辺りは一面赤で、黄色で、黒い。ここが自分の世界かと思うと納得するようで不満なようで、別段どうでもいい。どうだっていいのだ。どうせ全部一緒になる。直にこっちもあっちも混ざってみんな一緒になるのだ。
なら、自分の世界なんてどうだっていいだろう。
足立はふんと鼻を鳴らすと口元を歪めた。―――――あのガキども、と回想する。ガキらしく安っぽい幼稚な正義感に満ち溢れて、この世界を助けるだって。まったくもって無駄なことをする。残された時間、できることなんてたくさんある。
限りある時間なんだから有意義に過ごせばいいのに。終わりは回避しようがない。終わる。全部終わる。
どっちにしたって、だ。
足立があの正義の味方ごっこをしている子供たちを消そうが、子供たちが足立を消そうが、終わる。足立にとっては同じことで変わりはない。
全部がウザい。
「……それにしたって遅いなあ」
小さくつぶやいた。タイムリミットがあると確か告げたはずなのに一体何をぐずぐずやっているのか。血相を変えどうにか世界を救おうとして必死に駆けずり回っているのかと考えると、少し面白かった。ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、だからすぐに消えてしまって世界に溶ける。淡く。熱いコーヒーに入れた砂糖やミルクのように世界に溶けて。
……コーヒー、と考えて足立は眉を動かす。辺りに、隅に、一面に、蠢くもの。
崩れるよう座り込みだらしなく両足を開き、投げ出した足立の視界の端でそれらが集まり、寄り固まり、固体から靄へ、靄から固体になっていく。
のたくっていたそれはしばらくしてとあるものの形になった。見覚えのあるシルエット。あの日、病院で足立の名を呼んだのを最後に、もう会えないだろうと思っていた人物の姿が足立の前に現われた。
堂島、遼太郎。
最後に見た病院着ではなく、いつものスーツ姿。怪我で負ったダメージの影響も見せず足立の元へ歩み寄ってくる。ゆっくり、ゆっくりとだ。
じれったいほどゆっくりと。
足立は歩んでくる堂島を見た。やや身を起こすが自堕落な態度は直さない。
かつての。堂島の部下であり、相棒であった“足立透”がいつでもしていた格好のように乱れた態度のままで堂島を待つ。言葉を発さず。堂島もまた言葉を発さず。
カサコソと蠢いていたものたちの音もしない。無音だけが支配する。
やがて、靴音が鳴った。無音を断ち切った。
足立の元に辿りついた堂島は、じっと足立を見下ろしてくる。足立もまた、じっと堂島を見上げた。周囲を包囲する危険信号が山と書かれたテープのように絡まりあう視線。
先に動いたのは足立だった。
堂島の足元へと手をつき身を寄せる。緩んだネクタイが揺れる。次いで堂島も動いた。足立の頭に手を乗せ、癖のある髪を撫でる。かき回す。頭頂部、側頭部、後頭部の丸まりを包み込むように撫で、うなじの出張った骨をきっかけに離した手は再び前へと戻った。
露出した額、短い前髪を共に撫で上げてくしゃりと掴み、離す。
おかしな癖のついた髪に、だがしかし足立は何も言わない。堂島の動向だけを見る。
―――――口元に差し出された手に、指に足立は舌を伸ばした。
無骨な指。いかにも堂島らしいその指を足立は舌先で舐め上げる。第二関節。第一関節。爪。れ、といったん離した舌先が糸を引くのを見て、それが切れるのを見て、足立が身を乗り出す。
舐めしゃぶられる手とは別の、もう一方の手で堂島は足立の頭、髪をかき回す。されるがままにされながら、足立は今度は口内にまで含んでしまった指を転がしていた。
苦い、煙草の味がする。
長年親しむうちに染みついてしまっただろう煙草の味。
舌全体、粘膜を擦りつけるように足立は堂島の指を舐めしゃぶる。余ってはみだした部分は唇でくわえてやわやわと食んだ。
かき回される髪のかすかな音。
舐め回される指のかすかな音。
足立はさらに身を乗り出し、指を奥深く含む。えづくほど、喉の奥に当たることも気にしない。体重をかけられたスラックスの膝部分が皺になる。ボタンを止めない上着がはさ、と蝶のはばたきに似た音を立てた。
いっそ陶酔して、献身的に行為を続ける足立に堂島が初めて口を動かした。

「―――――足立」
その言葉に足立は動きを止めた。また手を止めた堂島を見上げ、口内から指を抜き出す。涎に濡れた唇でささやいた。
「堂島さん」
呼んだ声。
それをきっかけにしたかのように足立の元から赤と黒が交互になったなにかが一気に流れ出す。洪水のごとく堂島の足を浸してそれすら通り越し、一面に広がっていく中、憎悪に満ちた声で足立が叫んだ。
行為を続けていた最中の耽溺していた顔はいびつに歪み、目は赤と金の混濁に光る。
「おまえなんか、堂島さんじゃない―――――!」

瞬間、堂島の姿は両断されひといきに黒い靄となって辺りに散った。その中、がくりと両肘をつきまるで祈る者のように伏せて荒く息をつきながら足立は歪んだ顔のまま悪態を吐く。
「くっそ……くだらねえ……」
悪態と共に口に溜まった唾液を吐き捨てる。煙草の味の唾液と共に。
もう、あの煙草の匂いもコーヒーも、姿もなにもかも消える。あれが最後で最期。どちらにしたって二度と。
足立透は、堂島遼太郎には会えはしないのだ。



―――――のひとじゃない



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