ダブルムーン
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服部裕一(はっとり・ゆういち)×嶽野光輝(たけの・こうき)


 

 ひと月に二度満月があることをダブルムーンという。
 それを俺に教えてくれたのは嶽野だった。高校二年の秋だ。嶽野は部活の先輩に聞いたという。女の先輩だ。嶽野はたいした美形で、女にもてる。
 この頃の俺はとことんついていなかった。めずらしくまじめに勉強をして迎えた定期試験は、最中に風邪をひいて成績は散々だったし、過ぎてしまったことを気に病んでもしかたないと気分を切り替えて文化祭の準備を始めれば、自分が拭き残したワックスに足を取られて転び、おまけにそのまま作成中のセットから落ちて右脚を骨折した。当然文化祭には出られず、それどころかトイレに行くにも四苦八苦の有様になった。
 おまけに、見舞いに来た嶽野に好きな子ができたと打ち明けられた。文化祭で知り合った他校の女生徒だという。嶽野は惚れっぽいから、そんなことはこれまでにも何度もあった。だが何度聞いてもつらいものだ。
「なんか、俺ってついてない」
 ため息まじりに呟いて、天井を見上げる。こんなふうに弱音を吐くのも嫌だった。うんざりする。
「ちょっと、身体ずらせるか」
「ああ」
 嶽野は目顔で窓の外を見るように促した。陽が暮れかけていて、もう空の端は藍色に染まっていた。夕陽が最後の光を長く伸ばしている。空が窓枠で立ち切られる間際に、白く染め抜いたような月が浮かんでいる。嶽野に目を移すと、嶽野も俺を見ていた。にやりと笑う。
「満月だろ」
「満月だな」
「今月は満月が二度拝めた」
 月の満ち欠けの周期は二十九日だ。ひと月の間に二度月が満ちることもある。二度目の月は縁起がいいのだと、嶽野は言った。
「縁起って、何かいいことあるのか」
「さあな」と嶽野は笑う。片頬を歪めるような笑い方をしても、すこしも嫌な感じにならない。からかわれているようだが不快ではなかった。

 松葉杖で登校できるようになっても、しばらくは不自由は日々が続いた。俺は授業が終わるとまっすぐに帰宅して、自室のベッドに寝転んだ。リハビリは学校の行き帰りだけでうんざりだ。毎日長いこと窓から空を見上げて過ごした。昼には滲むように淡く、夜には煌々と輝く月を見ると、それが三日月であっても半月であっても、嶽野を思い出した。
 嶽野はもてる。だがどの子ともあまり長くは続かなかった。嶽野は惚れっぽいが移り気ではない。嶽野のほうが振られてしまうのだ。原因は嶽野の服装だった。それは本人もわかっているはずなのに、自分の趣味を改める気にはならなかったようだ。
 中学生の時、俺は隣の席の女の子に恋をした。きれいな髪をしたおとなしい女の子だった。はにかむような笑顔が今も目に残っている。
 しかし同じ教室で過ごせたのは半年ほどで、彼女は父親の転勤に伴って引っ越していった。
 気持ちを伝えることのできないままに離れて、俺は諦めた。気持ちがなくなったわけではないのに、諦めてしまった。今さら告白したってしかたがない。彼女だって困るだろう。そう自分を納得させた。泡のような恋心は、弾ける前に胸の奥に深く沈んだ。俺が自分の手で沈めた。
 彼女が初恋だったわけではない。嶽野が二度目の恋だったわけでもない。それでも月を見ると嶽野を思い出し、二度目の月の話を思い出し、彼女のことを思い出した。彼女と嶽野は、性格も外見も似たところなどすこしもないのに。

 嶽野と女の子の待ち合わせに居合わせてしまったのは、松葉杖から解放された週末だった。暖冬のツケを取り戻すような大寒波の押し寄せてきた底冷えのする日だったが、じっとしていられなくて外に出た。嶽野に電話を入れたが、生憎留守だった。
 相手の顔を見ることはできなかった。背を向けて歩き去るところだったから。残された嶽野の、玉虫色のジャケットが曇空から射し込む薄陽を浴びて鈍く光っている。紫とピンクと黄色のピンストライプのシャツは身体にぴったりとして、中央に入った深いスリットからヘソが丸出しになっていた。
 ちぇ、と口の中で呟いたのが、離れていてもわかった。さすがにへこんでいる様子だ。俺は立ち去ることもできずにただ突っ立っていた。嶽野が女の子と二人でいるのを見るよりつらい。嶽野が幸せで笑っていられるなら、俺はずっと片思いのままでいい。
「あれ、服部じゃん」
 声をかけられてあわてて微笑んだが、頬がこわばる。
「この季節にヘソ出して歩くなよ。見てるほうが風邪ひきそうだ」
 言った瞬間に「しまった」と思った。まず間違いなく、あの女の子が帰ったのは嶽野の服装のせいだろう。
「もしかして見てた?」
 照れ笑いする嶽野に、曖昧に首肯く。
「カッコ悪いところ見られたな」嶽野はおどけるように肩を竦めて、それから思いがけずまっすぐに俺を見た。「でも服部だからいいか」
 どういう意味なのか、俺にはわからなかった。だがその言葉は優しく響いた。嶽野はいつもまっすぐに相手を見る。大きな目は澄んでいて、夏の陽射しのようなつよい光を放っている。その目が俺は好きだった。
「脚よくなったんだな。どこ行くんだよ」
「いや、べつに。ちょっとぶらぶらしてただけ」
「じゃあメシ行こう。快気祝いに奢るからさ」

 初めて映画に誘ったのは、大学に入ってからだ。試写会のチケットを渡した時は、緊張のあまり冬だというのにだらだら汗をかいた。
「呉れるのか」
「ああ」
 ゆうべから頭の中で何度も復唱した言葉を、早口に言った。アニキが広告関係の仕事をしているので、試写会のチケットが回ってくるんだ。
 嶽野は喜んで、話はすぐに決まった。
 待ち合わせの当日、嶽野は白いスーツ姿で現れた。中のシャツはアニマルプリントだ。ワニ皮ベルトとのコーディネイトなのだろう。
 同じ口実で何度か誘い、俺たちは高校時代より頻繁に遊ぶようになった。時々はお互いの家を行き来した。うちの両親は共働きで兄も残業が多い。嶽野の母親は専業主婦だったが多趣味な人で、高校生にもなる息子に構っている暇はないようだった。
 本やCD、ゲームソフトを貸し借りし、一緒にビデオを見て過ごした。
 CDラックの隅に俺自身置いたことをすっかり忘れていたトランプを見つけると、嶽野は粒の揃った白い歯を見せてにやりと笑った。慣れた手つきでカードをシャッフルする。
「5スタッドでいいか。負けたほうが明日の昼飯奢りな」
 配られたカードを手に取る前に、俺は腹の中で密かにもうひとつ賭けをしていた。
 勝ったら告白する。
 その考えが浮かんだとたんに、バカみたいに高揚した。「よっしゃ!」
「はりきってるな。でも俺つよいぜ」
 手札にさっと目を通すと、嶽野は素早くカードを投げ出す。「三枚チェンジ」
「二枚」
「コール」
「乗った」
 よし……よしよしよし!
「フルハウスだ!」
 嶽野はふふんと笑うと、手札を開けた。ストレートだった。「明日は覚悟しとけよ」
 その後は勝ったり負けたりしたが、俺が俺自身の賭けに負けたことに変わりはない。
 ついてない。やっぱり俺はついてない。
 コンビニに行くついでにと言って、嶽野を駅まで送る。
「いい月だなぁ」
 嶽野の声に釣られて見上げると、ビロードの空を月が隅々まで照らしていた。満月だ。今月二度目の満月――ダブルムーンだ。
「おまえいつまで落ちこんでるんだよ。そんなに高いもの食わないから安心しろよ」
「なあ、嶽野」
「んー」
 月明かりを受けて、嶽野の頬が白く光っていた。
「……おまえ、最近デートしてないのな」
「ん……ああ」
 風の心地良い、いい夜だ。
「嶽野さ――俺と、つきあわないか。おまえのこと好きなんだ」
 言ってしまった。思いがけないほど静かな気持ちだった。嶽野の目が、探るように俺を見ても、俺はまっすぐに見返すことができた。
 泡のような恋心を、今度は沈めなかった。空に投げ上げた。不器用だけど精一杯。
「本気なのか。マジで俺のこと好きなわけ?」
 俺は首肯いた。
「ちゃんと言えよ」
「今言っただろ」
「もういっぺん聞かせろって言ってんだ」
 さすがに二度言うのは照れる。
「……好きだ」
 嶽野はしばらくまじまじと俺を見ていたが、やがていつもの顔に戻った。
「よし、つきあおう」
 よし、ちょっとそこまで走ろう。そんな口調だった。しかしすぐに、その声にも困惑の響きが戻る。
「本気なのはわかったけど、でもさ、なんで」
 なぜと言われても、困る。俺が黙っていると嶽野が抱きついてきた。突然だったので、勢いで転びそうになったが、嶽野を抱きとめて踏みとどまった。嶽野の息が首筋にふれ、俺はもじもじした。
 嶽野は抱きついてきたのと同じ唐突さで俺から離れると「明日な」とだけ言って明るい大通りに向かって走り去った。俺はわけがわからないまま嶽野の背中を、それから道に長く伸びた影を呆然と見送った。

.  翌日の嶽野は、メッシュのシャツの上にフェイクファーのショートコート姿で大学に現れた。暑いのか寒いのかわからない。
「嶽っちジゴロみたい」嶽野に負けないほど派手な格好をした女の一団が、声をかけてくる。
「セクシー?」嶽野は愛想よく応じる。
「超セクシー」
 きゃらきゃらと笑う女どもに、嶽野は笑顔を返しつつ鷹揚に手を振った。
 俺に気づくと、嶽野は改めて微笑んだ。
「ちゃんと金持ってきたか。俺今日は鰻が食いたい気分なんだよな」
「高いもん食わないって言ってただろ」
「気が変わったんだよん」
 嶽野はいつも通りの嶽野で、俺は、ゆうべのことは夢ではないかと思い始めていた。夢。そう夢かもしれない。俺があんなに平静でいられるはずないし、だいいち……男に交際を申し込まれてあんなにあっさりOKするわけない。
 週末、いつものように二人で出掛けた。午前中に待ち合わせて映画を見て、昼食を食べてフリマを一回りした。俺はシンプルなデザインのシャツを買い、嶽野は紐のたくさんついたベルトを買った。嶽野が足を止めたブースには、嶽野のお洒落ゴコロを刺激するキテレツな衣類が並べられており、店主はひょろりと背の高い馬面の男だった。センスが似ているせいか話が合い、男と嶽野は長いこと話し込んでいた。ブースを離れた後、嶽野は「ごめんな」と言ってソフトクリームを驕ってくれた。
 駅前の噴水広場を通って家路につくころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
「楽しかった。これって初デートだよな」
 嶽野が言う。住宅街の狭い道を、二人並んで歩いていた。家々からは暖かな明かりが漏れているが、道は暗い。
「デート……」
「そう、デート」
 ……夢じゃなかったのか。
「冗談だったなんて言ってみろ、グーで殴るからな」
 本当に拳を固めている。
「いや、本気は本気だけど。夢だと思ってた」
 嶽野は表情を緩めた。「夢って、なんだよそれ」
「だって、普通あんなに簡単にOKしないだろ」
「おまえなぁ、それを言うなら、おまえの告白だって唐突だっただろ」
 それはそうだが。しかし、唐突に告白するしかない。俺と嶽野が自然にいいムードになるなんてありえないのだから。
 歩きながら、嶽野は横目でちらりと俺を見た。「俺ね、自慢じゃないけどけっこうモテるわけよ」
 知ってる。
「でもあんなマジな顔で告白されたの初めてだった」
 思いがけない言葉に、俺はぽかんと口を開いたまま絶句した。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。まじまじと見つめられて、ますます顔が火照る。
「おまえってかわいいヤツだなぁ」嶽野は口角をきれいに上げて笑うと、眩しいように目を細めた。「なぁ、キスしよっか」
「え――」
「なんだよ」と唇を歪めた。「俺らつきあってるんだろ。つきあってるなら、キスくらいするだろ」
 嶽野はわざとらしく空を見上げると、手の甲を俺の手の甲にぴったりとつけた。それだけで俺は身体が熱くなったり冷たくなったりした。
 思いきってその手を握ろうとした瞬間、ベルの音と共にライトに照らされた。ぎょっとして手を引く。自転車に乗った若い女が、俺たちを追い越していく。前カゴにスーパーのレジ袋が入っているのが見えた。荷物のせいか女がタイトなロングスカートを履いているせいか、自転車はしきりにふらついて危なっかしい。ゆっくりと遠ざかる自転車を、俺は呆然と見送った。
 夕飯時の住宅街は暗く人通りはすくない。しかし家々の明かりは煌々と灯っていて、そこここに人の気配がする。かすかに漂う煮物や焼き魚の匂いが、緊張に強ばった胃袋を刺激した。俺の家の門扉が見える。
「俺の部屋に寄ってかないか。CD借りたいって言ってただろ」
 玄関には俺を除く家族全員の靴があった。
「裕一、もう夕飯できるわよ」
「すぐ行く」
 台所からの母の声に返事をする。父と兄は奥のリビングにいた。嶽野が家族にあいさつをすると、俺たちはそそくさと二階に駆け込んだ。
「じゃあ、これとこれな」
「サンキュ」
 自分から言い出したくせに、嶽野はもじもじとしてうつむいてしまった。耳たぶが赤くなっている。
 俺たちはぎこちなく顔を寄せ合うと、恐る恐る唇をくっつけた。冷たい唇だ。角度を変えるとちゅ、と甘い音が立つ。
 離れようとする嶽野の唇を追って、もう一度。
 キス。甘いキス。俺、嶽野とつきあってるんだ。うれしい気持ちが胸に込み上げてくる。
「ヘンな感じ!」嶽野ははにかむように笑った。「服部とキスするなんて、ヘンな感じだ」
 見つめ合う。まだキスが続いているみたいな、妙な気分だ。先に目を伏せたのは嶽野だった。「もう、帰るな。うちもそろそろ夕飯だから」
 すぐ戻るからと声をかけて嶽野と共に玄関に向かった俺を、兄の声が追ってきた。
「おい、来週のチケット手に入ったぞ。今回は安くしといてやるよ」
 靴紐を結んでいた嶽野が顔を上げる。アンズ型の目で俺を見る。俺たちは黙って靴を履き玄関を出た。門扉を閉めてから、嶽野が言った。
「金出してたのか」
 俺は黙ったまま、決まりの悪い思いでスニーカーの爪先を見つめていた。
「なんで言わないんだよ」
 呆れたような声に、俺はまともに嶽野の顔を見ることが出来なかった。かっこ悪りぃ。
「……誘う口実が欲しかったから」
「今はそんなの必要ないじゃん」
 あっさり言って、嶽野は笑った。笑うと粒の揃った白い歯が覗く。タレントみたいにさわやかな、文句のつけようのない笑顔だ。
「次はちゃんとワリカンで行こうな」
「ああ」
 嶽野はさっと手を伸ばすと、俺の手をきつく握った。
「明日な」
 俺が返事をする前に、嶽野は駆け出していた。
 次の日曜、嶽野がCDを返しに来た。ありがたいことに両親は不在だったが、兄がいた。先月恋人と別れてから、休日は家でごろごろしていることが多い。おかげで試写会のチケットを以前よりすんなりと回してもらえるようになっていた。
 とにかく、部屋で二人きりだ。
「ありがとな。すげぇよかった」
「他のも貸そうか」
「いや、何回も聴きたかったから自分で買った。バイト代入ったとこだったから」
 嶽野がとくに気に入ったという曲をかけて、ベッドに並んで腰掛ける。
 ベッドについた手に、嶽野が掌を重ねてくる。どちらともなく顔を寄せる。
 唇が合わさり、どちらともなく口を開く。粘膜の感触と、熱い息。ゆっくりと舌を味わう。かすかに響く湿った音。吐息と一緒に漏れる密かな声。
 気持ちいい。キスってこんなに気持ちよかったっけ。
 どこまでが自分の舌かわからなくなる。どこまでが自分の熱かわからなくなる。
 いつまでもこうしていたい。
 そっと目を開けると、嶽野もぼうっとした顔をしていた。頬を上気していて、酒を飲み過ぎた時の表情と似てる。
「あの……俺、もう帰るな」
 低くてすこし掠れた声も、酔っている時に似ている。嶽野はそっと、指で自分の唇をなぞった。「……自分の口じゃないみたいだ」
「じゃあ俺のにしとこっと」
 からかうように言うと、嶽野は顔を上げた。笑っていた。
「それなら服部の口は俺のな。一生ブロッコリー食うなよ」
 おじゃましましたとリビングの兄に声を掛けた後、嶽野は笑いながら俺に耳打ちした。
「おまえアニキとそっくりな」
「嘘っ。俺あんなツラしてねぇよ」
「あんなって、いい男じゃん」
 夕暮れの道を並んで歩く。遠回りで駅へ向かう。キスの余韻うっとりしていた俺に、ふいに嶽野が言った。
「先週長谷川に会ったんだけど」
 ぎくりとした。あたたかい余韻が、夕暮れの風に攫われる。
「覚えてる? 長谷川」
「……ああ」
「こないだばったり会ったんだけど、K大なんだって。きれいになっててびっくりした」
 幸せなのに、水が紙に染みるように不安が心に染みてくる。
 嶽野が長谷川と一緒にいるところを、俺は偶然目撃していた。長谷川は確かにきれいになっていた。長谷川がずっと嶽野を好きだったことを、デートに誘う勇気を持てないまま卒業していったのことも、俺は知っている。
「どうしたんだよ」
 俺ははっとして、怪訝な顔をする嶽野を見た。
「眉間に皺寄せてナニ考えてたんだ」
「いや……あの」
 これからも続くのだろうか。嶽野が女と一緒にいるのを見るたびに、こんなに不安になるんだろうか。俺はそれに耐えられるのか。
(あんなマジな顔で告白されたの初めてだった)
 嶽野の言葉に嘘はなかったと思う。けれど、これから先は? 俺と同じくらい――俺よりずっと嶽野を好きな女が現れて、俺より真剣な告白をしたら?
 月が満ちるように、不安は膨れていく。月が欠けていくように、心が欠けていく。
「見ろよ。いい月が出てる」
 嶽野の言葉に空を見上げる。空は刻一刻と夜の色合いになっていて、滲むような白い月が浮かんでいた。今日満月ということは、今月中にもう一度満ちる計算だ。月を見て嶽野を思っていたように、嶽野を見るとき、俺は月を思う。三日月でも半月でもない、ビロードの上に置かれた宝石のように光る満月を思う。
「嶽野って、月見るの好きだな」
「そうかな……そうだな、好きだな」
「満月の話してくれたの、覚えてるか」
「満月? なんだっけ」
 嶽野らしい。「いや、なんでもない」
「なんだよ、気になるだろ」
 嶽野と並んで月を見る。嶽野が寄り添ってきて、肩がふれあう。服を通してぬくもりが柔らかく伝わってくる。
 またふいに、嶽野が言った。
「あのさ、金曜のカラオケ、おまえ行くんだっけ」それが不満なように、嶽野の声は固い。
「ああ。おまえ行かないの」
「行かねぇよ。おまえが行くか訊かれた。宮根に」
 宮根……同じゼミに在籍している、クリッとした目が嶽野の好みそうなかわいい子だ。
「なんで嶽野に訊くわけ」
「知るかよ」
 先に歩き出した嶽野の背中を見て、嶽野の声が尖っている理由がやっとわかった。頬が緩む。
「なんだよ、妬いてんのか。心配するなよ」
「どうだか。気づいてるか? おまえ宮根と話す時、鼻の下伸びてるぜ」
「おまえといる時より?」
 嶽野は振り返り、驚いたように目を丸くした。破顔する。
「おまえ、よくそんなキザなこと言えるなぁ」
 月が満ちるように、愛しさが満ちていく。

 

 

 

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*「ダブルムーン」覚書*
第13回Dear+チャレンジスクール投稿作『二度目の月は』→『ギャランドゥ』『ダブルムーン』
2004/11/03 “Phosphorescence”UP