片恋(かたこい)
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「脱げよ」
 俺は吐き捨てるように言った。実際、吐きそうな気分だった。たかねは傷ついたような悲しげな顔をして立ちつくしている。クソ。泣きたいのは俺のほうだ。ジーンズの尻ポケットからくたびれた革の財布を出すと、ベッドの上に投げ出した。安っぽいベッドの妙な柄のシーツの上に乗った財布には、万札が五枚入っている。銀行から降ろしてきたばかりの、俺の全財産だった。俺はたかねが自分の身体にどれほどの値をつけているのか知らない。たかねがいくらで見知らぬ男のアレをしゃぶっているかなんて、知りたくもなかった。
 俺がもう一度言うと、たかねは白いサマーセーターの裾に手をかけた。セーターの下は薄いシャツで、その下は素肌だった。ベルトに緩め、チノパンを脱ぐ。靴下と下着を取ると、たかねはまったくの全裸になった。俺は息を飲みかけて、あわてて目を逸らした。
 大股で近づいて、背丈では頭一つ、体重では十五キロは小さいたかねの身体を引き寄せた。たかねはやせっぽちで、裸を見ていると二一歳の男には見えない。十五、六のガキみたいな身体つきをしている。キスをしようとしたら、顔を背けられた。俺は頭にきて、たかねの髪を掴んで無理やり唇を合わせた。頑なに閉じたままの唇に噛みついて、舌をねじこむ。かすかに血の味がした。
 ベッドに突き飛ばして乗りかかった。安物のベッドが派手に軋む。俺の体重をもろにかぶって、たかねはうめき声を上げた。前立てを開いただけで、俺は脱がなかった。
 白い肩口に歯を立てた。いや、そんな生易しいもんじゃない。思いきり噛みついてやった。たかねはびくっと身を竦める。優しいキスをするかわりに、何度も噛みついた。薄く血が滲むほどつよく。何度も噛んで、その傷を苛むように舌を使った。
「あっ……」
 たかねはとうとうすすり泣きはじめた。俺はことさら乱暴に、たかねの足の間に割り込むと、そのまま犯した。たかねの顔が苦しげに歪む。白い額に汗が浮いた。閉じた肉を引き裂くのは、俺にとっても苦痛だった。それでも強引にねじ込み、奥まで突き上げた。
「あ……う」
 たかねは揺さぶられ、艶やかな髪が涙に濡れた顔を隠した。

 

 約束があったわけではない。俺の一方的な片思いだ。たかねは小学三年のときにうちの隣に引っ越してきた。両親と、一人っ子のたかね。俺たちはすぐに仲良くなった。箱入り息子のたかねはおっとりとした性格で、家のなかで遊んでいることが多かったという。三人兄弟の末っ子の俺は兄たちについていつも外を駆けまわっていたから、たいがいの遊びは同じ年頃の子どもよりずっと器用にこなせた。俺は弟ができたみたいでうれしくて、たかねにさまざまな遊びを教え、いろんなところへ連れて行った。幽霊屋敷と呼ばれていた廃屋の庭を通る、学校への近道も教えた。兄たちと三人だけの秘密だった、裏山の大きな松の登り方のコツも。その松に登れたのは、俺たちの学年では俺だけだった。ただ勉強だけは、いつもたかねが教える側だった。勉強は好きではなかったが、それでもたかねと一緒なら、遊びの延長のようで楽しかった。
 しかし二年後、たかねの父親が事業に失敗し、一家は離散した。たかねは母方の親戚に引き取られた。再会したのは中学に上がった年だ。たかねを養っている親戚のほうも内情は苦しく、たかねは肩身の狭い思いをしているらしかった。けれどそんなことはおくびにも出さない。あいかわらず見てるほうがイライラするほどのんびりとした性格のままで、俺たちは以前と変わらぬつきあいをした。同じ高校、そして大学に進学した。実を言うと、俺はたかねと同じ大学に行きたくて、必死で勉強したのだ。
 俺の学費は親が出している。俺はバイトをしているが、それは飲み代やタバコ代、こじゃれた服を買うのに使っている。バイトと遊びに忙しくて、大学にはあまり顔を出していない。たかねに会いに、週に二・三度と構内をうろつくだけだ。俺が遊びほうけている間、たかねは日々の糧と大学の学費を払うために身体を売っていた。気づくべきだった。いくらかけもちしていたって、バイトだけで生活費と学費のすべてを捻出できるわけなんかないんだ。でも俺は気づかなかった。
 たかねが悪いんじゃない。俺にこんなことをする権利はない。
 大きく動くと、たかねの声にはっきりと甘い響きが混じりだす。かすかに腰が揺れる。俺の視界はふたたび白く染まった。膝に手をかけて乱暴に広げると、さらに深く押し入った。たかねの喘ぎ声に、苦痛の響きが重なる。それでも俺は手加減しなかった。容赦なく突き上げ揺さぶった。
 たかねの声が好きだった。たかねが俺を呼ぶ声を思いだしながら、何度自分を慰めたかしれない。たかねはきれいな発音でゆっくり話す。たかねは微笑むとき、女の子みたいにちょっと首をかしげる。
 ミルクティーみたいな色をした乳首。掬いとるように嘗めてやると中まで震えて、俺を締めつける。アバラの感触のする脇腹をなぞり、刺激されるたびに波打つ平らな腹を撫でた。たかねはもどかしいように、俺の腰に回した足に力を込める。俺はもう、たかねが愛しいのか憎いのかすらわからなくなっていた。いっそう激しく腰を打ちつけた。堪えきれずに一度達して、また責め立てた。どんなに責め苛んでも、満ち足りることはなかった。
「たかね……たかね」
 たとえ恋人になれなくても、一番の親友でいたいと思っていたのに。
「たか……」
 俺は泣いた。こんなふうに繋がったままじゃ、カッコつけてもしようがない。俺は身も世もなく声を上げて泣いた。
 たかねの手が俺の頬を包む。とうのたかねを凌辱している最中だというのに、その感触に俺は赤面した。たかねのほうからキスしてきた。舌を絡めて……まるで恋人同士みたいなキスだ。俺は夢中でたかねの唇と舌をを味わった。さっきまでのとはまるで違う、熱くて激しい欲望が、ゆっくりと満ちてくる。抱きしめると、たかねも俺の首に腕を回した。
「たかね……」
 俺がたかねの奥深くに迸らせたのと、たかねが俺の腹を濡らしたのは、ほとんど同時だった。

 

 たかねに抱きしめられていた。ずいぶん永いこと眠っていたようだ。すぐそばに、たかねのきれいな目がある。こめかみには涙の跡。俺が起きたのを確かめると、たかねは俺から離れてベッドを降りた。たかねのぬくもりを失って、俺はかすかに身震いした。たかねの身体には、俺の噛んだ跡がいくつも残っている。たかねは黙ったまま脱ぎ散らした服を身につける。ホテルに入るまえと同じ姿になった。いつのまにかベッドから滑り落ちていた俺の財布を拾うと、中から三枚引き抜いた。俺を見て、悲しげに微笑む。あのときと同じだ。たかねがウリをしていると知ったとき、俺は怒りにまかせてたかねを殴った。たかねは何も言わずに、血の滲んだ唇で、今と寸分変わらぬ悲しい微笑を見せた。
「豊」
 たかねが優しい声で俺の名を呼んだのは何日ぶりだろう。まっすぐ俺を見つめたのは? 最後に俺に笑いかけてくれたのはいつだったか。
「豊……」
 嬌声を上げ続けたせいで、たかねの声は掠れている。しかしその唇がなんと言っているのか、俺にはちゃんとわかった。
「好き。ずっと好きだった」
 それは永遠の別れの言葉だった。

 

 

 

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*「片恋」覚書*
2000/04/28〜2000/04/30
2000/04/30 サイト“BOY'S LOVE”に投稿
改訂
2001/01/14 “Phosphorescence”UP
2001/05/03 修正