「……何やってんだ足立」
「あ、どーじまさん」
間延びした声で名前を呼んでへらっと笑う。思わず苦みばしった顔をしてしまって、それに似合う声を出した。
「何やってんだって聞いてんだ、笑ってないで答えろ」
「いや、ちょっと誘惑されちゃって。すごいですね、堂島さん家、猫屋敷じゃないですか」
「すぐ戻ってくるからおとなしく車の中にいろって言っただろうが!」
仕事中、少し用事があったのを思い出し車を回して立ち寄った我が家。車内に残った部下にすぐ戻る、と告げ本当にすぐ戻ってきたはずなのにまるで手品師の奇跡の脱出ショーが行われたかのように車内は空っぽだった。
そうしてほのほのと猫とたわむれる部下。
堂島は唸り声を上げこめかみを掻き、茶虎の猫をかまっている部下、足立透につぶやく。
「……そういやおまえ、ジュネスで手品セットやら買ってたんだってな」
「え、なんでそれ知ってるんですか?」
「基から聞いた」
へえーだなんて呑気な返答に諦めてしまった。好きにしろとポケットを探る。
足立の猫遊びはしばらく終わりそうにない。ならばその間、煙草でも吸っていよう。幸い今日はスケジュールに余裕がある。これが急ぎだったら普段通りに頭を小突いて(と、表現すると足立は「小突くってレベルですか!?」と情けない声を上げる)引っ立て車内に押し込めるところだが。
気の済むまでやればいい。
「それにしてもあっちにもこっちにも猫だらけだなあ。その煙草みたいにいつもマタタビでも焚いて……るわけないですよね」
冗談ですから殴らないでくださいと眉を下げるのにも猫は離さない。堂島はため息と共に紫煙を吐き出す。
「そんな見境なくポカスカ殴らないから安心しろ。それも基だ。どうも河原の猫に餌をやってたらなんだ、日ごとに増えてきて」
「……彼、不思議な子ですねえ。なんで飼ってるわけでもない猫に餌やるんですか? まさか恩返し目的とか」
「馬鹿、鶴じゃないんだぞ。そもそも昔話と現実を一緒にするな」
「ええー、ありますよきっとそういう不思議な話って。僕は信じたいな、いいじゃないですか、楽しそうで」
「……楽しそうなのは今のおまえだ」
そんなに猫が好きだったか?と聞けばきょとんと目を丸くしてからまあ、それなりに。とどこか的の外れた返答をする。
「それなりに、ってなんだそりゃ」
「それなりにはそれなりにですよ。動物とか、自分じゃ飼えないけどたまには構ってみたいなってそんな感じです。堂島さんはないですか? そういうの」
「別に俺はな……」
「ほら、どうですか? かわいいですよ結構」
抱いた猫は離さず別の猫を捕まえ、足立は堂島に差し出してくる。ゆるい笑顔と黒目がちな猫。
堂島は気が抜けたというかのように猫を避け紫煙を吐き出し、
「いや、俺はいい」
「はあ。……猫より犬が好きとかですか?」
「だからそういう話じゃないって言って」
「そうですよねえ、そういえば堂島さんってそんな感じがしますよ、あはは」
犬派って感じですよと足立は言う。猫が寄ってきたので携帯用灰皿を使い半分も吸わない煙草を捻り潰して消すと、堂島はああ、ああと投げやりに返した。
「だろうな。いつも連れ回してるのも考えてみりゃ犬だ」
「はい? ……あの、堂島さん」
「なんだ」
「それ、もしかして僕のことですか」
「なんだ足立、おまえにしては頭の回転がいいじゃないか」
「僕にしてはってなんですか!」
素っ頓狂な声に堂島は刹那、沈黙する。それから破顔一笑して車体に寄りかかり、猫を抱き、怒りながら情けない顔の足立へと。
「猫背なのに犬ってのも変な話だが、事実なんだから仕方ないな。そうか、おまえが飯を食ったりなんだりで喜んでたり俺の後を必死についてきたりするのを見てるときに何かを思い出すと思ってたら、そうか、犬だったのか」
くつくつ肩を揺らす堂島は視線を感じ、足立を見る。すると道に座り込んで猫を抱え、上司に笑われ、けれど言い返せず眉を下げて情けなく。
その身に犬耳と尾が見え堂島はたまらずに、
「ちょ、も、どうじまさあああん!」
笑いを止められなくなってしまった堂島は切実な鳴きご―――――叫びを聞いて喉を鳴らす。
身近な人物しか知らないことだが、実は堂島にはおかしな笑いのツボがある。そこにヒットしてしまうとこうしてしばらく発作のようにだ、止まらないわけだ。
しばらく笑い続け、ようやっと治まりかけた頃になり足立を見てみればまだ猫を抱えて唇を尖らせ目を逸らし、拗ねた顔をしていた。
飼い主に意地悪をされて途方に暮れた犬のように。
「ひどいですよ堂島さん……」
「悪かった、悪かったからそんな顔するな」
発作の名残りに肩を揺らし、堂島は車体から身を離した。見上げてくる足立に向かい、何気なく。
「おまえみたいな犬なら、傍にいれば楽しいだろうな」
「は……い?」
「本物は飼ったことがないからよくわからんが、おまえみたいな犬となら上手くやっていけるんじゃないか?」
「ないか? って僕に聞かれても……ですね、でも、あの、…………っと」
「なんなら俺に飼われてみるか、足立?」
「!」

足立の目が限界まで大きく見開かれる。堂島は訝しげにその名を呼んだ。
「足立?」
「あ、いえ、なんでもないです。なんでもないですなんでもないです全然」
すっくと立ち上がる。猫がなあん、と鳴いてその腕と膝から滑り降りた。
「い、行きましょう! 仕事! 休憩、おしまい! はい、早く乗っちゃってください堂島さん!」
逃げるように車内に飛び込んだその耳と首筋とが赤かったのを怪訝に思いつつ堂島は続いて車内に入ろう、として声を上げる。

「おい足立! 車ん中が猫の毛まみれだろうが!」
黒く照りのあるシートのそこらじゅうに、柔らかい猫の毛が落ちていた。



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