ホワイト 〜続・スイッチ
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 真っ白なロングコートを着たルウは、大通りを彩るイルミネーションの中、軽やかな足取りとあいまって雪の精のように見えた。
「とてもおいしかった。ありがとう、イオ」
 柔らかい微笑みは、大学で見るのとは違う。
 追試の夜からひと月経っていたが、正式なデートをするのは今日が初めてだった。いつもは大学のカフェで話をして、ザイ教授の研究室まで送る。笑顔を交わし、室に誰もいなければキスをしてから別れる。
 だが今日は違う。よれよれの白衣の代わりにおろしたてのシャツと取って置きのカシミアのコートを着て、ザイ教授の家までルウを迎えに行った。俺は車を持っていないので、バスと地下鉄で移動する。昼食は公園でファーストフードを、夜は奮発してレストランを予約した。甘やかなキャンドルの明かりの中で見つめ合っていると、この世に二人きりになった気がする。
 レストランを出ると外はすっかり夜の景色になっていた。眩しいほどのクリスマスイルミネーションの中を並んで歩く。
 貧乏学生には痛い出費だったが、あのレストランに決めてよかった。本を買うために貯めていた金を使ってしまったが、後悔はしていない。すてきな晩だ。普段は派手だとしか思わないイルミネーションも、二人でいると幻想的に見えるから不思議だ。食事は最高だったし、ルウは素晴らしくきれいだ。
「これから、どうするんですか」
 ルウはすこしはにかんだ様子で、そっとささやいた。
 食事の後は静かな場所で軽くアルコール、が「大人のデート」の定石だ。しかしルウは酒を扱う店には入れない。実際は俺よりずっと長く生きているが、外見は十四、五の子どもなのだから。
 目が合うと、ルウはすべてお見通しのように微笑んだ。
「パスを持っていますから、お酒を出す店にも入れます」
 政府が発行している、アンドロイド証明のパスだ。未成年に見える個体が夜の街で職務質問を受けた時や、空港での検査時に提示する。当然のように、それを逆手に取った偽造パスも出回っていた。
「イオがどこへ連れていってくれてもいいように、用意しておきました」
 大通りにはタクシーも多いし、地下鉄の駅も近かった。どこへでも行ける。二人で。そう思うと、自然に顔が緩む。
 ビルの上、定時以外は企業CMを流している巨大モニターが、夜のニュースに切り替わる。隙のない、だが幾分濃いメイクをした女性キャスターが、淡々とニュースを読み上げる。税金に関する新しい法案が可決されたことを伝えた後、話題は事件に移った。
「先日お伝えした女性の殺人事件ですが、検視解剖の結果、殺害された女性がアンドロイドであることが確認されました。これで逮捕拘留されていた容疑者の罪状が、強盗殺人から器物破損へと変わります。また、破損されたアンドロイドの所有者が判明しておりませんので、不起訴処分もありえます」
 人間にそっくりの内骨格アンドロイドは、あまりにも急速に社会に進出した。権利を守る法律の制定が追いついていないのが現状だった。
 モニターから目を逸らす。ショーウインドーの中で、昔ながらの外骨格アンドロイドが、クリスマスソングを歌っていた。どんなに精巧なアンドロイドが造られるようになっても、安価で愛嬌のある外骨格タイプは人気がある。
 ニュースが終わり天気予報になってもモニターを見上げたままのルウの表情からは、感情を読み取ることはできなかった。
「冷えてきたし、とりあえず……カフェにでも入ろう」
「はい」
 先に歩きだすと、ルウは思いきったように言った。
「あの……イオ、研究に必要な本を買うためのお金を、僕のために使ったりしないでください」
 俺は驚いて、ルウに向き直る。どうして知ってるんだ? ルウは困ったように顔を赤くして、もじもじとしている。
「出過ぎたことを言ってすみません。でも、僕はイオの負担になりたくない」語尾が頼りなく消えて、ルウはますます小さくなった。
 アシオスだろうと見当をつけた。余計なこと言いやがって。
「ごめんなさい、ほんとうに。僕はイオと二人でお話できるだけでうれしいから」
 蕩けてしまいそうなことを、ルウは生真面目な口調で言う。
「あんな素敵なレストランでイオと食事ができてしあわせです。ずっと忘れません」
「……俺も忘れない」
 ルウの手を握る。陶器のようになめらかでひんやりとしている。ルウは手袋をしていなかった。細い指が、おずおずと俺の指に絡まる。
「あら、ルウじゃない。どうしたの、こんなところで」
 突然声をかけられて、俺たちは揃って振り返った。ルウの顔に晴れやかな笑みが咲く。
「ナンシー」
「やっぱりルウだわ」
 そこにいたのは、ブロンドに赤いコートが華やかに映える女性だった。
「ルウだと?」
 彼女の声に血相を変えて走り寄ってきたのは、ダークブラウンのコートを着た長身の男だ。
「ルウ!」
「ギル。ああ、こんなところで会えるなんて、お久しぶりです」
 男――ギルはルウを振り回さんばかりに熱烈に抱きしめた。ギルに抱かれて、ルウの姿はすっかり隠れてしまう。
「どうして。クリスマスは帰れないとおっしゃっていたでしょう」
「休みを取ったんだ」もう一度つよく抱きしめてから、ルウを解放した。「クリスマスに仕事なんてしてたら、離婚されちまう」
 ギルがナンシーを見ると、彼女は微笑んで、ルウを抱きしめた。
「半年ぶりかしら」
「ええ、ナンシー」
「親父は」とギル。
「教授はご自宅です」
 ギルの目が、訝しげに俺を見る。だが俺ではなくルウに向かって話す。
「君は……彼と」
「はい。イオと食事をしに来ました」
 ルウは俺とギルの間に立つと、互いを紹介した。
「ギルバート・ブライン・ザイ。ザイ教授のご子息です。ギル、彼は教授のゼミでナノマシンの研究をしているイオ・ザナ・カクトです」
 俺たちは握手を交わした。ギルは長身で、それに見合った恰幅のいい男だ。銅色がかった金髪を丁寧に撫でつけている。齢は三十代半ばといったところか。弁護士だという。
「ギルに読み書きを教えたのは僕なんですよ」
 ルウはちょっと誇らしげに言った。
「初めて会ったときのギルは、とても小さくてかわいかった」
「今は君のほうが小さい。ルウ」
 白いコートに包まれた肩に、ギルは手を置いた。そのまま抱きかかえて連れて帰りたいと思っているのが、ひしひしと伝わってくる。
 ギルはわずかに険のある目で俺を一瞥した。
「食事は済んだんだろう。一緒に帰ろう」
 君もどうだい? 一緒に。ギルが俺を見る。
「いいえ、ギル」
 答えたのはルウだった。ギルのこめかみがわずかにひきつる。
「飲みにでもいくのか」
「さあ」
「酒場に君みたいな子がいれば、一目でアンドロイドだとわかる」
 アンドロイドと言うとき、ギルは声をひそめた。
「最近はアンドロイドを狙った物騒な事件が多い」
「イオがいますから、心配ありません」
 ギルは大いに心配らしかったが、反論はしなかった。ルウは穏やかに微笑むと、ギルの腕にふれた。
「心配してくれてありがとう、ギル。明日は家にいます。ギルもナンシーも、クリスマスまではいられるんでしょう」
「ああ、しかし」
「あなた、さあ行きましょう。お義父様が待ちくたびれてらっしゃるわ」
 ナンシーが渋るギルを急き立てる。振り返ると、ルウと俺にウインクした。
 うれしかった。ギルが「帰ろう」と言ったとき、身内が冷たくなるのを感じた。だから、ルウが首を振ってくれて、胸が震えた。
「すこし歩こうか」
「はい」
 手を握ると、ルウは恥じらうようにうつむいた。
 寄り添って、顔を寄せた。ルウが目を閉じる。かわいい唇に、俺はこの夜最初のキスをした。

 

 

 

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*「ホワイト」覚書*
2002/07/08
〜2004/06/11
2004/06/14 “Phosphorescence”UP