
「亮ちゃん大好き病〜」
「……ばーか」
 口ではそう言ったものの、宍戸が甘い香りのするジローの身体を押しのけることはなかった。
「やあねえ、あんまいちゃつかんといてくれるー」
「キモイことしてんなよな、お前ら」
 二人から少し距離を置いて座っていた忍足と向日が、口々に抗議する。
「誰もいちゃついてねえよ」
 否定する宍戸の脇から顔を出すと、ジローは両手を忍足達に向けて伸ばした。
「だいじょぶ。俺、忍足も向日も大好き!」
「……や、そういうのとちゃうねんけどな?」
「……もういいって侑士。俺は諦めた」
 的はずれな言葉を返すジローに、忍足と向日は揃ってがくりと肩を落とす。
 膝におさまったジローに、宍戸はそういえばと切り出した。
「誕生日さあ、長太郎と遊ぶことになったから」
「……へっ?」
 宍戸と跡部とジローの三人は幼なじみで、毎年誰かの誕生日には三人で集まって祝うのが習慣となっていたため、ジローは目を丸くする。
「ななななんでそんなことになってんの亮ちゃん!」
 いつになく動揺したジローが訊ねると、誘われたからと宍戸が答えた。
「誘われたからって、だってその日は亮ちゃん」
「ま、たまにはいいんじゃねえの」
 焦るジローとは対照的なのんびりとした口調で宍戸が言う。
「無理やでジロちゃん。そのへんは俺がさっき散々ゆうたし」
 授業の合間になんとか考え直すよう説得した忍足が、諦めた顔でジローを諭した。口の立つ忍足でも無理だったことを知り、ジローは途方に暮れる。
 中三にもなって、幼なじみだけで祝うというのもおかしな話なのかも知れない。だが、それは普通の幼なじみである場合だ。
 お互い想い合っていた跡部と宍戸が、紆余曲折の末めでたく「おつきあい」することになったのは、つい先日のことだというのに。
 恋人同士になって初めて迎える誕生日に、他の男──よりによって、誰がどう見ても宍戸に片想いしている鳳と過ごすというのか。鈍いというか天然というか、まあ多分宍戸は何も考えていないのだろう。
 跡部は跡部で意地っ張りで素直じゃないところがあるしと、ジローは自分が何とかしなくてはという使命感にかられた。
「亮ちゃん〜」
「ん?」
「お誕生日一緒に過ごしてくれなかったら、俺ちょうサミシイんだけど〜」
 宍戸の首に手を回しながら、ジローは愛らしく小首をかしげて訴える。少し迷って、宍戸はぽんぽんとジローの頭を叩いた。
「別に一日いねえわけじゃねえし、夜にでも会えばいいだろ」
「もおお。亮ちゃんはほんとわかってないよね男心を」
「はあ?」
 何を言ってるんだという顔をされ、ジローは口を尖らせる。
「泣いちゃうかもよ、跡部」
「跡部が?」
 ジローの口から飛び出した跡部の名前に、宍戸は目を見張った。跡部の泣き顔を想像して、逆に目を輝かせる。
「見てみてえな、それ」
「もおお、亮ちゃんってば〜」
 こりゃ駄目だとジローは肩を落とした。こうなったら宍戸ではなく鳳と話をつけるべきだろうか。
「誰が泣くって?」
 不意に、聞き慣れた低音が耳に届いて、四人は顔を上げる。扉の向こうから、跡部がゆっくりと歩いてきた。
「こんなとこで揃って何の相談だ?」
 苛立ちのわかる声音と張り付いたような笑顔に恐れをなし、忍足と向日はそそくさと校舎の中へ戻っていく。
 二人の顔を交互に見ると、ジローは俺も戻ると扉の向こうへ姿を消した。


 わざわざ自分が出向いてやったというのに、宍戸は気にしない素振りで座ったままだ。こんなことですら腹を立てる自分に、跡部はため息を吐く。跡部は特別短気だという訳ではない。だが、相手が宍戸だと話は別だ。
「座れば」
 宍戸が、隣を手で示した。
「こんなきたねえとこに座れるか」
「お前って、そーゆー奴だよなあ……」
 宍戸は呆れたように肩をすくめたが、強引に座らせるような真似はしなかった。
 宍戸が黙ってコーヒーを啜るので、跡部も無言でそれを見つめる。
「なんかようか」
「お前の顔を見に来た」
 腕を組んだまま跡部が言うと、宍戸はむせかえった。そこまで反応すると思わなかった跡部は、屈み込んで背中をさすってやる。
「お前なあ……」
「悪いか」
「……悪かねえけど」
 いつになく素直な跡部に戸惑っているのか、宍戸は小さな声で呟いた。
 コンクリートについたままの片膝を気にしながら、跡部は宍戸の背中を抱いたままの体勢で問いかける。
「誕生日、あいつらと祝うんだって?」
「あいつらっつか、長太郎に誘われて」
 そういえば、誕生祝いだということは伏せて誘ったらしいと滝が言っていたような。
 それがどうかしたのかという顔をする宍戸に、跡部はどうしたものかと内心ため息を吐いた。
 ──泣いちゃうかもよ、跡部。
 ジローの言葉が不意に蘇り、そんなことをするつもりは毛頭なかったが、そこまでしないと宍戸は自分の誘いに乗ることはないかも知れないと思う。
 宍戸は誕生日やクリスマス等のイベントごとには興味がないようだったし、何より一度かわした約束を反故にすることはないだろう。跡部は宍戸のそういう部分も好ましく思っていたが、この状況では厄介なだけだった。
 黙り込む跡部を見据えると、宍戸は口を開く。
「俺、約束破ったりする奴は最低だと思う。男らしくねえし、そんなんぜってえしたくねえ」
「ああ」
「それに、別に誕生日ぐらい誰と過ごそうと関係ねえと思うし」
 そこで言葉を切ると、宍戸は跡部の腕から逃げるように立ち上がった。そのまま行ってしまうのかと思われたが、扉に手をかける寸前で立ち止まる。
「でも、でもよ。お前が行くなっつーなら、断ってやってもいいぜ」
「何……?」
 振り返った宍戸は、瞳だけは真っ直ぐに、穏やかな笑みを浮かべていた。
 しばらくこちらを見つめた後、何も言わない跡部を置いて宍戸は去っていった。残された跡部の口から、思わず言葉が漏れる。
「チキショウ」
 あんなことを言われたら、駄目だなんて言えるはずがないじゃないか。──あんな、嬉しいこと。
 今まで何があっても絶対に曲げようとしなかった己の生き方を、自分のためになら曲げてもいいと言ってくれたのだ。それほど、宍戸の中で自分の存在は大きいのだと。
 跡部は制服が汚れるのにも構わず、壁にもたれ空を見上げた。


 いいぜ別に。誕生日を過ごす権利ぐらい、いくらでもくれてやるよ。
 自分は、それ以上のものを手に入れたのだから。


 【完】


 宍戸さん(と跡部様)に愛を込めて。


2004 09/29 あとがき