ギャランドゥ
(C)森田しほ 2004 All rights reserved

服部裕一(はっとり・ゆういち)×嶽野光輝(たけの・こうき)

** もどる


 

 十二月にしてはあたたかな日だった。陽射しは飴色で、風もない。駅前の噴水広場には大勢の人がいたが、嶽野光輝の姿を見つけるのは容易かった。小柄な部類ではあるがすらりとした身体つきに、目尻の上がりぎみの大きな目が印象的な整った顔立ち。嶽野はちょっとお目にかかれないような美形だが、目立っているのは美貌のせいじゃない。
 今日の嶽野は、蛇皮風のジャケットに紫のレーヨンシャツ、白いスラックスの腰には、今にも回転して変身でもしそうなバカでかいバックルのついたベルトをしている。足元は当然のように白のエナメル靴だ。シャツの前はへそのあたりまで開いていて、生っ白い痩せた胸が覗いている。胸元にはトドメの一撃のように金のスネークチェーンがぶら下がっていた。いつもながら、清々しいほどのセンスだ。いったいどこで買って来るのだろう。
「風邪ひくぞ。何月だと思ってんだ」
「なんだよ、デートだから気合入れてきたのに。いきなり文句なんて感じ悪いぞ服部」
 ストレートジーンズにトレーナー、ダウンコートに毛糸の帽子とマフラーをした俺を、嶽野は睨む。俺はマフラーを外すと嶽野の首にかけ、自分のダウンコートの前を閉じた。俺のマフラーをぐるぐると首に巻きつけると嶽野はいっそう怪しい風体になったが、機嫌は直ったようだ。笑顔を見せる。嶽野の笑顔は最高にかわいい。たとえ蛇革風ジャケットを着ていてもさわやかだ。
 嶽野は文句なしの美形だが、テキ屋の親父のような服ばかりを好んで着ている。高校時代から嶽野のファッションセンスは有名で、私服で出掛けるときは覚悟が必要だということは、友人一同肝に命じていた。
 俺は高校のころから嶽野が好きだった。嶽野が女の子とデートすると聞くたびにそわそわと落ちつかず、別れ話を聞くたびにほっとして、それから自己嫌悪に陥った。嶽野はどの子とも、あまり長くは続かなかった。それが俺を、さらにせつない気持ちにさせる。別れの理由は嶽野の服装であることが多い。ひどい時には、待ち合わせで嶽野の格好を見ただけで回れ右した子もいたそうだ。
 意を決して映画に誘ったのは大学に入ってからだ。
「うちのアニキが広告関係の仕事してて、試写会のチケットが回ってくるんだ」
 兄が持ち帰ってくるのはいつも、テレビで頻繁にスポットが流れるようなメジャーな作品ばかりだった。そのチケットを譲り受けるのには多少出費が必要だったが、嶽野を誘う口実のためならしかたない。
「二人で?」
「あ、ああ。チケット二枚しかないから」
 映画を見て軽く食事をして、時々はゲーセンだのアウトレットショップだのをぶらついて別れる。そんな風に何度か二人で出掛けた後、俺は脂汗をだらだらと流しながら告白し、嶽野はあっけないほどあっさりと承諾した。大学に入って半年が経っていた。
 つきあい始めて二カ月。季節は冬、十二月になっていた。

 

 アクションあり謎解きありの映画はおもしろく、二人とも満足して映画館を出た。
「あの金髪の巻き毛の子かわいかったな」
 嶽野は小柄で子どもっぽい顔をした女の子が好きだ。一度ロリコンとからかったらえらく怒ったので、今日は相槌を打つだけにした。大通りに出ると、嶽野は携帯の電源を入れる。メールが届いているようだ。
「もう出掛けたみたい。昼飯どうする。俺んちでピザでも取ろうか」
「そうだな」
 何げない口調で答えながら、俺は急激に鼓動が速まるのを感じていた。たしかに、はやく二人きりになりたいとは思っていたけど、でも、あと一時間は後のことだと思っていた。その間に気持ちを落ちつけるつもりでいたのに。
 二カ月の間に、何度もキスをした。じゃれあうみたいに身体にふれたりもした。今日のことは、まるで旅行の計画を立てるみたいに、二人で何度も話した。嶽野の両親は今日の昼に家を出て、翌日の夜に帰ってくる。俺たちは午前中に落ち合っては試写会を観て、昼食の後嶽野の家に行く。翌日まで二人きりだ。
 着替えと途中で買ったものは駅前のロッカーに預けてある。映画を観ている間は考えないようにしていた。そうでないと、どきどきしてしまってどうしようもなくなるからだ。
 嶽野の家は駅から十五分ほど歩いたところにある。まだこのあたりが開ける前からある住宅街の奥にある、ブロック塀に囲まれた二階家だ。門扉から玄関までの短い距離を、所狭しと置かれたプランターの間を縫うようにして進む。
「ごめんな、おふくろの趣味なんだ」
 嶽野の母親は高校の卒業式の時に見かけたきりだけど、小柄で愛嬌のあってかわいい感じの人だった。小太りというほどではないけど、全体的にふんわりと丸みがある。
 玄関脇の木に、電飾のついたネットが被せてあった。俺の視線に気づいた嶽野が言う。「けっこうきれいだぜ。夜になったら点けてやるよ」
 夜になったら。何げない言葉に、俺の鼓動はまた速まった。このままじゃオーバーヒートしそうだ。
 家の中はしんとしている。通されたリビングの壁には大きなコルクボードがあり、家族や親戚の写真がコラージュされていた。母親は知っているから、父親の顔を捜した。たぶんこの人だろうと見当をつけた人は、ビール腹の普通の小父さんだった。嶽野は誰に似たんだろう。
「ヒーターつけるから、そっちに座ってて」
「うん……」
 俺も嶽野もそわそわしていた。俺に背を向けてオイルヒーターの前に屈み込んでいる嶽野の、肩越しに見える頬と耳が赤い。壁の姿見に目をやると、俺も赤面している。まだ寒い部屋の中で、俺たちは湯あたりしたみたいに真っ赤な顔をしていた。
「なあ、ピザどれにする?」
 言いながら、ちらしの束を寄越した。嶽野は辛いものに目がないが、俺はダメだ。
「ミートソースにするか」
「そうだな。チキンは?」
 嶽野が出してくれたコーラを飲みながらメニューを選ぶ。つい脱線してくだらないことを話して笑い合う。前日に買ったものは、紙袋に納まったままソファの端に置いてある。努めて視界に入らないようにしていた。
 どちらともなく顔を寄せる。唇はふれあった瞬間は冷たかったけど、すぐにあたたかくなる。柔らかい。けれどけっこう激しいキスだ。コーラの甘ったるい味のするキス。永いキス。
 濃厚になっていくキスの合間に、嶽野がささやく。「服部……ピザ」
「腹減ってるのか」
 唇を離すと、嶽野の目を覗き込んだ。
「いや、後でいい。……俺の部屋行こうか」
 潤んだ目をして言う嶽野に、俺は黙って首肯いた。
 コートは置いたまま、でも紙袋は持って、嶽野の後に続く。嶽野の部屋は二階だった。引き戸沿いの壁には、大きな姿見が掛けられている。同じ壁に、雑誌から切り取ったらしいグラビアが何枚も張られている。外国人ばかりだ。ヒゲや胸毛を生やした、濃い顔立ちの男たち。ミュージシャンらしいが、俺は洋楽にはまったく疎いのでわからない。
 嶽野はグラビアに目をやると、悦に入ったようににやにやした。今の今まで目をうるうるさせていたくせに。あのヒゲがいいんだとうれしそうに言う。ヒゲだけではない、嶽野は胸毛にも憧れていて、胸元の開いた服から胸毛が覗くのが夢なのだそうだ。しかし不幸なことに、嶽野の体毛は薄い。髪は濃くはないが薄いというほどでもないのに、胸毛はおろか腋すら柔らかな産毛しか生えていないのだ。これは高校の時、更衣室で偶然目撃した。高校時代と言えば、全身の毛がひと繋がりになっているのではと噂のある毛深い体育教師に「胸毛をさわらせてください」と大まじめに言って周囲を引かせたことがあったっけ。
 ひらひらと揺れるレーヨンから、痩せた胸が見える。肌が白いし筋肉質でもないので、嶽野がそう見られたいようなワイルドな雰囲気は微塵もない。というより、俺としては目のやり場に困ってしまう。
 嶽野が美形で女にももてるのに嫌味じゃないのは、嶽野自身の理想と現実の自分にギャップがありすぎるからかもしれない。そんなことを考えた。
「ヒゲは高二の夏休みに伸ばしてみたんだけど、細い毛がひょろひょろ伸びただけで全然ダメだった」
 ……想像できない。
「あのさ、俺のこと抱いてもいいよ。できる?」
 唐突に話題を変えられた。
「……なんで」
「なんとなく」
 嶽野の目元が、ほんのりと赤くなる。「服部って俺のこと抱きたいんだと思ってた。違う?」
「いや……」
 違わない、とささやいて、目を伏せた。嶽野の大胆さにちょっと面食らっていた。思いきりのいいやつだ。俺の複雑な心情を察したらしく、嶽野はちょっと怒ったように言った。
「おまえ注射とか苦手だろ。気ぃ使ってやってんだぞ」
 注射はたしかに苦手だ。だけど、注射と同じくくりでいいんだろうか。
「まあいいや。でもどっちにしろ、さ」
 嶽野はますます顔を赤くして、俺をちらりと見上げた。
「とりあえず、もう一度キスしよ」
 抱きあって、ゆっくりと唇と重ねる。熱い舌が誘ってくる。すぐに応じた。舌をこね合うような濃厚なキス。息接ぎの合間に、小さく声が漏れる。嶽野とつきあいはじめて何度もキスしたけど、こんなのは初めてだった。階下でのキスも興奮したけど、今は、興奮し過ぎて何がなんだかわからなくなっている。足りない。もっと。嶽野の全部にキスしたい。シャツの上から胸に手を這わせた。指先が乳首を掠め、嶽野が息を飲む。
 唇を離すと、嶽野はほ、と息をついて俺の肩に頭を乗せた。
「……なんか俺、ヤバイ。ドキドキして死にそう」
「死ぬなよな」
 笑いながら言うと、嶽野はちょっと頭を動かして俺を見上げた。
「服部余裕じゃん」
「そんなことない」
 レーヨンのさらさらとした感触が、肘の内側を撫でる。スラックスの中にたくしこまれたシャツを引き抜き脱がせる。白い肌にぽつんとある乳首は、くらくらするほど扇情的だ。むしゃぶりついた。唇で吸い、舌でこねまわす。顔を見なくても、嶽野が声を出すのを我慢しているのがわかった。口を閉じているからだろう、鼻息が荒い。
 応戦するように、嶽野の手が俺のトレーナーとシャツをいっぺんに引っ張り上げた。素肌の腹に慌ただしくふれてくる。くすぐったい。熱い。熱が、身体の奥底から湧き上がり渦巻いて、出口を捜して荒れ狂う。
 脱ぐのも脱がすのももどかしい。
 均整のとれた身体つきにすべらかな肌。素裸の嶽野は、非の打ち所がない。勝ち気な目尻の印象的な顔立ちに、今は不安げな気配を漂わせている。
「ん、なに?」
「嶽野ってかわいいな」
「服部はかわいいのが好きなのか」
 弾んだ息の合間に、そんなやりとりをした。嶽野が眩しいように目を細めて微笑む。俺はそのちょっと意地悪な感じの笑顔が好きで、なんだかどきどきした。
「でも服部は、チャッピーだってかわいいんだよな」
 うちのチワワの名前を、嶽野は口にする。今年十五歳の老犬で、スムースと言われる短毛の種類だ。チワワというのは……冷静に見ると妙な顔をしている。目は飛び出ているし、耳はヨーダみたいだ。身体が小さいので顔の造作が一際目立つ。
「チャッピーは、チャッピーだからかわいいんだ」と俺はけっこうまじめに答えた。「嶽野は嶽野だからかわいい」
 嶽野はまた微笑んだ。さっきより甘く。
「ちょっと気分出てきたよ」
 ちょっとかよ。
「かわいいって言われてぽーっとなる男なんかいないだろ」と嶽野が笑う。「でも服部だから、ちょっとうれしい」
 嶽野は身体を起こすと、俺のこめかみにキスをした。ちゅ、と小さな音が立つ。
「服部の眉毛もかわいいぜ。氷川きよしみたい」
 ……褒められているのはわかるんだが。
「おふくろがファンなんだよ。マジ似てるって。寝室にポスター貼ってあるけど、後で見てみる?」
「遠慮しとく」
 またキスをして、身体中にふれて、どちらともなく手で慰め合う。熱を持ち疼く場所に、指の感触は鮮明だった。鮮明すぎる。
 互いが重なり合うように、身体をずらした。堅く猛った二つの肉が擦れ合う。先走りで濡れた感触が、なんとも言えない快感を生む。
「ん……はあ」
 ゆっくりと動く。俺も嶽野も、もう声を抑えることができない。
 太い金のチェーンが、汗に湿った首と鎖骨に纏いついている。
 どちらからともなく目を見交わす。
「どうする」
 嶽野がささやく。「試してみる?」
 俺たちはいったん離れた。起き上がり、ベッドの下に置いた紙袋に手を伸ばす。嶽野はクロゼットの奥から、似たような紙袋を持ってきた。
 ワセリンとコンドームを、二人別々に買いに行った。ワセリンにしたのは、ローションより買いやすいからだ。
「だって、ワセリンてアカギレなんかにも塗るだろ」
 と言ったのは嶽野だ。婆ちゃんが愛用しているらしい。どちらがどれを買うかはジャンケンで決めた。
 嶽野が薬局の紙袋からワセリンの箱を出す。俺は白色ワセリンとラベルの貼られたビンを受け取ると、蓋を取り中身を指に取った。ちょっとラードに似ている。座ったまま、嶽野がすこし腰を浮かす。これから侵入する場所に慎重に塗り込む。デリケートな場所にふれるのに、緊張して指が震えた。くすぐったいように嶽野が身を捩る。
「じっとしてろよ、危ないから」
「だって」
 めずらしくしおらしい声でささやく。そっと、指先をもぐり込ませる。嶽野が息を飲む。
「なんか……すげえ恥ずかしい」
「痛くないか」
「うん……でも、ゆっくりして」
 嶽野の中は熱かった。ワセリンがたちまちぬるついてくる。抵抗を減らすための作業に、いつしか夢中になる。嶽野がいたたまれないように腰を引き、反射的にそれを追う。
 嶽野が俺のものを握ってくる。ぞくりと背筋が震える。片手で俺を弄りながら、嶽野はもう一方の手でコンドームのパッケージを取り上げ、歯で破った。俺を見上げる目に、挑むような色がある。
「俺が着けてやるよ」
 薄いがぴったりとしたゴムの感触に、欲望を拘束されているような被虐的な快感が湧く。
 嶽野もワセリンを取り、ゴムの上から指を絡めてくる。手でさわられるだけていってしまいそうだ。
「まだいくなよ」
「わかってるって」
 膝を開いて座った俺の上に、抱き合うように嶽野が降りてくる。俺は片手を自分のに、もう一方の手を嶽野の尻に回して導いた。嶽野の腰は華奢で尻も小さい。俺のほうが怖じけづく。
「大丈夫か」
「うん……濡らしたし、平気。たぶん」
 ゆっくりと腰を落としてくる。先端が、包まれ圧迫される。
「ん……」
 俺がちょっと声を出すと、嶽野はぴくんと身を竦めた。その振動が、嶽野の内部に納まった敏感な部分に伝わる。
「服部……エロい声出すなよ」
 咎めるように言う嶽野の声のほうが、よほど色っぽい。
 時間をかけてようやく全部納まった。俺たちはぴったりと抱き合い、そろって息をついた。嶽野の内部で、俺のが痛いほど脈打っているのを感じる。
「う、動いていいか。ゆっくりするから」
「ん……うん。いいよ」
 ほんのすこし動いただけで、頭が吹っ飛んでしまいそうだ。嶽野のほうは複雑な表情をしている。それでも、火照った肌がますます熱くなっていた。内側も、熱い。目を閉じて、その熱と感触を味わう。ひどく熱い。動くたびに、溶けたワセリンが水っぽい音を立てる。
 ふと目を開けると、嶽野が俺を見ていた。見つめあったままくちづけし、争うように舌を絡め合う。なんだか目を閉じてするキスより感じる。
 手探りで、乳首にふれる。
「あっ……や」
 嶽野がうろたえたような声を出す。その舌をつよく吸う。嶽野の内部がきゅっと俺を絞めつけた。我慢できなくなって、嶽野の腰を抱えるとしゃにむに突き上げた。嶽野の息も上がってくる。俺にしがみつきながら、そろそろと手を動かして、肩やうなじを撫でていく。
「は……ふう」
 揺さぶられながら、嶽野は注意深く息をつく。
「もっと優しくしろよ」
「ごめん」
「もういきそう?」
 耳元でささやかれて、夢中で首肯く。
「だめ。まだ」
「うん……」
 俺は嶽野の鎖骨の窪みに鼻を埋めるように顔を伏せていた。嶽野の手が、俺の頬を包んで顔を上げさせる。唇が重なる。嶽野の身体をしっかり抱きしめた。
 だんだんに動きが激しくなる。嶽野も異物感に慣れてきたようで、積極的に俺に動きをあわせた。互いの腹に挟まれた嶽野のものが、コミカルに揺れている。握る。擦りあげる。深く合わさった唇の合間から、嶽野がくぐもった声を漏らす。嶽野の身体が一瞬硬直し、俺の下腹を生暖かいものが濡らすのを感じながら、俺も達した。
 唇が離れた後も、嶽野は荒い息をつきながら俺の頬に頬を擦り寄せたり鼻を擦り合わせたりし続けた。熱い息がかかる。俺の息も当然荒い。嶽野の首筋にかかる髪が揺れる。
 息が整うまで、そのままじっとしていた。そろそろと離れると、勢いを失ったものからずるりとコンドームが抜けて、嶽野の中に残った。二人で目を見交わし笑い合う。手を伸ばす嶽野を制して、俺がコンドームを引き抜いた。嶽野がちょっと声を上げる。
「見栄張ってデカイの買ったんじゃないのか」
 照れ隠しのようにからかわれた。むっとした顔を作ると、嶽野は笑った。
「なあ、腹減らない?」

 

 家人がいないのをいいことに、裸同然の格好のまま階下に降りる。ヒーターであたたまった空気が肌に心地よい。俺はジーンズを履いていたが、嶽野はあのテロテロしたシャツを羽織っただけだ。しかも前は全部開いている。
 嶽野が冷蔵庫を開ける。後ろから覗くと、味噌に梅干しに卵、ラップに包んだご飯、発泡スチロールのトレイに入った豚バラ肉。納豆に豆腐、牛乳とミネラルウォーター。何かを味噌漬けにしているらしいタッパーも見えた。冷凍庫には小分けにした肉と魚、冷凍野菜、製氷皿。嶽野は野菜室は見なかった。
「なんだ、食べるもんないや。やっぱピザ取ろうか」
「……嶽野って、料理とかしないの」
「しないな。腹減って、すぐに食べれるもんがないときはコンビニかファミレス行くし。あ、ファミレスでもいいな」
 せっかく二人きりなのに。時間は明日の昼までしかないのに。
「冷蔵庫の物使っていいなら、俺がなんか作ろうか」
「服部料理できんの。すげ」
「焼き飯くらいならな」
「すごいじゃん」
 野菜室にネギがあったので、豚バラとネギと卵の入った焼き飯と、豆腐のみそ汁を作った。
 腹が落ちつくと、ソファに並んで座って、熱々のカフェオレを飲んだ。どちらからともなく手を繋いでいた。すべすべした指をそっと撫で、指の間をそろりと擦る。嶽野の指はすらっとしている。くすぐったいように、嶽野の唇が緩む。
「なんかエロいな」
「そう。感じる?」何食わぬ口調で言って、続ける。
「なあ」俺は前を向いたまま言った。
「なに」
「なんで俺とつきあおうと思ったんだ」
 嶽野はマグに残っていたカフェオレをゆっくりと飲み干してから、口を開いた。「たいがいのやつは私服で二人きりで会うと二度と誘って来ないけど、服部は違っただろ。だから服部って、俺のこと好きなのかなって思ったんだ」
 嶽野も前を向いたまま、まじめな声でそんなことを言った。
「だから俺とつきあうことにしたのか」
「それだけじゃない。……服部のこといいなって思ったから」
 俺の何が嶽野の琴線にふれたのかはわからないが、嶽野が思いがけず真剣な目をして答えてくれたことに、俺は胸が熱くなった。
 同性を好きになるのは初めてで、これでもいろいろ悩んだりもした。けどよくよく考えてみると、異性への片思いも同性への片思いも、心持ちの上では大きな違いはなかった。更衣室で目のやり場に困るとか、同性ならではのこともあったし、告白するときは、さすがに乏しい経験の中でも一番勇気が必要だったけど。それでもやはり、恋心に変わりはない。
 たしかに嶽野はかわいい。だがそれは好きになった後あらためて考えた理由であって、誰かを好きになるのにこれといった理由などないというのが、俺の出した結論だった。容姿や人柄は、スイッチにはなるけど、理由にはならない。スイッチが入っても電流が流れなければ明かりは点かない。
 ああ、そうか。
 嶽野も同じなんだ。
 そう思ったらほっとした。
「服部?」
 嶽野の肩に頭を乗せて、目を閉じる。嶽野は「ばっかだなぁ」と言いながら俺の髪を念入りにくしゃくしゃにした。

 

 陽が完全に暮れると、嶽野は庭木の電飾のスイッチを入れた。星のような、だが星よりもあたたかな光が灯る。
「電気ついてるだけなのにな、なんかわくわくするよな」
 俺たちはベッドに並んでうつ伏せて、肘をついて窓の下を眺めた。まるで修学旅行の夜みたいだ。高校の修学旅行では嶽野とは別の部屋だったから、よけいうれしい。くだらないことをたくさん話した。
「クリスマスどうするよ。家族でどっか行くのか」
 嶽野が笑う。「行かない行かない。俺が高校に入った年から、クリスマスは親父とおふくろは二人で外食なんだ。だから一人。去年はみんなでカラオケ行ったろ」
「ああ、そうだっけ」そう言えば、あぶれ野郎五人でオールしたっけ。けっこう盛り上がったし、二人きりではないにしろ、嶽野と過ごせて楽しかった。
「俺らもメシでも食いに行こうか」
「どこ行ってもカップルばっかだぜ」
「俺らもカップルじゃん」
「そうか。そうだな」
 嶽野はそれもいいなとくすくす笑った。
 ふと思いついたように、俺のうなじに手を回し、引き寄せると頬擦りをした。
「なあ、服部ってヒゲ濃い?」突然そんなことを言い出す。
「濃くは……ないと思う。普通かな」
「眉は濃いのにな」
「ほっとけ」
「生やそうと思ったことないの」
「ううん、俺は……似合わないからなあ」
「そうか」嶽野は深いため息をつく。「そうだよな。生えても似合わないとな」
 話しながら、時々キスをする。唇を重ねて、合わせて、舌を、ゆっくりと絡め合う。昼間交わした奪い合うようなキスではない。ゆっくりと。唇が完全に離れないていどに離れて、また深く。何度も何度も。ぴったりと抱き合う。まるでそのまま溶け合うための儀式みたいに。
「なあ、ほんとに、クリスマス二人でどっか行こうぜ」
「どっかって、どこ」
 胸に手を這わせると、嶽野はちょっと声を上げて身を捩った。
「ばか……やめろよ」
「なんで」
「だっておまえ、そこばっかりさわるから」
 薄いミルクティーみたいな色だった場所が、赤く腫れて熱を持っている。その赤みはなんだかエロティックだ。小さくて、無防備な感じのするそこは、ついさわりたくなる。そっと、舌先で掬うように嘗めると、嶽野の身体がぴくっと震えた。
「痛いってば」
 エロビデオの見過ぎじゃないのか、とまで言われてしまった。しかたなく、その周囲に指を這わせた。嶽野が痛みを訴える部分は注意深く避け、ギリギリのところで指を止める。嶽野はその微妙な場所が感じるようで、もじもじしはじめた。
「ん……」
「これならいいだろ」
 頃合いを見計らって起き上がり、ベッドサイドのワセリンに手を伸ばす。嶽野が複雑な表情でそれを見ている。その目には、昼とは違う欲情の色がひそんでいる。仰向けに寝た嶽野の脚を肩に担ぐようにして重なった。
「あ、た、痛たたた」
「え。まだ入れてないぞ」
「脚。脚が痛い――俺身体固いんだよっ」
 キレぎみの声とともに蹴飛ばされた。
 ベッドの上に座り込んで、しばらく無言で向かい合った。
「……昼と同じ格好でしようか」
 嶽野は不満顔のままだ。「せっかくなんだから、別の格好にしようぜ」
 何がせっかくなのかわからないが、俺もそう思った。せっかくなんだから。
「あ、じゃあこうしようぜ。二人とも横になってさ」
 横臥した嶽野の背中に胸をつけるようにして重なる。引き出しの中にきちんと納められたスプーンみたいに。合図をして、重なったままちょっと身体をずらした。嶽野の脚の間に脚を割り込ませながら侵入する。
 嶽野の熱いうなじに吸いつきながら、前に手を回して軽く握る。もう片方の手でそっと、喉のあたりをなぞる。嶽野の喉仏が忙しなく上下するのを、指先で感じた。かすかに声が漏れる。
 胸の前に回してぎゅっと抱きしめた腕に、嶽野がすがりつく。
「なあ……やっぱり、さっきのほうがいい」掠れた声で言う。
「でも、脚痛いんだろ」
「ん、けど」
 服部の顔が見たい。嶽野がささやいた。
「ちゃんと顔見てないと、なんだか……落ちつかない」
 注意深く離れて起き上がった。嶽野の脚の間に膝を入れる。
「脚さ、俺の腰に回せよ。ほらこうやって」
「ん……」
「さっきよりは楽だろ」
「うん」
「脚いけるか」
「平気」
「……どう?」
「……さっきよりはいいみたい。慣れてきたかな」
「やっぱり痛いか」
「ワセリン使ってるから痛くはないけど……ヘンな感じ」
 負担をかけていることに罪悪感を感じている俺に、嶽野は意地悪く微笑みかけた。
「今度は逆でやってみような」
 俺が怖じけづくと、嶽野はあわてたように俺の腰に脚を回す。
「おい、萎えるなよ」
 嶽野のほうから腰を揺らした。俺はすぐに回復して、その動きに応じた。忙しなく、でもゆっくりと、目盛が上がっていくみたいに……じりじり。嶽野が苦痛を堪えるみたいに、きつく目を閉じる。ひそめた眉が扇情的で、目眩がするほど欲情した。顔を寄せる。さらに身体が密着して、嶽野はちょっと高い声を上げた。額から、まぶた、頬とキスしていく。唇、顎、喉、鎖骨。ベッドから浮いた嶽野の腰を支えるように掴んで、もう、嶽野が待ったをかけても止められない。
 嶽野は勢いよく腕を伸ばすと、俺のうなじに回してぐいと引き寄せた。頬がぴったりとくっつく。すごく熱い。唇が、俺の耳に押しあてられる。
「服部……は――」
 荒い息ととろけるような甘い声が耳をくすぐる。嶽野も俺と同じくらい感じている。そう思ったら、本当に頭が吹っ飛んで、なにがなんだかわからなくなった。

 満たしあい疲れきって、抱きあったまま眠った。夢も見ない、深い心地良い眠り。カーテンを開け放していた窓から降り注ぐ陽光で目が覚めた。
 すぐ鼻先に、ちょっと疲れた風だけど、すっきりしたような嶽野の顔がある。俺もきっと、同じような顔をしているだろう。
「おはよう」
 照れくさいように微笑む嶽野を見て、顔が熱くなった。
「おはよう。今日も天気良さそうだな」
 新しい一日の一番初めに、見つめ合い言葉を交わし合うのが嶽野であることがうれしかった。すごくしあわせな気分だった。
「俺ほんとは先に起きてたんだぜ。でも服部の寝顔見てたら」大きく欠伸をする。「また寝ちゃった」
 嶽野が窓を開けて、部屋に籠もった空気を追い出す。まだベッドに座り込んでいる俺を振り返った。近寄ってきて、唇に軽くキスをする。俺も、同じくらい柔らかなキスを返す。
 朝食は駅まで出てマックの朝メニューにすることにした。今から行けばギリギリで間に合う。洗面所を奪い合い、バッグに詰めてきた着替えに手を通す。嶽野はクロゼットから、青と黄色と緑の幾何学模様のシャツを選び出した。
「胸毛があればもっと似合うのに」
 鏡の前で袖を通しながら、嶽野はふうとため息をついた。
「やっぱ欲しいよなあ、胸毛」
 嶽野があまりに落胆しているので、胸毛がなくても嶽野はいい男だよと言いそびれてしまった。
 でもその幾何学模様のシャツは似合っていないとも、とてもじゃないけど言い出せなかった。

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

*「ギャランドゥ」覚書*
2002/12/06〜2003/04/08
第43回白泉社花丸新人賞投稿
2004/08/30 “Phosphorescence”UP
2004/08/31 検索エンジン「カオスパラダイス」に「同性の恋愛♂×♂(成人向け)」で 登録
2004/11/03 加筆UP