旅人 (たびびと)
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 一目でその少年が奴隷だとわかった。真夏の太陽の下で仰向けに倒れた少年が身につけているものといえば、腰に巻かれた麻布と腕を拘束している革と金具で造られた締め具だけだった。剥き出しの肌は褐色で、痩せて尖った肩には焼き印がある。旅人は焼きつけられた紋章に覚えがあった。この街道の周囲の荘園に立てられている立て札、荘園の所有権を示すその立て札に書かれた地方領主の名の下に刻まれていたものと同じだ。
 奴隷の身体に刻まれる所有者の印には、いくつかの種類がある。主の身辺の世話をする愛玩用の奴隷には、美しい意匠の入れ墨を、下働きの労働奴隷には焼き印を当てる場合が多い。耳を殺いだり顔に傷を刻んだりという乱暴なやり方もあった。
 旅人は馬を降り、少年を抱き起こした。息はある。腰に結んだ革水筒を少年の口にあてた。そそがれた水はしばらくは唇を濡らすだけであったが、こくりと喉が鳴ったのをさかいに、水筒に噛みつく勢いで飲み下された。
 汚れた砂色の髪の間から茶色の目が旅人を見上げる。その目は疲れきり、怯え、途方に暮れてはいたが、澄んだきらめきを放っていた。病にかかって捨てられたわけでもなさそうだ。外傷もない。
 旅人は困惑した。人目を避け、この時間を選んで街道を通った。人が通りはじめるにはあと半時はあろう。町へ続く道を見ても来た道を振り返っても、人影はない。この季節の昼日中だ。誰もが屋根の下で食事と休息をとっている。旅人は少年の締め具を厚刃のナイフで切り裂くと、痩せ細った身体を日除けのマントに包んだ。旅人の腰に差された剣を見て、少年は身をすくめる。
「恐れることはない」
 旅人は剣の柄に施された封印を少年に見せた。旅人はその昔騎士であった。今は主を持たぬただの剣士である。少年は剣と旅人を見比べると、おずおずと身体の力を抜いた。
 馬に揺られながら、旅人は困りきっていた。少年は慣れぬ馬上を怖がって、しっかりと旅人の胴に腕を巻きつけている。少年をどうすべきか、何度検討してもよい考えは浮かばなかった。町まで連れてゆき、金を渡して別れてもいい。あるいは港まで同行して故郷へ帰る船に乗る手配をしてやってもよかった。しかし少年が奴隷の身であることは一目瞭然だ。主を持たない奴隷は畜生と同じ扱いを受ける。

 答えの出ぬうちに陽が暮れた。旅人は街道を外れ舗装されていない小道をしばらく進み、見晴らしのいい平地に棕櫚の巨木があるのを見つけた。木の下を寝所に定めると火を炊き豆を煮て、乾した肉とともに夕食にする。馬の陰に隠れるように立ちつくしている少年を呼び寄せ食事をとらせた。少年が着ているのは、旅人の短衣である。裾が膝のあたりまで届いている。この季節ならこの姿でも風邪をひくことはない。食事の後、身体を湯で拭き清めてやった。落ちついて見ると、少年はまだほんの子どもだった。大きな目に、かわいらしい顔立ちをしている。
 予備の毛布で寝袋を作り少年に与えると、旅人も自分の寝袋の中に入りこんだ。火の番をしながら身体を休めていると、少年が寝袋から抜け出してきてそばに座りこむ。おずおずと、旅人の寝袋を指さした。場所を空けてやると滑りこんでくる。少年の肌はあたたかく、子ども特有の陶器のようななめらかさがある。懐かしい人肌の感触に、旅人はわずかに動揺した。
 少年は旅人の服をくつろげ、小さな手で懸命に愛撫を施しはじめた。
「そんな必要はない」
 年端もいかぬ子どもに欲情する趣味はない。なかったはずなのだが、旅人は永く忘れていた肌のぬくもりと吐息、鼓動の確かさに魅了され、目眩に似た感覚を味わった。人と肌をふれあわせることなど、何カ月、ともすれば何年ぶりのことだ。欲求に抗いきれず、少年を腕に抱きくちづける。少年は驚いて目を丸くした。奴隷の身体を使う人間は大勢いるが、くちづけをする者はいないのだろう。もう一度、そのふっくらした唇を啄んだ。
 少年の舌は先端が切除されている。よく行われることだ。奴隷に言葉はいらない。柔らかい髪をかき乱しながら、何度もくちづけする。額や頬、顎や喉にも唇を這わせた。少年は狂ったように身もだえし、旅人の脚に下半身を押しつけてくる。少年は短衣の下には何も身につけていなかった。まだ幼い性器に指を絡めて刺激してやると、少年は苦しげに身を捩った。
「くぅ……」
 少年は苦痛に耐えるように身を固くしている。性器に特殊な締め具をつけられた跡があるのに気づいた。奴隷の所有者には、欲望を解放できずにできずに苦しむ姿を見て悦に入る人間もいるという。少年の身体にはいたるところに禍々しく淫靡な器具を使用された痕跡がある。少年の所有者は嗜虐者であったようだ。
「もういいんだ」
 泣きながら欲望に耐える少年の耳元にささやいた。少年は信じられないように目を見張り、震えながら弾けた。夜気に青い精のにおいが満ちる。いっそう激しく泣きじゃくる少年をなだめるため、旅人は愛撫の手をとめ少年の背中をさすってやった。
 涙がとまると、少年は深く抉れた傷のある旅人の胸にくちづけした。少年が産まれるよりも昔についた傷だった。小さな手が腹を這い、下履きの帯を解く。少年の髪が旅人の下腹をくすぐった。少年の口では、すべてを含むことはできない。懸命に舌を這わせ、唇で甘噛する。
「よい子だ。かわいい子だね」
 少年の髪を撫でながらささやいた。少年が目を上げる。潤んだ瞳がまた泣きだしそうに揺らいでいる。目のふちが赤く染まっていた。顔を伏せると、さらに熱心に奉仕した。
 旅人の吐精を少年は喉を鳴らして飲み干し、飛沫を丁寧に舌で清めてくれた。少年は旅人を求めるようなしぐさをした。しかし少年の身体は細く、その腰つきはまだ子どものものだった。ためらっていると、少年がみずから導いた。先端を含むまでは、苦痛に近い表情を浮かべていた。しかし少年の肉は旅人を絡めとり、深く飲み込もうと蠢動する。かすかな喘ぎ声を上げはじめた。あやすように細い身体を揺すりながら、徐々に奥深くへと沈めてゆく。
「は……」
 喘ぐ少年の口の中で、無残な傷痕を残す舌が踊った。唇を合わせると、少年は必死に舌を絡めてくる。旅人に縋りつき、声のない嬌声を上げ、涙を流した。旅人も少年をしっかりと抱きとめると、その楔を幼い身体を穿ったまま果てた。

 胸の中で穏やかな寝息を立てる少年の、額に乱れかかった髪を払ってやる。旅人は心地よい疲労と充足感を感じていた。東の果ての小国から、かれこれ五年の旅路である。生まれ育った国だった。先の大戦で国はその名を地上から消し、無数の騎士が剣士になり、あらたな主を求めて散っていった。旅人もその一人であった。しかし五年の間に、旅人の中にあった何かが変わった。あるいは変わったのではなく死に絶えたのかもしれない。静かに朽ち果てる場所をさがすため、旅人は旅を続けていた。今日までは。
 明日の昼には町に着く。少年に何か着る物を買ってやらねばならない。靴と、日除けのマントも。少年が身じろぎして、いっそう旅人に寄り添った。夢を見ているようだ。唇が、何事か呟くように動く。旅人はかすかに微笑み、安らいだ気持ちのまま眠りについた。

 

 

 

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*「旅人」覚書*
2000/04/29〜2000/04/30
2000/04/30 サイト“BOY'S LOVE”に投稿
2001/01/14 “Phosphorescence”UP