呼んで
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「秀一……ああ、秀一、秀一」
 司さんの声が切迫してくる。狂ったように身もだえながら、俺にしがみつく。深く繋がったまま司さんの身体を抱きとめる。
「ふ……あ、う……秀一」
 熱い耳朶や顎から首すじにかけてのなめらかな肌に舌を這わせると、司さんはぞくっとするような艶っぽい声を上げる。
 司さんの手が、大切なものにふれるように俺の頬を包む。潤んだ目でキスをねだる。
「秀一、秀……」
 唇で言葉を封じた。堪えきれない熱が、司さんの奥で弾ける。その瞬間は苦痛に似ている。

 痺れるような余韻を感じながら、司さんの寝顔を見ているときが一番幸せだ。このままずっと、眠っていてくれればいいのに。
「ごめんね、洋二くん」
 目が覚めると司さんは困ったような顔をしていつもそう言った。抱かれている間は、司さんは決して俺の名前を呼ばない。
「……俺も楽しんだから、司さんが謝ることないです」
 ぼそぼそとそんなことを言う。これもいつものこと。交替でシャワーを使って、司さんの車で家まで送ってもらう。月に一二度、司さんとこんな時間を過ごす。

 最初に司さんを抱いたのは、兄の披露宴の晩だった。
 八つ違いの兄は俺が小学生のときに隣県の大学に進学した。卒業後は実家に戻ってきたものの、生活時間のズレから顔を合せることすら稀だった。とくに不仲なわけではないが、希薄な関係であることは間違いない。司さんと兄は大学時代からの友人で、俺が司さんに初めて会ったのは四年前、十四のときだった。
「秀一に似てるね」
 そう言ってはにかむように目を細めて笑った司さんの顔、唇から覗いた白い歯も、今でも鮮明に覚えている。一人っ子の司さんは、俺をとてもかわいがってくれた。
 披露宴会場になったホテルのロビーで兄夫婦を見送ったあと、ドライブしないかと誘われた。司さんの車で海沿いの道を走った。俺はすこし酔っていた。めでたい席であることと、前日の面談で第一志望の大学が安全圏内であることを教師に告げられたことから、父も母も飲酒ていどのことには寛大になっていた。車窓から流れこんでくる冷たい風が、火照った頬に心地よい。すでに陽は暮れている。俺は対向車のライトに浮かぶ司さんの横顔ばかり見ていた。
 軽く食事をして、またグラスを重ねた。司さんは咎めなかった。いつも頑ななほど生真面目な人なのに。車であるにもかかわらず、自分も軽いカクテルを注文した。淡い期待を感じて、俺は密かに胸を高鳴らせた。
 気がつくと部屋の中だった。酔い覚ましをしようと話したのだけとはかろうじて覚えているが、その後の記憶がない。目の奥が痛くなるような明るい、見慣れない部屋。ベッドの上だった。大の字に寝ている俺の足の間に司さんが顔を伏せている。くつろげられた前立てからいきり立っている俺のものに、舌を這わせていた。時おり見る夢の続きかと思ったが、生々しい感触は現実のものだった。突き上げるような快感が、背骨にそって何度も走り抜ける。
「司さん……」
 声が喉に絡んだ。顔を上げた司さんは、泣きそうな目をしている。唇に、俺の放ったものがついていた。
「ごめん……ごめんね」
 司さんが重なってくる。思っていたより軽い。司さんは背が高いわりに身体つきは細くて、身長ではわずかにかなわないが体重は俺のほうがある。
 ぴったりと身体を重ねたまま、司さんの手が俺のものをやんわりと握りこむ。司さんの指はピアニストみたいに細くて長い。その指が、濡れた俺をゆっくりと扱き上げる。
「秀一」
 絞り出すような呟きが、俺の耳をくすぐった。乱れた前髪から覗く目がひどく怯えているようで、それが奇妙にあどけなく見える。
「秀一」
 俺は夢中で司さんをかき抱くと、位置を逆転させた。司さんの上に覆いかぶさる。深くくちづけしながら、あわただしく体中に手を這わせた。
 強引に奥まで貫くと、司さんは一瞬息をつめる。苦痛に身を震わせながら、それでも俺の性急な動きを受け入れた。もっと、とねだって腰が揺れる。
「ああ……、秀一……」
 秀一、そう呼ばれながら司さんを抱いた。

「大学、もう慣れた?」
「……はあ」
 司さんはもともと無口な人だから、俺が気のない返事をすると会話が続かない。俺は夕暮れの海を眺めていた。それでも司さんの髪が車窓から流れ込む風に揺れるようすまで、手に取るようにわかる。
「ごめんね」
 ため息のような呟き。司さんは俺とのことに罪悪感を感じている。後ろめたいのならやめればいいし、続けるのなら割り切ればいい。弱くてずるい司さん。けれど司さんが謝ることはない。俺だって司さんの気持ちを利用しているのだから。
「……シャワーを」
 部屋に入ったとたんに抱きしめると、司さんはそう言って俺の腕から逃げようとした。そのままベッドに押し倒す。司さんはもう抗わない。熱っぽい目で俺を見上げて、自分から服を脱いだ。俺の頬にキスをする。俺も司さんの手を取って、指先にキスをした。司さんは恋人同士がするようなことをすると喜ぶ。指を絡めたり、ふれるだけのキスをしたり。俺は司さんに言葉以外のすべてを与えた。司さんは俺に心以外のすべてを与えてくれる。
「ふ……あ」
 掠れた喘ぎ声は、まるで異国の歌のようだ。
「秀一……」
 司さんの肌はすぐに熱くなり、薄く汗がのりはじめた。香水の匂いがつよくなる。うっとりとしたささやきを遠くに聞きながら、いつもより激しく司さんを貪った。

 安らかな表情で眠る司さんは、疲れていたのだろう、いつもより呼吸が深い。そっと身体を起こして、耳元に唇を寄せた。
「司さん」
 起きる気配はない。
「司さん」
 もう一度呼んだ。司さんが眠っている間だけ、俺は俺に戻る。薄く開いた司さんの唇が、甘い声で俺を呼ぶのを想像した。司さんが目を覚ますまで、哀しい顔をしてごめんね洋二くんとささやくまでは、俺は司さんの恋人でいられる。

 

 

 

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*「呼んで」覚書*
2000/05/16〜2000/07/23
2000/07/24 サイト“BOY'S LOVE”に投稿
改訂
2001/01/14 “Phosphorescence”UP