酔狂 (よいぐるい)
(C)森田しほ 2004 All rights reserved

** もどる


 

 結婚する。
 芹沢の言葉を聞いて、一瞬、周囲の喧噪が消えた。静寂の中で、俺は自分の内部で何かが焼き切れる音を聞いた。
 口々に祝いを言う友人たちからの杯を受けて、芹沢は上機嫌だ。すでに足元もおぼつかない状態だというのに。
「おい、新郎を急性アルコール中毒にする気か」
「大丈夫だぁいじょうぶ」
 俺の肩に顎を乗せた芹沢が、陽気な声を上げる。呂律が回っていない。芹沢は元々酒には弱い。それなのに、調子に乗ってすぐに限度を越えてしまう。
「広尾はさぁ、ちゃんと飲んでる?」
「飲んでるよ。飲み過ぎてないだけだ」
「まぁた。広尾は理屈っぽいことばっか言うんだから」
 酒好きの多い仲間内で、いつも最後まで理性を保っているのは俺だけだった。だから一番先に酔い潰れる芹沢をマンションまで送り届けるのも、当然のように俺の役割だった。
「あのさぁ、広尾さぁ」
「なんだ」
「披露宴でスピーチしてな」
「……ああ」
「約束な」
 俺がもう一度首肯くと、芹沢は目尻を下げてえへへと笑い、またうとうとし始めた。
 タクシーに乗り込み行き先を告げる頃には、芹沢は鼾をかいていた。カーブのたびにゆらゆらと揺れる芹沢の肩を抱いて引き寄せる。頭ががくりと傾いで、俺の胸にもたれた。そっと、指先で頬を撫でる。
 結婚――そうだ、こいつはいつも独りでいるのを嫌った。芹沢は学生時代から常に誰かとつきあっていて、別れるとまるで急かされでもしているようにすぐに新しい彼女を作った。当然のように結婚願望もつよかった。気持ちのいいこと楽しいことに弱く、面倒なことやつらいことを嫌う。その性格は三十近くなっても変わらない。人当たりが良くて友達は多いが、気まずくなるとすぐに引いてしまうので、親友と呼べるほど深い交友のある人間はいない。
 芹沢はワンルームマンションに独り住まいだ。結婚後は室は引き払うことになるのだろう。タクシーを降り、深く寝入っている芹沢を担ぐ。室は一階なので、さして苦労はない。
 明かりを点けなくても、どこに何があるのか知っている。芹沢をベッドに横たえると、泥人形のように重く頼りない身体を右に左に転がして、服を脱がせていく。芹沢はボクサーパンツを着けていた。トランクス派だったのに。婚約者の趣味なのかと、青いボクサーパンツを脚から抜きながら考えた。全裸になっても、芹沢が覚醒する様子はない。酒精の赤く染まった肌が、窓から漏れ込むかすかな月光に淡く浮かび上がる。
 サイドテーブルに写真立てがある。月明かりが反射して、飾られた写真は見えない。フレーム部分だけが金色に光っている。きっと婚約者が写っているのだろう。俺には興味はない。芹沢がつきあう女に一度も興味を持ったことはなかったし、嫉妬に身を焼くようなこともなかった。俺の心には燃え上がるようなものなど何もない。ただじりじりと身を焼きながら、燻り続けるだけだ。
 上着を脱ぐと、前立てだけを寛げた。彼と肌を合わせるつもりはなかった。上体を屈めて、上気した頬を掌で包む。首筋から胸へとずらしていく。幾分濃い色の乳首は指先で摘まむとすぐに固くなり、軽く爪を立てると芹沢はかすかに息を乱した。唇をつけ、舌で愛撫する。
「ん……や」
 芹沢が闇雲に腕を振り上げる。力の入らない腕を難無く避けて、さらにつよく吸う。脇腹を撫で、刺激を求めてひくついているペニスを握る。俺の手の中で、芹沢のペニスは苦しいように蠢いた。
「は――」
 芹沢の唇から漏れるのは、意味を成さない声だけだ。熱を孕み汗ばんだ肌は、しっとりと手に馴染む。
「だ……れ」
 続いて発せられたのは、女の名前だった。芹沢の指先が、俺の肩にふれる。自分を弄ぶ相手の正体を探ろうと伸ばした腕を、俺は邪険に振り払った。ついでに芹沢の身体をうつ伏せにして押さえ付け、腰を抱え上げる。芹沢自身の先走りで湿らせただけの場所をひと息に貫いた。芹沢は叫び声を上げたが、顔をシーツに押し付けられているのでくぐもった声しか聞こえてこない。
「……くぅ」
 容赦のない動きに揺さぶられて、芹沢の口からはひっきりなしに呻き声が漏れる。手を回し、ショックに萎えかけた芹沢を握る。刺激してやると呆気なく勢いを取り戻した。
 芹沢の声に徐々に甘い響きが混じりだすのを、俺は聞き逃さなかった。
「ふっ……ん」
 動きを緩めると、芹沢の腰が追うように揺れた。そのまま離れるとすすり泣くように喉の奥が鳴る。
 大丈夫。まだ終わりじゃない。
 俺の唇に禍々しい笑みが浮かぶ。
 結婚祝いだ。
 これまで味わったことのないような、これからも味わうことのないような悦楽を与えてやるよ。
 深い刻印を。
 肩を掴んで仰向けに転がす。芹沢はされるままだ。内腿に手をかけて、膝が胸につくほど大きく開きながら持ち上げる。滑稽な、だが淫らな形を取らせた。ゆっくりと乗りかかる。充分に濡らされ解された場所は、難無く俺の侵入を許す。まるで誘うように時折蠢動しながら、俺を飲み込んでいく。
「は……」
 異物感に芹沢が喘ぐ。焦らすように浅く突き上げながら、反応を楽しんだ。芹沢の手が、身体を支える俺の手首を掴む。熱い手だ。俺を受け入れている場所よりも、そこから伝わる熱のほうが俺を高ぶらせた。
 キスを。
 身体を倒すと、いっそう深く芹沢の内部に侵入する。芹沢の身体が大きく震えた。それは歓喜の反応だった。
 酒臭い吐息。乾いた唇。歯。その奥の、熱く濡れた舌。
 首筋から、体温であたたまったコロンが匂い立つ。
 ああ。
 臆病な芹沢。独りでは寂しくてたまらないのに、他人に心を開くことを恐れている。心から他人を受け入れることもできない。上っ面だけの愛想と人懐こさ。本当は人見知りするくせに。
 そんなおまえが好きだよ。だからおまえが安心できる距離をいつも保っていた。おまえが逃げてしまわないように。
 狂ったように責め立てながら、同時に口内も犯す。口蓋を舐め上げると、芹沢の腰が妖しく震えた。二人の腹に挟まれた芹沢のペニスが、熱を増すのを感じた。
「う……ふぅ」
 腰がねだるように揺れる。乾いた唇が、快楽を求める淫猥な言葉を形作る。
「あぁ――あ」
 俺は射精の快感に身体を震わせた。芹沢の体内にすべてを注ぎ込む。
 芹沢も自らの腹と俺のシャツを汚していた。びくびくと痙攣している。その刺激が、俺をさらに煽る。
 抱きしめて、離れる。芹沢の手が俺の肩にかかる。しかし指先が肌を滑っただけだった。
 芹沢の唇が、わななくように動いた。
「広尾……なのか」
 かすれたささやき。
「――どうして」
 突き放すように芹沢から離れた。
 違うよ。俺は広尾じゃない。
 今この暗闇の中で、俺は誰でもない。
 俺は暗闇そのものだ。
 それが心地よく、また虚しかった。
 乱れたシーツの上に投げ出された人形のように横たわる身体を、無感動に見下ろす。腹と腿が、二人分の精液で汚れていた。閉じたまぶたが、時折痙攣する。呼吸がまだ乱れている。
 蹂躙され放心したままの芹沢を置いて立ち上がる。
 暗闇である俺は周囲の暗闇に溶け芹沢の部屋を後にした。

 以来彼とは会っていない。

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

*「酔狂」覚書*
2004/03/11〜
〜2004/06/11
2004/06/14 “Phosphorescence”UP
2004/06/14 検索エンジン「カオスパラダイス」に「同性の恋愛♂×♂(成人向け)」で 登録