椅子に座ってこきこきと肩を鳴らしている堂島を、自販機の紙コップを持った足立は目を丸くして見た。さてどうして紙コップは熱さは通すのに中味は通さないのか、そんな疑問はどこかへ行った。
適当な、今はいない同僚のデスクの上に自分と堂島の分のコップを置き、足立は間延びした声を上げる。
「どーじまさーん」
その声に堂島が振り返った。疲れている様子かと思ったが、意外にそうでもない。いつもの意志の強そうな顔である。
足立透が一番に連想する、堂島、遼太郎の顔だ。
「どうしたんすか、そんな音鳴らしちゃって。肩でもこってるんですか」
「そこまででもないがな。どうも自分で思ったよりは来てるらしい」
「激務ですもんねえ、最近立て続けに」
言いながら足立は近寄って堂島の肩と首筋をつなぐ継ぎ目、のような場所に触れてみる。あーなるほど、とまた間延びした声を上げた。
「張ってますねー。この分だと、こっちも」
と肩を軽く揉んでうわっ、と声を上げた足立に、堂島が眉間に皺を寄せる。
「なんだ足立、その声は」
「え、だって、これすごいっすよ。かっちかちですよ堂島さん」
たぶん鍛えているせいもあるのかもしれないが、それにしたって年齢が年齢である。多少、衰えはあるだろう。この硬さのすべてが筋肉では決してないとうなずきながら足立は今度は両肩へと手を伸ばす。
椅子にかけられた上着。なんでこの人はいつも着ないで肩に担いでいるんだろう、そのせいでこんななんじゃないだろうか、なんて思い、我ながら馬鹿な考えだなと打ち消した。
別にトレーニング用に特別な生地を使った重い上着だとかでもあるまいし。
「……なんでおまえはこんなところで俺の肩を揉んでるんだ」
「はい? 場所移します? あれですか、取調室とか」
「馬鹿野郎、なんで俺がそんなところに行くんだ。そうじゃなくてだな」
「はい?」
「……いい、続けろ」
「はーい」
やはり間延びした声でのんびり返事をして、足立は堂島の肩を揉む。結構シュールな光景だろうな、と理解はしながら。
ちょっとしたいじめのように見えるかもしれない。上司に肩を揉めと強要される部下。断れば拳骨が降ってくるので泣く泣く従わずにはいられない―――――なんて、実際は逆だけれど。
実際は部下が無理矢理上司の肩を揉んでいるのだ。相手が好意を跳ね除けるだなんて間違っても出来ないことに甘えて。
甘えて。
うん。
そうだ。
甘えているのだろうな、これは。
何に甘えているのかは曖昧だが、誰に甘えているのかははっきりとしている。それで、とりあえずは、いい。
「どうですかお客さーん、なんて、あはは」
「楽しそうだな足立」
「え、そんなことないですよ。部下として上司を労わってるんです、僕なりに。ほらこういうのって雰囲気とか大事でしょ?」
場酔いとかそういうのあるじゃないですか、言って足立は手を離し、今度は肘を使ってぐりぐりとツボらしいところなど刺激してみる。
「それともあれですか、堂島さんの場合こうがいいかな。どーお、お父さん。気持ちいい? なーんて、あははは!」
「自分で言っといて自分で笑うな。……おい足立、おまえは刑事辞めて本格的にマッサージ機にでもなるのか。そうじゃないなら笑い止め。その細かい振動どうにかしろ」
「だ、だって……どーじまさんが僕のお父さんとか……ないっすよねさすがに……」
肘を堂島の肩に乗せたままでうつむき、震えて笑う足立に堂島が呆れた声を出した。軽く振り返ると座った椅子が、ぎ、と軋む。
「こっちはたまに目の離せない息子辺りを持った気になるがな」
足立はその言葉に刹那、笑いを止めた。口がかすかに名残りを残して薄く開きっぱなしになり、そこから言葉がこぼれた。
「やだな。堂島さんにはもう菜々子ちゃんもいるし、甥っ子さんもいるじゃないですか」
「それがどうかしたのか」
どうかしたのか、とか。
相変わらずさらりと言ってしまう人だ、と足立は思う。
懐が広いというのはたまに美点ではなく欠点になる。こんな風に自分に向かってあっさり窓口を開かれては途方に暮れてしまうし、逆に他人に向けてもこうなのかと勘繰ってしまう。だから美点で欠点だ。好きで、きらいだ。
器用なんだか不器用なんだかわからない。
「―――――ですよ、堂島さんは」
足立のつぶやきに堂島は怪訝そうな顔をする。まあ、突然言われても意味不明なはずだ。案の定、
「なんだそりゃ」
「なんでもないです、なんでも」
ほら僕、あんまり物事深く考えて喋るタイプじゃないですからー、と自分の顔を人差し指で指して足立は首をかしげ、笑う。
「思いつきで喋るなって堂島さんもよく言うでしょ」
「それはおまえが捜査状況を関係者以外にポロポロ漏らすからだろうが」
「って、あれ、僕また深く考えないで喋って、墓穴掘ったりしまし、た……?」
それ以外のパーツは笑ませて、足立は眉だけを寄せる。堂島の視線。たじろいだところで椅子が軋む音がまたして、堂島が立ち上がった。
足立は後ずさる。
反射的に。
「ど、どうじまさん?」
まずい。
いろいろと。
無言で歩み寄ってくる上司に目に見えてたじろいで、足立は口元を引きつらせた。まずい。まずい、いろいろと。言い過ぎた、いろいろと。言わなくていいことを言った。これが自分の素なのだか計算なのだか。
とりあえず堂島の前では、足立には判断がつかない。
「って、署内暴力反対……っ!」
叫んで顔の前にかざした両腕が掴まれた。ひえ、と間の抜けた声を出した足立は両腕のバリケードを解除されてしまい、あっけなく引きずられ、そして。
「……え」
さっきまで堂島が座っていた椅子に座らされ、足立はぽかんと目を口を丸く開く。拳骨も張り手もデコピンもなかった。
代わりに堂島の両手が肩に乗せられている。節くれだった指、体温。
それがスーツの布地を通してもはっきりわかる。
「堂島さん、あの、なんすか」
「おまえも見たところ疲れてるだろ。交代だ」
「は? ……え、って、そんなの無理っすよ! 駄目ですって、無理! 無理ですから!」
「……足立、肩揉まれるだけでなに必死になってんだおまえは」
理解不能だとでも言いたげな口調の堂島にだが足立は上手く言い返せない。
だって。今の、この状況でなんと言い返せばいいのか。いやまずなんと口にすれば、何を口にすればいいのか、するべきなのか。
ぐるぐると考えている間に強く肩を揉まれて足立は派手に椅子を軋ませた。
「ん? そう力を入れたつもりはなかったんだが……」
「じ、じゃなくて、っすね、その、」
「まあ俺もそう上手い方じゃないからな。的外れなことやったんなら悪かった。にしても足立、人のこと言う割におまえだって硬いだろ」
「……え、ええっと……はあ、その、僕も一応堂島さんの下について一緒にやってるわけですから……条件はほぼ同じ、みたいな……」
何を言っているんだかよくわからない。
足立は裏返りそうな声を押さえて当たり障りのないことを喋る。その間も堂島は足立の肩を揉んでいる。
手の感触がどうしたって近い。ひとはだ、というのは苦手だ。
あの一件のせいで。
それでも逃げられずに体を縮めてせめてもの抵抗を図る。だけど無理なのだ。
体は正直。
「……堂島さん」
「なんだ」
背中を向けているから、堂島から足立の表情は見えないだろう。
こっそりと、困っているのだか嬉しいのだか判断のつかない顔で笑い足立は小さくつぶやく。
「なんか、気持ちよくて眠くなってきちゃいました」
「何言ってんだ。あと十五分で車出すんだぞ」
「ですよねえ」
恒例の見回りだ。
「でも、眠いっすよ」
ゆるんでしまう。
足立は思い、目を閉じてもう一度つぶやいた。

「気持ちいいです」

気持ち悪くて苦手なはずのひとはだが、気持ちよくてたまらない。



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