自覚症状(跡部と宍戸とジロー)


 たくさんの大人に囲まれた少年を見つめながら、子供心にここは自分の居場所ではないと感じた。
 色とりどりの衣装に包まれ、華やかな雰囲気を醸し出す会場のなかでも、彼はひときわ強い輝きを放っている。
 会場中の視線が、たった一人の年端もいかない少年に集まっていた。パーティーの主役は彼なのだから当然といえば当然なのだが、それだけが理由ではないはずだ。


 あれから何度、同じ光景を目にしてきただろう。そんなことを考えて、宍戸は苦笑した。
 毎年、同じ月の同じ日に催される盛大なパーティー。本来なら招かれるはずのない自分が毎年出席しているのは、ここが彼の誕生日を祝う場だからだった。
 普段の生活ではけっして見せることのない愛想笑いを浮かべ、彼は輪の中心にいる。
 宍戸が来たことに彼が気づいていないはずはなかったが、客人の相手で忙しいらしく声をかけられることはなかった。
「りょーちゃん、これおいし〜よ!」
「ジロー」
 食事はバイキング形式になっている。取り皿に山盛りの料理を載せたジローが、フォークに突き刺したローストビーフを差し出してきた。
「お前、それ全部食う気かよ?」
「だあって、どれもおいしーんだもん!」
 にししっと笑顔を浮かべたジローに、フォークを口へ突っ込まれる。
「いてっ!」
「わー、ごめーん」
「お前なあ……」
 勢いよく突っ込まれたフォークに顔をしかめたが、さっぱりとしたソースのかかったローストビーフは確かに美味しかった。
「あ、美味いなこれ」
「でしょー? もっと食べる? とってこよーか?」
 落ち着きなく戻ろうとしたジローを引き止め、宍戸は通りがかったウエイターに飲み物を貰う。
「ジローは?」
「俺、オレンジジュース」
 飲み物を片手に、宍戸はふたたび壁際に戻った。冷たい壁に背をつけ、グラスを傾けながら談笑を続ける彼を見つめる。
「りょーちゃん、跡部んとこ行かないでいーの?」
「あ? 別に。行ったって、邪魔なだけだろ」
「そんなことない! 跡部ぜったい喜ぶよ!」
 強く否定したジローの言葉を嬉しく思いながらも、宍戸は首を振った。


 跡部と知り合ってから毎年参加しているパーティーだったが、宍戸がこの場に慣れることはなかった。
 何年経っても、ここは自分の居場所ではないと感じる。
 自分たちのほかに、友人の中から招かれている者はいなかった。それどころか、同年代の人間すら見かけない。
 自分も、ジローも、ここでは異質な存在だった。制服姿の自分たちを胡散臭そうに見る者も珍しくなかったし、聞こえよがしに陰口を言われることもあった。
 なんだかんだと理由をつけて出席を断ることは可能だったが、二人はあえてそれをしないでいる。
 それは、ここが跡部の誕生日を祝う場だからだ。
 ここにいる大勢の人間のなかで、心から跡部を祝福している者が一体どれだけいるだろう?
 もしかすると、一人もいないのかも知れない。その中で笑顔を振りまかなければならない跡部は、一体どんな気持ちで今日という日を過ごしているのだろう。ほんとうなら、誰よりもしあわせな一日を過ごせるはずの日だというのに。
 だから二人は、どんなことがあろうと、どんな目に遭おうと、毎年この場に存在し続けていた。
 心から跡部を祝っている者が、少なくとも二人はこの場にいることを伝えるためだけに。


 そろそろパーティーも終盤にさしかかった頃、客の一人が跡部に何か耳打ちしたのが見えた。一瞬視線を感じ、恐らく自分たちの素性を訊ねているのだろうと察する。
 跡部が、今日初めて二人へ目を向けてきた。
 その目に浮かんだ色に、宍戸は思わず姿勢を正す。跡部が、形のよい唇を動かした。
「彼らは、僕の幼い頃からの友人です。そして、とても大切な人です」
 間には大勢の人間がいたというのに、まるでスポットライトでも当たっているかのように、跡部の姿だけが鮮明に映し出される。艶のある声が耳に届き、その内容に宍戸は先ほどまでとは異なる居心地の悪さを覚えた。
 既に他の話題に移ったらしい、跡部の視線が他へ向けられる。それでも、宍戸はその場から動くことが出来ずにいた。
「……亮ちゃん? 大丈夫?」
「あ、ああ」
「平気? お部屋行って休む?」
「そうだな」
 客人のためにゲストルームが用意されていたが、跡部の言いつけなのか二人が通されたのは跡部の私室だった。
 ソファーへ横になり、宍戸は片手で顔を覆う。目を閉じて、静かに呼吸を整えた。
「お水飲む?」
「いや、平気だ」
 ジローが落ち着きなく歩き回っている気配がして、心配をかけてしまったと内心申し訳なく思った。
 こうして目を閉じていると、さきほど見た跡部の顔が浮かんでくる。
 どこにいても、誰と並んでいても、けっして埋没することはなく自ら光り輝く存在。あの男が、あんな顔をして、あんなに優しい目を向けるのは自分だけなのだと、うぬぼれてもいいだろうか。
 毎年、この日になると嫌でも思い知らされる。自分は、跡部とは住む世界が違うのだと。
 その差はいつまで経っても縮まることはなく、むしろ開いていく一方なのだと、頭では理解していた。
 とても居心地が悪く、退屈な時間。けれど今年は、ほんの少しの優越感もあった。
 本来なら手の届かない存在であるあの男に、選ばれたのは自分なのだと。
 あれだけ大勢の人間がいても、彼の目には自分しか映っていないのだと、あの顔を見てわかった。
 いまにも叫び出しそうな衝動を覚え、とてもじゃないがあの場に留まることなど出来なかったのだ。


「俺、ちょっと寝てくから」
「んー。じゃ、俺戻る。俺がいなくっても、いい子にしててね?」
「はいはい」
 ぱたぱたとジローの歩く音が聞こえ、もうすぐ扉に到達するというところで、宍戸は口を開いた。
「俺さあ、なんかすげー実感したんだけど」
「ん? なーに?」
「やっぱ、跡部とは住む世界が違うよなあって思って、」
「なにそれ。跡部が聞いたら怒るよー」
 ジローがおどけた口調で言ったので、宍戸は苦笑する。
「怒るかな、やっぱ」
「怒るよー。いや、泣いちゃうかな?」
 ジローはきっといま、首を傾げているだろう。想像がついて、宍戸は微笑ましく思った。
「でもさあ」
「ん?」
 一呼吸置いて、宍戸は続ける。
「俺、だめみてーなんだ。どれだけあいつが違うとこにいようと、もしも頼むから別れてくれって言われても、俺、無理だと思う。あいつのこと忘れたりとか、絶対できねーと思うんだよなあ。他の奴好きになるとか、ありえねーし。……俺、なんか執念深いよな? あー、自分がこんな奴だとは思わなかったぜ。だっせー」
 恥ずかしい、とジローへ背を向ける。その背に、くすくすというジローの笑い声が届いた。
「りょーちゃん、違うよそれ。そーゆーのは、執念深いんじゃなくって、愛情深いってゆーんだよ」
「……そーかよ」
 余計恥ずかしいと、宍戸は赤くなった耳へ手をやる。
「あー、でもそれきーたら、跡部ほんとに泣いちゃうかもね?」
 楽しそうな声に、宍戸は慌てて振り向いた。
「お前、……言うなよ?」
「わーかってるってー」
 本当にわかっているのか不安になるような声音と、浮かれた足取りでジローは出ていく。扉が閉まる音に、宍戸はふたたび目を閉じた。


 いつの間にかうとうとしていたらしい、宍戸が目を覚ました頃には三十分ほど経過していた。
「やべ、戻らねーとな」
 跡部が気にするだろうとソファーから降り、ついでに顔を洗おうと洗面所の扉を開ける。冷水で顔を洗っていると、だいぶ頭がすっきりしてきた。
 扉の開く音に、誰か他の客が来たのかと思う。だが、ここは跡部の私室を通らねば入って来られないことを思い出し、不審者だろうかと宍戸は慌てて水を止めた。
 振り返ると同時に、洗面台に身体を押しつけられる。
「なっ」
 相手が誰なのか認識する前に口をふさがれた。口内に熱いものが侵入し、宍戸はパニックに陥る。逃げだそうにも、相手の身体と洗面台に挟まれ身動き一つ取れなかった。
 散々口内を蹂躙した後、離れた顔に宍戸は呆然とする。
「跡、部……?」
「なに間抜け面してんだ? まさか、俺様のキスがわからなかったとか言うんじゃねえだろうな?」
「わ、わかるわけねーだろ!」
 あまりの言いぐさに、宍戸は顔を赤くして抗議した。突然襲われ、混乱した自分の身にもなってもらいたい。
「そんじゃ、覚えさせるまでだ」
「は?」
 ふたたび近づいてきた顔にようやく意図がわかり、宍戸は両手で跡部を押しのける。本気ではなかったのか、跡部はあっさりと身を引いた。
 少し距離ができたことで、跡部の表情がよく見える。
 普段は感情を抑え込むことに長けている男が、いまは心なしか頬を紅潮させ、高揚した気分を隠しきれないという顔をしていた。
 一体、跡部に何があったのだろう。
 訊ねる前に、扉がノックされた。跡部の姿が消えたことで、使用人が捜しに来たらしい。跡部は軽く舌打ちし、すぐ戻ると応えた。
「ああ、宍戸」
「なんだよ」
 出ていくのかと思われた跡部は、だが立ち止まってにやりと笑みを浮かべた。
「さっきのは、悪くなかったぜ」
「は?」
 跡部がなんのことを言っているのか、見当がつかない。まさか、さきほどのキスのことを言っているのだろうか。目を丸くした宍戸の頭を、ぽんぽんと子どもへするように跡部の手が叩いた。
「てめえにしては、上等だ」
「だから、何が」
「俺様も、てめえが泣こうが喚こうが手放す気はねえからな。覚悟しとけ」
 傲慢に笑って、跡部は出ていった。
 扉が閉まってから、宍戸は跡部がさきほどの言葉のことを言っているのだと気づいた。


 ジローが教えたのか、それとも立ち聞きしていたのか。
 いずれにせよ、宍戸はその場にしゃがみ込むほかなかった。
「最悪だ……」
 跡部には、聞かせるつもりのなかった言葉。
 勝手に想い続けるというつもりで発した言葉は、どうやら違う意味を持ってしまったようだ。
 頭を抱えながら、それでもどこか喜んでいる自分に気づく。
 時計の音に、宍戸は立ち上がった。
 あの場所へ戻らなければならないと、強く思う。
 跡部を祝福する場所へ。
 自分の想いを、自覚した場所へ。


【完】


2005 10/04 あとがき