フェチ
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 彼の脚はそれまで見たどんな男の脚より美しかった。バランスよく筋肉のついた大腿に、形良い膝、ふくらはぎ。とりわけ足先の素晴らしさは格別で、私はベッドに仰臥した彼の足元に膝をつくと、うやうやしく彼の踵を掌に収めた。口元まで掲げると、まずは親指の先にくちづける。それだけで、憎むような蔑むような縋るような目で私を見る彼の身体に、かすかな震えが走った。私もぞくぞくと身を震わせる。
 親指の腹の膨らみを唇で存分に味わってから口に含む。爪先のすぐ下の敏感な皮膚に舌先でふれると、彼の喉が鳴る。このやり方が気に入ったらしい。私の口内で、彼の指先がひくりと痙攣した。同じように痙攣する内腿を目で楽しみながら、ゆっくりと舌を使う。性器にはふれない。ふれるのは膝から下、今日は彼の感度が良いのでくるぶしから下だけだ。自分でふれることも禁じている。彼の視線は、今にも破裂しそうなほど猛った私に注がれている。これが欲しいことは知っている。初めて彼と肌を合わせた晩から、ずっと知っていた。
「纏足すると足裏の真ん中に溝ができるんだ。それに男のものを挟むとすこぶる悦いらしい」
 互いが性欲の対象になりうるとわかった晩、私は彼に纏足の話をした。すると彼は悪戯っぽく笑って、私の下腹部を足で撫でた。
「溝はないけどな」
 私は彼によって纏足時代の男の快楽を味わった。そして彼に、彼の知らなかった快楽を教えた。一年前のことだ。
 爪の生え際を軽く噛むと、彼は声を抑えられなくなる。狂おしく身を捩っても、足を引こうとはしない。私ほどではないにしても、彼もこれが好きなのだ。
 急なアーチを描く土踏まず。鼻先でなぞってから舐め上げる。
「あ――」
 たっぶり唾液を吸って柔らかくなった皮膚に歯を立てる。
「君の土踏まずはとてもきれいだ」
 最初のうちは手を縛った。だが今はあえて自由にしている。彼は私の言い付けをよく守って、きつくシーツを握り締めている。私のやり方に、彼ははじめ抵抗した。嘲り怒り、時には涙を見せることもあったが、今では不服を訴えながらも受け入れている。虚しく立ち上がったものが、彼が動くたびに震えるように揺れた。先端からはすでに液体が染み出している。唇からはせつないすすり泣きがひっきりなしに零れていた。
 指の腹で足指の間を擦りながら土踏まずを何度も噛むうちに、彼は射精した。射精は濃く永く、彼は自分の下腹部を濡らした。私もほぼ同時に達し、白濁した液体が彼の脚を汚すのを見てさらなる快楽の呻きを漏らした。
 愛しい足をそっとシーツの上に戻すと、彼はまだ欲情に潤んだ目で、縋るように私を見上げる。
「……あんたは、俺とやりたいと思わないのか」彼の声は泣いた後のように揺れていた。
「いつも充分に君を味わってる」
「俺はあんたの味なんか知らない」
「俗物だな。挿入だけがセックスの味わいではないだろう」
 私を睨むと、彼は乱暴に脚を引いた。勝ち気な目の光にぞくぞくする。
「このヘンタイ」
「足の指を舐められただけでいく男のことか?」
 にやにやする私の顔面に枕が飛んできた。そんなじゃれあいも、楽しみのひとつだ。
 私との行為は通常のセックスより快楽が深い分、体力もずっと消耗する。ぐったりとベッドに沈み込む彼を残してベッドを出ると、シャワーを浴びた。髪に櫛を入れ来た時と同じ姿になると、サイドテーブルの時計に目を向ける。
「もうこんな時間だ」
 くしゃくしゃになった髪の間から時計を見ると、彼はぎこちなく身体を起こした。
 彼とは一度も肉体を交えてはいない。くちづけすら交わしたことがない。苛立った彼は下品な誘いすら仕掛けてきた。プライドの高い彼がそのようなことをするのを見るのは胸が痛んだ。彼は誤解している。性器を使うセックスなど誰とでもできる。これは、私と彼の間だけの特別な愉しみだった。彼は信じようとしないが、私は彼に耽溺していた。彼も私の与える快感から離れられない。彼は私を憎んでいる。それも充分にわかっていた。彼が本当に欲しいものを私が与えないからだ。彼が私に向ける感情は、情欲も憎悪もすべて愛しい。
「俺は結局、あんたのいいようにされてるな」
 彼の声は不機嫌そのもので……情事の余韻に掠れている。下腹部も汚れたままだ。私が喉の奥で笑うと、彼は気分を害したように眉をひそめ、目元を赤くした。

 

 

 

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*「フェチ」覚書*
2005/08/23
2007/04/22-2007/05/06
20007/05/06 “Phosphorescence”UP