密室
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 建て売り住宅の広告や地域のミニコミ、ピンクちらしでいっぱ いになったドアポストの中に、白い封筒を見つけた。誰にも告げ ていない住所に届いた封筒の表書きには、懐かしい筆跡。俺は開封することも捨てることも出来ずに、通販で買ったパイプベッド とマットレスの間にそれを隠した。

 

 二十四時間配達のバイク便で働いている孝は、帰宅の時間が不規則だ。孝は仕事のシフトを絶対に話さない。俺を試すように、 いつも突然に帰ってくる。
 その日は深夜と明け方の境くらいの時間に帰ってきた。いつもならベッドに入って来た孝が身体にさわってくるまで気づかない。目が覚めたのは、深酒をしたらしい孝が台所で派手に転んだからだ。「ちきしょう」と呻く声とイスを蹴り倒す音が響いた。えらく不機嫌なようだ。しかたなく起き出して台所を覗くと、床の上に孝とイスが転がっていた。
「騒ぐなよ。近所迷惑だろ」
「るせぇ」
「うるさいのはおまえだ」
 うんざりして言うと、いきなり胸倉を掴まれた。引き寄せられ、もう片方の手で髪を掴まれる。孝は細身だが筋肉質で、一日中大型バイクを操っているせいもあって恐ろしいほど腕力がある。腕も首も、陽に当たる場所は真っ黒に焼けていた。けれど元は色白で、シャツを脱いだときなど、腹や腰の白さが妙になまめかしく見える。
「おまえ、いいかげん髪切れよ」
 一年前から一度もハサミを入れていない髪は、掴むのにちょうどいい長さになっている。そのまま板張りの床に押し倒された。パジャマがわりに着ている古シャツを引き裂かれる。
「……ケダモノ」
 孝の口元に冷笑が浮かんだ。
「おまえがソレ言えんのかよ」
 指で俺の唇をこじ開ける。
「しゃぶれよ」
 俺を見下ろす孝の目は冷たく、ぎらぎらと光っていた。俺は孝の目を見返したまま、ゆっくりと指に舌を這わせた。絡めて、つよく吸う。孝の腕を取り、目を閉じると音を立てて指をしゃぶった。孝の息が荒くなってくるのがわかる。俺の息も乱れていた。指を引くと、孝は唇を被せてきた。貪り合い、あわただしく互いの服を剥ぎあう。俺の唾液で濡れた指で、後ろをさぐってくる。何度も唇を合わせながら、孝がささやいた。
「おまえだってケダモノだろう」
 まったくそのとおりだ。

 

 孝は出勤前と帰宅後に必ずセックスしたがる。それが何時であってもだ。目が覚めるとすでに孝が中に入っていることもあった。ゆうべは台所の床の上で一度やったあと、ベッドに戻ってもう一度やった。それからまだ五時間も経っていないというのに、目覚めると早速挑みかかってくる。
「おまえさ、ずっと裸でいろよ。脱がしてる時間もったいねーから」
 バカか。
「けどなぁ、そうすっと、脱がす楽しみなくなっちまうな」
 真面目に検討している。
「ん……なぁ」
 孝は甘えた声で言うと、俺の耳に軽く歯を当てた。
「嘗めて。シックスナインしよ」
 俺は身体を起こすと、身体の向きをかえて孝の顔をまたいだ。顔を伏せる。ゆっくりと舌を這わせ喉の奥まで飲み込んだ。つよく吸うと、孝がぶるっと身震いする。
「ん……すげ、いい」
 孝はうっとりと言うと、俺にも同じような愛撫を加えた。嘗めて濡らした指を入れられて、思わず声が漏れる。
「まだ、もうちょい我慢しろよ」
 孝も息を乱しながら言うと、指を増やした。かきまわしながら、身体を起こす。あっという間に俺の上に馬乗りになった。器用なやつだ。
「やべ。あと三十分ねぇな」
「……」
「何やってんだよ、はやく足上げろよ」
 苛ついた孝が膝裏に手を回す。足を抱え上げながら押し入ってきた。
「う……ん」
「ん……」
 孝は深く息をつくと、すぐに動き出した。不自然に折り曲げられた足を孝の腰にかけると、さらに深く入ってきた。
「は……」
「な、いいだろ。意地ばっか張ってんじゃねぇよ」
 孝の声は笑っている。終わると孝はシャワーも使わずに服を着た。夜中から今朝までで三回、俺は起き上がれない。ゆっくり眠りたい気分だったが、そのまえに風呂だ。
 孝はゴムを使わない。生ですると後始末が面倒だからと何度も言ったが、まったくとりあってはくれない。妊娠するわけじゃなし、だいいち生のほうがおまえだって気持ちいいだろ、と言う。孝は最初から一度だってゴムを使ったことなどないし、俺は孝以外の男とやったことなんかないから、そう尋かれても答えようがない。一度言い争いになって殴られてからあきらめた。
「よかっただろ。他のヤツとすんなよ」
 出掛ける前、孝は必ずそう言う。そう言って唇にキスをする。孝は気づいてないのかもしれない。俺がここに来てから一度も髪を切ってないのと同じに、一度も外に出ていないことに。
 孝が出て行くと、部屋は急に静かになった。日当たりの悪いアパートの一室で、俺は一人になる。
 そろそろと起き上がって、壁に手をつきながら風呂場に向かった。天井にカビの生えた狭い風呂場で一人で後始末をしていると、急に笑いだしたいような衝動にかられる。外に出ないのは、知人に会う万が一の可能性を恐れてではなかった。ただ怖かったからだ。罪悪感からではない。そんな倫理観があるのなら、ハナから孝についてきたりはしなかった。

 

 携帯がけたたましい音を立てても、孝は起きなかった。孝は着メロを入れていないから、単調で耳障りな電子音が延々と続くだけだ。
 二十まで数えて、通話ボタンを押した。相手は孝の勤め先の上司だった。俺を孝と間違えたようで、いきなり用件を切り出されて戸惑った。孝以外の人間と話すのも一年ぶりだ。この部屋には電話はないし、一人のときは誰が来ても居留守を使っている。
 上司が伝言を伝え終わったところで、いつの間にか起きていた孝に携帯を取り上げられた。孝は俺を睨みつけながら、それでもさすがに社会人らしく、抑えた口調で上司と話す。
「勝手に取ってんじゃねーよ」
 通話を切ったとたんに怒鳴られた。
「なかなか切れないから、急用かと思って」
「起こしゃいいだろ」
「起こした」
 自分の寝起きの悪さを知っている孝は、負け惜しみのように「今度したらぶん殴るぞ」と言った。
 俺は孝の勤め先の電話番号はおろか社名すら知らない。
「あんま話さないよな。仕事のこととか」
 興味があるわけではないが、恐れているのは俺だけではないと思うとわずかだが気が楽になる。俺が働きもせずにごろごろしていても、孝は何も言わない。かえって安心しているのかもしれない。
「なんで?」
「話すほどのことなんてねーからだよ」
 孝は俺を押しのけると。ベッドの下の畳に直接置いた缶ビールを取った。もう温くなっているだろうそれを一口飲んで、顔をしかめる。
「外が恋しくなって俺が逃げるとでも思ってんの」
 孝の目が険しくなる。
「自惚れてんじゃねぇ」
 怒声とともにビール缶を投げつけられた。同時に孝が飛びかかってきて、俺はベッドの枠でしたたかに後頭部をぶつけて呻いた。孝は引きつったような笑みを浮かべながら、ビールで濡れた喉元から胸に舌を這わせてゆく。
「ふ……っ」
 身体中を執拗に嘗めまわされ、俺は身もだえした。
「淫乱」
 蔑むように言われても、とくに腹は立たなかった。こんなふうにしたのはおまえだろ、と思う。けれど口には出さなかった。あまりにも三流ポルノじみたセリフだったから。
 孝は俺をどうするつもりなんだろう。一生こうやって飼っておくつもりなんだろうか。齢くって立たなくなるまで、こうやって毎日セックスするつもりなんだろうか。
 唇が笑むように引きつるのを感じた。もしかしたら、孝はその気なのかもしれない。

 

 最初に孝とセックスしたのも、こんな蒸し暑い日だった。孝はほとんどなんの準備もせずに俺の中に押し入ってきた。死ぬ。そう思った。目の前が真っ赤に染まるような激痛だった。
 苦痛を訴えても、孝が俺を気遣うようすはなかった。笑っていた。笑いながら、泣きながらやめてくれと懇願する俺を犯した。孝がもし人を殺すとしたら、きっとその時にもこんな顔をしているのだろう。
 こいつはどこかオカシイ。
(来い)
 そう言われて、孝についてきた。一年前。受験間際だった。親も学校も何もかも捨てて孝とここへ来た。
 どうしてだかわからない。孝が怖かったわけではないし、愛しているわけでもなかった。汗だくになって抱きあっている最中ですら、孝に愛情を感じたことはなかった。
 マットレスの下の手紙のことを、唐突に思いだした。あれから一度もふれていない白い封筒。毎朝毎晩、あの手紙の上で孝とセックスしている。
 俺も孝と同じだ。ゲタモノ。頭のオカシイケダモノ。
「ふ……」
「何笑ってんだよ」
 孝が訝しげに尋いた。俺は答えなかった。孝の背中に腕を回す。揺さぶられながら、声を出して笑った。
「おまえ……猿みてぇ」
「何言ってやがる。毎日やったほうがいいんだぜ」
「ガバガバになっちまうよ」
「安心しろよ、ガバガバになってもやってやるから」

 

 台所とベッドのある六畳間の境の障子は、いつも開け放したままになっている。台所の奥が洗面所と風呂場だ。狭いアパートだから、風呂場の水音が部屋まで聞こえる。孝がシャワーを使っているすきに、マットレスの下を探った。障子を閉めておこうかと一瞬思ったが、かえって怪しまれるだろう。孝が風呂から出る気配もわかりづらくなる。
 手紙はなかった。シーツを剥ぎマットレスを外して、ベッドの下も調べてみたが、手紙はどこにもなかった。
「コレ探してるのかよ」
 ぎょっとして振り返ると、台所のイスに孝が座っていた。濡れた身体にバスタオルを巻いただけの姿だった。板張りの床がびしょ濡れになっている。浴室からはまだ水音が続いていた。孝はにやにやと笑いながら、白い封筒を俺に向けて振ってみせた。
「バカヤロウが。こんなもんとっときやがって」
 嘲笑を浮かべているが、俺を見る目には憎悪にも似た鋭い光があった。初めて俺を犯したときと同じ目だ。孝は俺を見たまま、封筒をゆっくりと二つに裂いた。重ねてもう一度。さらにもう一度。紙吹雪のようにあたりに投げ上げた。
 狭い台所のあちこちに、白い封筒の破片が花びらのように散った。俺と孝の名前が並んで書かれている、母からの手紙。
「来いよ」
 俺は糸で釣られるみたいにふらふらと孝に近づいた。
「愛してるって言ってみろよ」
 孝が自信たっぷりに言う。やっぱりこいつはオカシイ。俺は手を引かれるままに孝の膝を跨いだ。孝の背後の壁、小型の冷蔵庫の蔭に鏡が掛かっている。洗面所のを俺が外してしまったので、孝がここに取り付けたのだ。鏡なんか見たくなかった。でも目が離せない。端の曇った鏡に、孝の後頭部と、陰鬱な表情をした俺が映っている。鼻の先に触れるほど長くなった前髪から覗く目が、自分でも驚くほど孝と似ている。孝の髪から滴った水滴が俺の頬を濡らす。石鹸の香のする孝の耳元にささやく自分の声が、ひどく虚ろに聞こえた。
「愛してるよ、兄さん」

 

 

 

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*「密室」覚書*
2000/07/25〜2000/08/24
2000/10/06 サイト“BOY'S LOVE”に投稿
改訂
2000/01/20 “Phosphorescence”UP