「いたっ」
椅子に座ってぼんやりと天井を見ていた足立は、思わず声を上げる。
振り返ればそこには渋い顔をした上司の姿。
「あ、堂島さん」
「あ、堂島さん、じゃねえだろ」
ファイルを手にした堂島は足立の言葉を繰り返す。どうやらそのファイルで頭に一発喰らわせたらしい。薄くて助かった。
辞書めいたぶ厚さで殴られていたら、いたっ、なんて呑気さじゃ済まなかっただろうから。
紙コップに入ったコーヒーを差しだされて、頭を押さえていた足立は目を丸くした。
「僕にですか」
「他に誰がいる?」
「……ですよね。ありがとうございます」
白い簡素な紙コップは薄い。どうして中の液体が染みだしてこないのか、足立は少し不思議に思いつつ口をつける。と、淹れ立てなのかそれは結構熱く、猫舌気味の足立は情けない顔で舌を出した。
熱いし、苦い。
「堂島さん、これ苦いです」
「ああ? ……おまえな、人に奢らせといて文句か?」
「だって苦いっすよ。あと熱いです」
薄いのは嫌いじゃないけれど、と、ちろちろと舌先でコーヒーを舐めつつその度に苦さと熱さに眉を寄せる。堂島が時々こうやって差し入れてくれる自販機のコーヒーは熱々のブラックだ。足立が堂島に言いつけられ、自分の分と合わせて買いに走るときはブラックと砂糖、クリーム増量ボタンを景気よく押したものとを買う。
黒さが失せてほとんど乳白色になったコーヒーを吹いて冷ましながら飲む足立を、堂島は理解不能だという顔でいつも見ている。
それは若いやつ特有なのか、と言われたが別にそんなことはないだろう。
「ところで堂島さん」
「なんだ」
「どうして僕の頭いじくってるんですか」
ぐるり、と椅子ごと堂島と向き合ってコーヒーをちびちび消費していた足立がつぶやくと堂島の指先が止まる。
「…………」
「堂島さん? 堂島さーん」
呼びかければ指が離れていった。怪訝そうな足立に向かい堂島は、
「―――――つい」
「いやあの、つい、って」
「おまえいつも寝ぐせつけてるだろ。しかも律儀に毎回同じところに。それがどうも気になってだな、つい」
言って堂島は椅子を回し、デスクの上に置いた紙コップを取って一口飲む。まだ湯気が立っているのにすごいな、とぼんやり足立は思い、堂島が再び向き直るのを待つ。
「ついってなんですか。気になってつい触っちゃったってことすか」
「まあ……そんなところだな」
「堂島さん、変なとこあるんすねえ」
「変か?」
「ちょっと変です」
正直に言えば堂島は不満そうな顔になり、大体な、と。
「大体な、なんでおまえはいつもそうだらしないんだ。忙しいときにたまにならわかるがおまえの場合、いつもそうだろうが。ネクタイだっていつも曲がってるしな」
「んー……あれですかね、寝ぐせは風呂に入って髪とか濡れたまま寝ちゃうからかもしれませんね」
「だったら朝に直しゃいいだろ」
「でも別に、困らないじゃないですか」
手の内の紙コップ、中を満たす黒い液体に目線を落として足立はつぶやく。
混ぜ物のないコーヒーにはどこか抜けた風な顔が映っている。見下ろしてずっと見慣れてきた顔だ、と足立は内心で。
「今まで僕、それで困ったこと、ないですし」
言ってへらっと笑ってみせた。顔を上げてあらためて、堂島へと笑いかける。
「ほら、あるでしょ。人間あんまり完璧すぎると引くっていうか、ちょっとくらい隙があった方が親しみやすいっていうの。僕、そんな感じで可愛がられてたとこあるんですよ、実は」
「ちょっとか?」
「……あの、そんな真顔で言われるとさすがに僕も傷つきますよ堂島さーん」
もしもーし、と哀れっぽく言って足立はまたへらっ、と笑う。
「だけど堂島さんだってそうでしょ? なんだかんだ言って僕の頭いじったりして、ね? 結果的に隙につられてるじゃないですか」
「そういう言い方はあんまり好きじゃないんだがな、俺は」
「じゃ、ほっとけない。こんな感じでどうですか。改善案」
「言い訳じみたこと言ってねえで、少しは身だしなみを改善する努力をしろ」
「いたっ」
今度は額にデコピンを喰らい、足立は目をつぶる。太く節くれだった指でのデコピンというのは地味に痛いものだ。
泣き言を漏らし額を撫でる足立へ、ふと堂島が手を伸ばす。
「え、ちょ、もうやめてくださいよ? 体罰反対派ですからね僕!」
慌てて早口で叫んだ足立が両腕をかざして己をかばおうとする前に、堂島はその大きな手で足立の髪をかき回した。
「……へ?」
「全部が全部おまえの言う通りでもないが、確かに気になる風体ではあるな」
どうも目につく、と言って堂島は笑い足立の頭をかき回す。
部下にではなくてまるで子供相手にするように遠慮なく。
ぽかん、とされるがままになっていた足立はしばらくしてから我に返り、
「ど、堂島さん……これはちょっとなんていうか、僕的に照れくさいっていうか恥ずかしいっていうか、ですね」
「可愛がられてたんじゃねえのか」
「え、えー、それ言っちゃうかなあ今……」
言う声が小さくなっていく。堂島は手をどけない。
足立は仕方なく紙コップへと視線を落とす。すると時間が経って冷めてきたそこには戸惑う自分の顔がはっきりと映っていて、なんだか余計にどうしようもなくなってしまった。



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